99話 波風立たぬ暗殺
ジルベス海軍第八艦隊司令部は混乱の渦中にあった。
半日の航海で帰還する筈だった次世代試作アグレス駆逐艦【ピューラー】が、突然まるで予定にないルートや動作を開始したのである。
最後の通信は三〇分前。
不審な船舶の接近を感知したため警告の後に砲撃するというもので、司令部はこれを機密保持の観点から了承した。
以降、事態はずっと悪化の一途を辿っている。
乗組員のバイタルサインがひとつ、またひとつと異常値を出しては潰えてゆく。異常事態が発生しているのに状況報告が来ないことが、事態の異常さを際立てた。
高度なAI管理が為された【ピューラー】は艦そのものの機能には異常を来さないまま人だけが消えていき、やがて生き残った人員が緊急脱出艇に向っていることを位置情報から察した司令部は、自分たちの不安が杞憂ではなかったことを思い知らされた。
その後、漸く届いた通信の内容は、【ピューラー】が原因不明の理由でコントロールを失い暴走状態にある、という端的で最悪なものだった。
司令部の艦長や参謀が口々に状況を嘆く。
「高度に発展したAIは人の愚かしさに気付き、反旗を翻す……か」
「AIにそのような判断能力はない! 今はそんな旧時代から伝わる迷信を語っている場合ではない!」
「いっそ敵の襲撃を受けたと言われた方が状況が分かりやすかったとさえ思えるが、これは艦の乗っ取りと考える他あるまい」
第八艦隊のトップ、グラスマン・コールドヘッド中将が場を引き締める。
あってはならない事態に全員が歯がみし、或いは呻いた。
彼らの脳裏を過ったのは艦隊発足以来の未曾有の危機という言葉。
貴重な人材を犬死にさせたばかりか軍の最新鋭の機密の塊を盗まれたとすれば、第八艦隊司令部の総入れ替えでは済まず、海軍の権威と信頼が失墜する事態に発展しかねなかった。
この事態をどのように解決すべきか――現地で情報を収集すべきか、処分を覚悟で海軍総司令部に判断を仰ぐべきか、それとも自軍の戦力でケリをつけるべきか。逡巡の折、通信士が司令部に報告を出す。
「内閣府のアルシェラ・ドミナス情報大臣より緊急の通信が入っております。第八艦隊の試作艦に異常事態が起きている場合は今すぐ呼びかけに応じるようにと」
「なんだと!? あの女、防衛大臣でもないのに一体なぜ――!!」
司令部にどよめきが起きる。
第八艦隊はつい30分前に異常に気付きつつも、今の今まで艦が本当にコントロール不能になったかどうかさえ確認が取れていなかった。にも拘らずこのタイミングでこの内容ということは、アルシェラ大臣はこの事態を彼らより以前から把握していたとしか思えない。
下手をすれば、これはアルシェラの策略かもしれない、とグラスマン中将は疑る。
しかし、内閣府に属するアルシェラに事態を把握されているのであれば、第八艦隊に取引や交渉の余地はない。彼女の電話一本で、軍より早く不祥事がマイヤー・アルペディオ大統領の耳に入るだろう。
司令部は覚悟を以てして通信に応じた。
――果たして、その内容は彼らが覚悟した内容とは異なるものであった。
「モルタリスカンパニーの未認可実験生物が、【ピューラー】を乗っ取った……?」
『こちらはそう考えております』
アルシェラの言い分はこうだ。
統制委員会が管理するビッグデータの中に海での不可解な情報があり、それを調査するうちにモルタリスカンパニーのバイオラボでの事故で詳細不明の生物が逃走していたことが判明。
それは不定形の粘性生物で、ジルベスの生態系を極めて深刻な形で侵害する可能性が高く、今までずっと追跡を続けていた。しかし、今一歩のところで軍の要請で情報が遮断されている海域に生物が侵入して統制委員会は足踏みを余儀なくされた。
そこで情報遮断について調べたところ、第八艦隊の試作艦の航行が判明。
更にその後、試作艦が何故か電子的対抗手段を全て切断してその様子が確認できたため、第八艦隊に急遽通信を入れた、とのことであるらしい。
