11話 共に暗殺
そこは、漆黒に塗り潰された部屋だった。
何かいるのか、何もいないのか、己の存在さえ疑う究極の闇。
そこに、二つのスポットライトの光が注ぐ。
照らされた場所には二人の男がいた。
一人は、情けなく脂汗と涙と鼻水を垂らして拘束された椅子の上でもがく男。
もう一人は焦る風でもなく悠然と拘束されていたが、男には下半身がなかった。
欠損した部分を石膏のようなもので固められた男はまともに治療を受けている様子もなく、間もなく死を迎えることは想像に難くない。
二人とも目を隠され口を拘束されて何も言えないが、死から逃げる元気な男と、死を受け入れる死に体の男は対照的だった。
その二人を囲った三人――オウル、テウメッサ、モニター越しのサーペントのうち、オウルが口を開く。
「さて、こいつらどうしてくれようか」
死から逃れようと藻掻くのはアルフレド・ナヴォ。
最初のビル爆破の犯人にして情報提供者だ。
もう一人はクラウン・ゲイジー。
オウルはクラウンの下半身を粉砕したあと、医者が目を剥く滅茶苦茶な止血とナノマシンで辛うじて死んでいない状態を保ったままここに連れてきていた。
テウメッサはその日の昼食を決めるように気軽に提案する。
「どっちも始末しちゃえば?」
「まぁまぁ、クラウンくんは何故自分が捕まっているか分かっていないようだし、説明してやろうや」
口元が微かに嗜虐的に吊り上がったオウルは、ナノマシン注入で無理矢理直した足でこつこつわざとらしく足音を立てて二人に近づく。
「事の発端はベクターホールディングスにおける革新派と保守派の跡目争いの趨勢を決したSBP構造の開発だ」
アルフレドの肩が震える。
オウルはその肩にそっと手を添えた。
「SBP構造にはコストカットを重視しすぎたが故に一つ欠陥があったが、それを無視して大々的に世間に売り込んだ結果、商業的には大成功。SBP構造開発者を要していた保守派は派閥争いに勝利した。しかし心優しいアルフレドくんは構造の欠陥に気付き、会社に訴えるも封殺され職を追われる……」
優しくアルフレドを宥めるように肩を撫でたオウルは、にっこりと微笑む。
「が、そこには大きな嘘が含まれてるよな?」
オウルの指が、アルフレドの肩に鋭く食い込み、アルフレドが声にならない悲鳴をあげた。
更に片手で髪を掴まれ後ろに退かれたアルフレドは顔がのけぞった。
「SBP構造の欠陥? 違うな。お前、最初から革新派の人間だろ?」
「ん゛~!! んん~~!!」
アルフレドが否定するように必死に首を横に振るが、テウメッサはそんな彼の必死の懇願の意を無視してデータを提示する。
「アルフレドくんはね、実は大学時代にOBとの交流とかで革新派のトップであるベクター・ロイド・ジュニアと交流があったんだ。そしてベクター社就職の支援から定期的な手紙での交流なども行っていた。次期社長と目されて精力的に活動していたジュニアとは社内では接点がなかったが、実際には入社のための支援を受けたり現生を受け取ったりとズブズブの関係だったようだ」
テウメッサはアルフレドの味方を徹底的に演じ、彼が漏らした僅かな情報を元に裏取りや探りを入れ続け、偶然と片付けるには無理のある状況証拠を発見している。警察であれば状況証拠は決定的な証拠にならないが、テウメッサたちは殺し屋なので関係ない。
オウルは髪を引く手を離し、彼の両肩に手をかける。
「真相はこうだ。アルフレドは最初から保守派を貶めるために送り込まれた派閥間のスパイ。SBP構造の欠陥が発生した原因もアルフレドの誘導によるもの。会社を追われたのは本当だが裏で糸を引いていたのはジュニアだな? 後になって建築物の大崩落が起きたとき、主任は責任を問われ、幹部の座を失う。そのときに引責で退いた新社長の席に座ったジュニアが『真相に気付いていたのに保守派に追い出された哀れで勇敢な研究者』を見つけ、空いた幹部の座に座らせる。革新派のパフォーマンスとしは申し分ない見応えだ」
