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王甥殿下の幼な妻  作者: 花鶏
おまけ
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イドゥ・ハラルの王妾



 しんと静まり返る宵闇の砦で、寝支度を済ませたイドゥ・ハラル王国の女王アイディティアは、召し上げた少女の待つ寝所に入る。


 イドゥ・ハラルの南に隣接するヴィリテ王国。いざこざを解決する為にやってきたヴィリテの王甥の妻リリアが、暖かくした寝所で薄衣を纏って行儀良く座っている。王の寝所は敷物が敷かれてはいるが、床に座る習慣のないヴィリテ人には辛い姿勢であろうのに、まだ幼さの残る少女は静かな表情で姿勢を正していた。

 王の妾として召し上げられた女性として、慣例通りの支度をされている。褐色の肌の妖艶な女性に着せるための寝衣は、色白の華奢な少女には全く似合っておらず、同様に顔に施された伝統的な夜化粧もどこか滑稽であった。


「ははっ。塗られたなぁ」


 アイディティアは軽く笑って、沸かされている火鉢の湯を清拭の為の手桶に足し、熱い手拭いを作って少女に渡す。


「顔を拭くといい。

 そなたは素顔の方が可愛いのに、男どもは形式ばっかり尊重して、全然分かってないな」


 リリアが手拭いを受け取って顔を拭くと、透明な雪肌が現れる。翠がかった青い瞳が、暖かい手拭いに嬉しそうに細められた。

 アイディティアはリリアの肩に羽織りを掛ける。

 部屋を温めているとはいえ、イドゥ・ハラルの夜は寒い。ハラル人はこれくらいは日常だが、ヴィリテでは真冬に相当する寒さのはずだ。

 