アルシェラ大臣からはその生物の現状判明している点や実験映像、確認されている被害が提示され、その一部は生き残った乗組員の証言とも一致していた。グラスマン中将はそれでも脈絡もなく現れたようにも思える情報を鵜呑みにするのを躊躇った。
「にわかには信じられない」
『しかし現実として艦は完全に軍のコントロールを離れ、しかしどこに向うでもなくランダムな移動と時折の砲撃を繰り返しています。これは実験生物の学習の過程であり、時間を与えるほどに生物は操艦を学習していくでしょう。恐らくは一番近いヘクラーネ島の観光客がターゲットになると思われます』
「莫迦な……莫迦な! 海水浴シーズン真っ盛りだぞ!? 現地の人間も含めて何万人いると思っている!」
予想される犠牲者の数を想像してグラスマン中将はぞっとした。
旅行客が密集しているシーズン期間中に国内でも指折りのリゾート地に軍艦が現れて地上を砲撃したなど、歴史に残るジルベス合衆国の汚点となることは避けられない。
しかも、それほどの人数が有名観光地で消息を立てば如何に情報統制で取り繕っても隠しおおせはしない。出来るのはせいぜい無能な海軍のせいで敵国の艦に人知れず領海侵犯されたという五十歩百歩のカバーストーリーくらいで、ジルベス政府の信頼も道連れだ。
個人としても軍人としても、なんとしてでも防がなければならない。
「【ピューラー】の現状の火器でもヘクラーネ海岸を更地にする程度のことは容易に出来る! 艦を出撃させて撃沈するしかない!」
『試作艦の実働データを全て投げ捨ててですか? しかも、そうしたところで実験生物の根絶は出来ません』
「ならばナパームで焼き払う!!」
『深刻な環境破壊まで誤魔化さなければいけなくなりますよ。それに、ナパーム弾を今から艦船に積載して出動させて、確実に間に合いますか? そもそも【ピューラー】も応戦してきます。レーザーやミサイル相手にナパームで応戦しては、下手をすれば艦を失います』
「ぐっ、ならば第七艦隊の空母に要請して!!」
『そうすると、第八艦隊の面目は丸潰れになるでしょうね。統制委員会から多少のフォローは出来ましょうが、予算の削減と発言力の低下は免れませんよ』
「うぬっ……!」
グラスマン中将は言葉に詰まった。
使命を目の前にしているのに、アルシェらの指摘は悉くが鋭く突き刺さるものだった。
戦争を経験した第七艦隊と実験に予算を費やす第八艦隊は発足以降ずっと険悪な関係にある。
ハイテク機器による質の向上は海軍の急務だが、以前はそれを中心的に行なっていた第七艦隊は第八艦隊に十八番も人員も予算も奪われたのだ。
第七艦隊は今もそれを取り戻そうと水面下で差し合いを挑んでくる。
このような緊急時に下らない権力争いを繰り広げているヒマはない。
しかし、第七艦隊の技術力は既に第八に大幅に劣る。
今更イニシアチブが第七艦隊に移ったところで軍全体からすれば近代化の流れを鈍らせるだけであり、軍としてもプライドとしてもそれは避けたかった。
どんな手段を考えても失うものが大きい現状に苛立ったグラスマン中将が怒鳴る。
「では、貴方は何か策がおありだというのか!!」
『あると言ったら?』
「なに……!?」
『第八艦隊の予算削減と発言力低下を回避し、なおかつ民間人に被害を出さず軍と政府の面子を保ち、あわよくば艦の実働データも回収する。そんな一挙両得の作戦を成功させられる都合の良い兵器があるではありませんか』
アルシェラ大臣の大胆不敵で自信に満ちあふれた言葉に、グラスマン中将の声が震える。
「……U.N.I.T.」
第八艦隊すら所持を許されていない、必殺の新世代国防兵器。
その実戦投入の瞬間が来たのだ。
『我々統制委員会はユニットを出す準備があります。元々この実験生物も捕捉次第ユニットで確実に抹消する予定でしたので。ただ、湾岸警備隊やメディアが【ピューラー】の存在に気付きつつあるため、情報操作の主導や作戦のタイミングはこちらで取らせていただきますが、如何ですか?』