オウルは今度はアルフレドの肩を丁寧に揉んでやるが、アルフレドにはその心地よさを感じる余裕など微塵もなく、あるのは手の体温から伝わる死の気配のみだった。
「クラウン・ゲイジーが俺のことを保守派と勘違いしたことで確信したよ。クラウン共は革新派に使われてたんだ。町の崩落という大惨事を意図的に引き起こそうとしたのは――そう、新社長の内定を受けたイシュー・メルキセデクを嵌めようとしたジュニアの意思だ」
『正に最高のパフォーマンスだよ。この日のために新品のネクタイを結んで意気揚々と新社長就任の発表を大々的に行うイシューが最初に取り扱わなければならない議題が、自分が幹部に押し上げた男の開発した建築技術の欠陥が引き起こした未曾有の大惨事への対応になるんだからね。内定なんて一発でひっくり返る』
テウメッサが大げさに諸手を挙げて嘆く。
「ああ、残念だよ。殺し屋は信用第一。信用を裏切る人間を生かしてはおけない」
「ん゛っ、んんん~~~~!!」
もはや、誰の目から見ても結果は明らかだった。
しかし、殺し屋たちは尚も彼を弄ぶ。
「だけどね、アルフレドくん。実は僕たちは最初から君のことを信用していなかった。なので僕らは、実は裏切られてなどいないんだ。それに、君に良心の呵責があったことは確かだ。でないと崩落計画の前に単独で動いてビル爆破なんてリスクを背負う筈がない。君はジュニアのやり方を受け入れきれず、ギリギリで裏切った」
「んっ、んっ、んっ!!」
アルフレドは必死に頷く。
話を合わせた命乞いか、それとも本音か、どちらにせよ彼は頷いた。
頷いて、しまった。
オウルは、もし彼が目隠しをされていなかったら恐怖の余り糞便を漏らす程の壮絶な存在感を放つ目を湛えて嗤う。
「じゃあ、最後までやり通そう。世の中正しいやつが正しいことをするのが一番だ。正義の話……しようぜ?」
サーペントのモニタが消え、オウルとテウメッサの姿がステルスコートで消える。
オウルは姿が消えたまま彼の目隠しを解き、口を覆っていたテープを丁寧に剥がし、椅子から解放すると、彼の手に簡素なナイフを手渡した。
アルフレドは周囲を見渡すが、そこには隣にいる死にかけの男以外に誰もいない。
オウルが囁く。
「その男はクラウン・ゲイジー。死んで当然の行いをして生きてきた、明日も死んで当然の非道に手を染めようとしていた男だ。悪の男、生きている価値のない、存在するだけで社会の害悪となる男だ。ジュニアの命令に従って町の人間を皆殺しにしようとした」
「さあ、分かるよねアルフレドくん? 君は正義の徒だ。万人がこの男の死を望むだろう。正義の執行者たる君が何をすべきかは分かるね?」
『なに、どうせ死に損ないの男だ。今死ぬも後で死ぬも同じこと。正義が信じられないなら慈悲の死と思えば良い』
アルフレドは彼らの言わんとすることを理解し、これまでの恐怖とまったく違う震えが止まらなくなった。人が人を害する一種の究極系――殺人を、彼らはやれと言っている。
そんな恐ろしい事が出来る筈がない。
自分はただ旨い話に乗せられただけの技術者だ。
心臓の鼓動が耳に聞こえるほど大きく、呼吸が浅くなり、視界が恐怖と緊張で白む。
やりたくない。
だが、やらなければこのナイフは誰に刺さるのかと考えると恐ろしくて手放すことも出来ない。
「死んで当然、死んで当然……」
言い聞かせるように一歩、また一歩と縛られた男に近づく。
ナイフは手汗で今にも滑りそうで、歩く度に顎から汗が落ちた。
両手でナイフをしっかりホールドすると、殺し屋の声が聞こえる。
「それじゃ刺しにくいぞ。刃を地面に水平にだな」
「いや、そのまま胸の真ん中あたりを狙うといい。そこに心臓がある」
