星砂
波留君から貰った星砂を大切にしていた。小さな硝子瓶に入っていて、耳の横で振るとサラサラ鳴る。必ず帰るからって言ってたけど、本当かな。だってこんな何もない田舎、都会を知った人が戻る気になんてなれるだろうか。小さな疑惑を胸に、私は綺麗な星空を眺めた。何もない田舎でも、星だけは綺麗で空気が澄んでいる。そんな些細なことでも、あの人を引き留める理由になるのかな。風鈴が歌う夜、私は寝付けずに家の縁側に座っていた。身体に気を付けて、と言うと、美也こそ気を付けて、と返されてしまう。私は病弱だから。フリーランスの仕事をこなすだけで手一杯。それでも何とか、食べて行けているのは実家住まいだからというのが大きいだろう。食費や水光熱費を甘えている。家の豆球に惹かれて蛾がペチペチと硝子戸にぶつかっている。私は星砂をじっと見つめる。彼がいない時間、彼を想いながら星砂を玩具とするのも悪くない。そんなことを考えていると、横に置いていた携帯が鳴った。家族を起こさないように、慌てて取る。
「もしもし。波留君?」
『うん。良かった。美也、まだ起きてた』
「星が綺麗なの。眠るのが勿体ないくらい」
『良いね。俺も見たいな』
「そっちは大変?」
『それなりに。でも、夏祭りには戻れるよ』
「本当? いつまでいられるの?」
『ずっと』
「……嘘」
『本当だよ』
その声は柔らかい春風のよう。
あの日、車に轢かれて救急搬送される時も、泣きじゃくる私を、大怪我した彼が逆に慰めていた。私は初めて見る都会に気分が高揚していた。歩道に突っ込んで来た乗用車に、動けなかった私を波留君が突き飛ばして庇ってくれた。病院に着いてから、彼は昏睡状態に陥った。以来、波留君は眠り続けている。電話が通じた時は、何の奇跡だろうと思った。半分は死んでいるも同然だと言ったのは、波留君自身だ。私の携帯を持つ手に力が籠る。
「波留君。戻って来られるの」
『うん』
「私、波留君にずっと言えなかったことがあって。そしたらあんなことになって。言っておけば良かったって、すごく悔やんで」
『何? 美也。今、聴くよ』
優しい声で促されると、却って声は胸でつかえて、私は渇いた唇を何度も湿して心の準備をした。
「波留君のことが好きです」
『…………』
「ずっと好きでした」
沈黙が怖い。虫のすだく音がやけに大きく聴こえる。
『俺も美也が好きだよ。大事にしたい。戻ったら、婚約して』
顔が熱くなり、鼓動は大きく響いている。嘘、本当。本当に?
昏睡状態の彼に奇跡は起きるのだろうか。夏祭りが行われるのは盆だ。盆に戻るとは、つまり完全にあちら側の人間になるということなのではないだろうか。不安と期待で私は眩暈がしそうだ。けれどもし、奇跡が起きるのなら。波留君が戻って来られるのなら。
『美也に渡した星砂は、俺が戻るまで、俺たちを繋ぐ媒体だった。今度は俺が帰る手助けをしてくれる』
星砂が入った硝子瓶を持つ手が震える。
「なら帰って来て。必ず帰って来て。待ってるから」
矢継ぎ早に言う。息は乱れて、聴き取り辛かったかもしれない。
『うん。約束するよ。待ってて。おやすみ、美也』
通話を終えて、私は放心状態だった。夢でも見ていたのかもしれない。そう思って星砂を見ると、色が白から淡い桃色へと変わっていた。電話をする前までは確かに白かった。証、だろうか。私は台所の流しの下の戸棚から、おばあちゃんが作った梅酒が入った容器を取り出し、硝子コップに注いだ。氷を二つ、入れる。甘く酔いたかった。だってもうすぐ、私は二度と取り戻せないと思っていた人に逢えるのかもしれないのだから。カラン、と、氷が涼し気な音を立てる。心地好い酩酊。空の星を数えながら、私はいつしか寝入っていた。
「――――也。美也!」
翌朝、私はお母さんの大声で起こされた。しまった、叱られる。けれど続く母の声は、叱責ではなかった。
「波留君が、目を覚ましたって!」
「……え?」
「向こうのお母さんから電話があってね、あんたに一番に知らせたくてって言ってくださったのよ。あんた、あの事故からずっと、あちらのご両親にも負い目を持っていたでしょう。良かったわね」
お母さんは涙ぐんでいた。私の頭はまだぼんやりしている。星砂。星砂はどこ。あたりを探すと、私のすぐ近くに涼しく光る硝子瓶が転がっていた。桃色は昨日よりも濃い。
波留君が帰って来る。逢える。
私は、お母さんにしがみついて子供のように大泣きした。彼は約束を守る。私たちは、二度と逢えないと思っていた私たちは、再会して再び互いの手を取ることが出来るのだ。私の涙は中々止まらない。熱いものが、後から後から溢れてくる。
星砂が発光するように微かに煌めいている。