司令部の全員の視線がグラスマン中将に集中する。
グラスマン中将は耳が痛いほどの沈黙を破り、首肯した。
「我々に選択の余地はない。この一件、大臣に一任する」
『賢明な判断です。後の歴史家がもしこのことを知れば、貴方を賢明な中将であったと称賛することでしょう。では、最後にひとつだけ。至急、見栄えの良い垂直離着陸輸送機を一機だけお貸ししていただきたい。夜明けまでにオートパイロットでヘクラーネ海岸まで辿り着けば充分です。では、出撃の報告をこの回線でお待ちしています』
音声が途切れる。
グラスマン中将は、祈るようにヘクラーネ島に最も近い未使用の輸送機の発進を急がせた。
最も見栄えがよいかどうかは分からないが、中将の独断と偏見でなるべく迅速に。
◇ ◆
通信を終えたアルシェラ大臣は人払いを終えた執務室でため息をついて栄養ドリンクを飲み干すと、別の秘匿回線を開く。そして、精一杯の忌ま忌ましさを込めて言葉を吐き捨てた。
「これで満足か、クアッド共」
クアッドという呼び名は彼らから聞いた訳ではない。
アルシェラが彼らに皮肉を込めて噂の暗殺集団の名で勝手に呼んだだけだ。
彼ら黒いユニットの集団はそれを「使いやすい名前」としてあっさり受け入れたため、その皮肉は不発に終わった。
『見事な演技だ。今年の主演女優賞に推薦しておこう』
「減らず口を……ますます貴様等が分からんよ」
統制委員会襲撃の際にヒルドルブ・ボウイごとユニットを破壊寸前に追い詰めた男の悪趣味な冗句にアルシェラは渋面を作った。
彼らからは少し前にいきなり確認事項のように情報を聞かれ、二度目の通信を受けたときにいきなり粘菌の話をされたときは何の冗談かと疑った。しかし、状況を確認してみると情報大臣として本当に無視出来ない事態が発生していて一気に眠気が吹き飛んだ。
「これも貴様等の『守る』仕事の範疇か? 随分とカバー範囲の広いことだ」
『あれは放置しても損しかない。ジルベスの大体の国民にとってな』
彼らの掌の上で踊らされているようで業腹だが、クアッドの言うことも正論だと今回は割り切る。
アルシェラはクアッドのことを一切信用していないし、以前の一件を未だに恨んでその正体を白日の下に引きずり出してやりたいと思っている。しかし、彼らが今回持ち込んだ一件はそんな私情を挟んでいられないほどに緊急性が高く、彼らに主導権を許し、協力する他なかった。
そうでなければ蚊帳の外に置かれ、もっと状況に干渉しづらくなるからだ。
「……サキコ・アーキバス・マエモト博士とモルタリスカンパニーの側はこちらからも洗う。そちらも手抜かりしてくれるなよ」
『心配するな。精々ヒロイックにやる。国民は刺激的なニュースが大好きだからな』
「……正気とは思えん、この作戦。しかし確かに有効だ。ボウイは主演男優賞を掠め取られたと悔やむかもしれんが」
内容は余りにも大胆不敵。
もしアルシェラが単独でこの作戦の実行を大統領に求めても承認に一日以上は確実にかかるが、彼らクアッドは鼻歌交じりに実行できる。事後であれば幾らでも言い訳の余地がある。この場合、重要なのは事実ではなく帳尻だ。
もしかしたら、アルシェラに彼らに取っての利用価値があったことは望外の僥倖であったのかもしれない。でなければ明日の昼にはパニックに陥っていただろう。それがまた腹立たしく、しかし彼らの尻尾は未だに掴めていなかった。
彼らが口にした計画を脳内で反芻したアルシェラは、不快感を露にデスクを拳で叩く。
「余りにもふざけた作戦だ。なのに実行可能で最もダメージが少なく波風立たない。本当に何なんだ、奴らは……!!」
彼らのフットワークに、アルシェラは怒りの奥底に恐怖を禁じ得なかった。
まるで今日はあの店に行こうと思いつきで決めたかのような判断の早さと躊躇のなさでユニットを動かす軽々しさ。
もし彼らが世界最高権力者であるマイヤー大統領を暗殺すると言いだしても、彼女には止められる自信がなかった。