『ミスがないように首元をスパッといって頸動脈裂いた方が確実じゃないか?』
「まぁ何にせよだ……爆弾で何十人も吹っ飛ばしてコンクリで押し潰すのに比べたら大した手間じゃないよなぁ?」
「う……!!」
そうだ、あと少しのところでアルフレドは狂気の爆弾魔と呼ばれるほどの大罪を負うところだった。あのとき何がどうなってビルが吹き飛んで死者がゼロになったのか彼には想像もできないが、その偶然がなければとっくに自分は人殺しだったのだ。
モニター越しにみる何十人もの人の死と、自らの手で直接奪う一人の死。
感情は直接奪う死を忌避したが、知性は悟っていた。
これは、自分が「何人かは死ぬかも」程度には思いながらやったことよりも簡単なことなのだと。
やれ。
やれ。
やるんだ、アルフレド・ナヴォ。
「う……うわあああああーーーーーーーーッッ!!!」
アルフレドは、血走った目で絶叫しながらクラウン・ゲイジーの首元に深くナイフを突き刺した。
頸動脈に突き刺さったのかは分からなかった。
まだ死んでいないのではないかという恐怖に駆られ、凶刃は幾度も振るわれた。
一分後、そこに滅多刺しにされて鮮血を噴出しながら絶命するクラウンと、その返り血を浴びて真っ赤に染まりながら、彼が死んだことに気付かず一心不乱にナイフを突き刺し続けるアルフレドの姿があった。
漸くクラウンが死んだと認識したアルフレドは、血の滴るナイフを足下にからん、と落した。
「おめでとう、アルフレド。一つ目の正義は為された」
「……はい」
「じゃあ、もう一つの正義を為そうか」
「……はい」
もうアルフレドには、何も考えることが出来なかった。
ただ一つ、終わってから気付いたことがあった。
自分はもう一生、彼らから逃げることは出来ないのだろう。
その生き方を受け入れて、彼らに生かされて道を歩むしかない。
そう思っていれば彼らの提示した二つ目の『正義』を楽に受け入れられるから、アルフレドはそうした。
幸いにして、二つ目の正義はアルフレドにとっても真っ当な正義だった。
◆ ◇
一人の咎人がいた。
咎人は、己が咎人だと思っていなかった。
咎人はSBP構造という画期的な建築方法を作り出したプロジェクトチームの主任であり、主任を名乗りながら半分以上の手柄をアルフレドが為したにも拘わらず平然とそれを己の物にした簒奪者であり、その後SBP構造の欠陥を知りながら放置を決め込み、社内でアルフレドには虚言癖があるとそこかしこで言いふらした法螺吹きだった。
彼の上司であるイシュー・メルキセデクは本当にSBP構造の欠陥を知らない。
実際には主任がそういう人間であることを見越したベクター・ロイド・ジュニアの細工によってそれが実現しているが、主任はそれに気付かず自分の隠蔽が完璧だったと思い込んでいた。
果たして、彼が真実を言ったところで保守派がその大きな欠陥の是正に乗り出せたかどうかは定かではない。その欠陥がSBPを崩壊に導く可能性の低さを考えれば、もしかすれば彼らがベクター社で権勢を振るう間はばれずに乗り切れると考えたかも知れない。
ともあれ、今のことしか考えていない咎人――フランクフルト・ライトは人生の絶頂にあった。
世界五指に入る巨大会社の本社で幹部になるとは、想像を絶する大出世だ。
彼はその地位とそれを手に入れた自分のハリボテの才覚に酔いしれていた。
権力は女さえも引き寄せる。
フランクフルト――フランクは、ミケという絶世の美女と偶然にも出会い、そして手に入れた。
最初は自分に相応しい美しい女だと思っていたが、彼は次第にその考えを改める。
彼女は世界の誰もが羨むほど最高に美しく、キュートで、そして妖艶だと。
自分の権力より、彼女に愛される栄誉の方が価値がある。
ミケはフランクのような歪んだプライドの持ち主にさえそう思わせる女だった。
その日の夜、フランクはスイートホテルの最上階でミケと共に最高の夜を過ごしていた。
「明日、メルキセデク新社長の誕生によって私の地位はより揺るぎないものになる。政府さえ顔色を窺うベクターホールディングスの幹部として! 今日はその前祝いさ」
「素敵よフランク。貴方ならいつかこの夜景の全てを支配してしまうのかしら?」
「ああ。しかし……私が本当に欲しいのは、私の隣にいる女だよ」
超高層ビルの頂点から見渡す果てしない摩天楼の美しささえ、ミケには叶わない。
彼はお世辞ではなく本心からそう思っていた。
美しくも足や背中を大胆に露出し、フランクのプレゼントしたアクセサリで身を着飾ったミケは浮世離れした魔性の美を放っている。彼女の桜色の唇が微笑むだけで、フランクは自分の地位を投げ出してでも彼女を手に入れたい衝動に駆られた。
「フランク……」
「ミケ……」
互いにワインのアルコールが回り、ムードは最高潮だった。
自然と二人はその服を脱ぎ去り、そしてベッドの上で身を重ね合った。
「ミケ、私のものになれ!」
「ああ、素敵! 素敵よフランク!! 貴方なら、貴方になら――!!」
ミケは恋と興奮と恍惚の絶頂のまま――。
「貴方の愛なら本物かもしれないッ!!」
――ユニットの武装のナイフを展開し、彼の心臓を一撃で刺し貫いた。
フランクは突然の衝撃に何が起きたか理解が及ばす、呼吸もまともに出来ずに口をぱくぱくさせる。
彼の視界にはただただ少女のように期待に胸を膨らませるミケがいる。
可愛いミケ、美しいミケ、フランクは無意識に彼女に手を伸ばす。
ミケは心臓から指を引き抜くと、その手を掴んで頬ずりする。
「フランク、愛してるのフランク。貴方こそ私の本当に愛する人かも知れないの。だから、本当にそうなのか確かめたいの! さあ、フランク――貴方の命が散る瞬間を私に見せて!!」
「み、け……」
フランクにはもう彼女の声も濁って聞こえない。
ただ、嬉しそうで愛おしそうな彼女の顔を見ると、そんなことはどうでもよく思えた。
ああ、この微睡みの中で最期までミケに愛されるなら――こんな死も――。
フランクが完全に絶命するまでの間、ミケは彼の手を握り、彼の心臓から血が噴き出すのを見ながらずっと期待し続けていた。
しかし、フランクが死んだあとにその表情は曇っていき、やがて失望へと変わる。
「なーんだ、やっぱりフランクも死んだら肉袋かぁ……」
ミケは目を剥いて絶命するフランクに完全に興味を無くしてバルコニーに出ると、夜景を見下ろしてため息をつく。
「死してなお想いが続くなら、私は本当にフランクを愛してたはず。でも死んだら興味なくなったし、これも本物の恋じゃないのかぁ……あーあ、オウルを殺してみたいなぁ。オウルはきっと特別だからなぁ。でも特別で言えばユアちゃんも捨てがたいなー。テウメッサはどうだろ。意外と本命だったりして? ふふっ、ふふふふっ……」
彼女はそのままバルコニーの手すりの縁から身を乗り出し、ホテルの下へと落下しながらステルスコートで姿を消した。
ミケは仕事の度、暗殺対象を本気で愛する。
そして愛が本物であるかどうかを確かめるため、愛した相手を殺して確かめる。
本物の愛に到達することが出来ればクアッドの仕事を失敗しても構わない――彼女は本気でそう思っており、事実今までクアッドの仲間を殺そうとしたことが何度もある。
故に、ミケは他のどのクアッドよりも狂っていた。
――翌日、ベクターホールディングスによる記者会見が行われた。
SBP構造の欠陥の発覚と謝罪、そしてその対策と賠償。
更には欠陥構造を見落としたチェック体制の刷新と、降格人事。
それは会社側が前日まで予定していた内容とはまったく異なり、新社長の発表や重役の変死などというニュースは一切なかった。
ミケが仲間に散々な言われような理由。