 顔を拭き終わると、シルバーブロンドの人形のような少女はアイディティアに向き直り、膝を揃えて深く頭を下げた。


「アイディティア女王陛下」

「うん?」

「この度の寛大な思し召し、心より御礼申し上げます」


 頭を下げたままのリリアにアイディティアは少し考える。


「……リリア」

「はい」

「バター茶は好きか?」

「え、はい、寒い日は美味しいです」

「淹れてあげるから、こっちにおいで」


 きょとんと大きく開いた目が可愛い。

 リリアは羽織りを肩にかけたまま、おずおずと火鉢の側に来てアイディティアの隣に座る。


「リリア。王妾というのは、心と秘密を王と分かち合う人のことだ。無闇に遜る必要はない」

「………はい」

「寝所での話は他言無用だ。これは割と厳密な規則だから気をつけてくれ」

「はい」

「リリア、私も絶対によそでは喋らないから、聞かせてほしいことがある」


 アイディティアの真剣な眼差しを受けてリリアが姿勢を正す。声のトーンをひとつ落としてアイディティアは続ける。


「私は―――若い娘の恋バナが聞きたいんだ」

「……………

 え?」


「いやぁもう、王様生活は無味無臭でつまらなくてな」

「え? え?」

「なにかこう、甘酸っぱいやつが聞きたい」

「え? え、あの、わたくしの?」

「他に誰がいる」


「わ、わたくしの……あまずっぱい、こいばな……」


 途方に暮れるようなリリアにアイディティアは笑う。


「マティアス殿下とは、甘い恋はしてないのか」

「………わたくしたち、最初から、離婚する予定なので……」

「なんだその面白そうな話は」

「その、利害の一致というか」

「仲良さそうなのに」


 聖都までの道程でも仲睦まじかったようだし、アイディティアが見た二人の言動は信頼し合っている夫婦に見えた。

 差し出したバター茶を両手で受け取って、リリアは困ったように答える。


「仲良しですけど、………マティアス様は、未成年を相手にはなさらないので」

「未成年なんか、放っておけば成年になるじゃないか」

「そう、なんですけど」

「マティアス殿下は大層強いらしいな。ハラル人の娘なら皆惚れるぞ。

 リリアは、他に好いた男でもいるのか」


「わたくし、は、………マティアス様が、好き、です、けど」


 リリアの頬が仄かに染まる。

 ヴィリテ人の白い肌はこういう変化が分かりやすくて可愛いと思う。


「―――潤うなぁー。もう一回聞かせてくれ」


 しみじみと言うアイディティアに、リリアが呆れた顔で眉を寄せた。


「陛下………おじさんくさい………」

「失礼だな。五人も子どもを産んだれっきとしたおばさんだぞ」

「神様、おばさんで、よろしいんですか」

「そなたはハラル人じゃないだろう。

 だから私はそなたの神ではない。

 ただの愛人だから、おばさんでいい」


 口に出して言ってみると、本当に格式張らなくて良いのだと実感できて、アイディティアは肩の力を抜いた。


「………リリア」

「はい」

「伝えられる時に伝えないと、機会を逃すよ」

「………そう、ですね。

 でも、マティアス様を困らせてしまうので、離婚するまでは、言いません」


 尋儀でも散々思ったが、この少女の自制心はとても年相応のものではない。言わないと決めたなら、本当に言わないのだろう。

 アイディティアから見れば、マティアス殿下も満更でも無さそうなので勿体無い気がする。


「殿下のどこが好きなんだ?」

「陛下、わたくしに聞いてばっかりでずるいです」

「ずるくない。私にはそんな楽しいネタは全然ないから、持ってる人間が全部出せば良い」

「そんな」


 呆れ顔のリリアに笑って、アイディティアもバター茶を啜る。こってりとした熱が喉を抜けて身体を温めた。


「まぁ、いい旦那なんだろうな。文句のつけようも無さそうだ」


 そう言うと、リリアは少し不服そうに口を尖らせた。


「……わたくしは、今回ばかりは、酷い夫だと思いました」

「そうなのか?」

「だって、妻のわたくしに『自分の首を高く売ってこい』って……それは、ヴィリテのためにはそうなんですけど、わたくしも気持ちを隠してるので仕方ないんですけど、………流石にちょっと泣くかと思いました」

「ほらな」

「え」

「気持ちを伝えておけば、あほかって引っ叩けるのに、秘密にしてるとそうなる」

「……でも、マティアス様、知ってても言いそう……」


 残念そうに呟くリリアにアイディティアは笑う。


「リリアの気持ちを知ったらどんな顔するのか見てみたいな。離婚するまで二人とも息災で過ごせ」

「はい。

 マティアス様を、残してくださって、本当にありがとうございました」


 本来マティアス殿下は二日後の儀式で天へ還るはずだった。尋儀で決定したそれは、何百年も守られてきた戒律に絡め取られ、最早誰にも止める事は出来ないと思われていた。


「―――私も、私の命の恩人なんだからなんとかならないかとは問うたが、戒律を調べあげて今回の措置を提案してきたのはラジブ儀長だよ」

「え」

「意外だろ」

「あの……はい、尋儀では、ラジブ様は、一番お怒りが大きかったように見受けられました」

「うん……あいつはな、シンをとても可愛がってくれていた」


 遺体が運び込まれた時、外聞も気にせず誰よりも泣いてくれた。立場上泣き崩れる訳にいかないアイディティアの分まで泣いてもらった気がして、少し心が救われた。


「ラジブは、マティアス殿下が私に言った言葉が刺さったようで、夜なべして経典をめくっていた。もう無理もきかない歳なのに」

「マティアス様が?」


「殿下は私に、自分はシンのところへ行くから伝言を預かる、と言ってくれた」


 リリアの青い目が大きく開く。


「そなたの夫は、強くて優しい男だな」

「………はい」



 器が空になり、温まった身体が冷えないうちに二人で寝台に潜り込む。


 三年前に夫であった先王が身罷り王位を継いでから、誰かと床を共にするのは初めてで、久しぶりの人の体温が不思議な感じがする。

 こんな年若い少女が、神殿の重い空気の中、何時間もの問答を凌ぎ、彼女にとっては神でもないアイディティアを救う為に猛毒を含んだという事に、アイディティアの心は未だに新鮮な驚きを感じる。


「私の命を救ってくれた事、改めて礼を言う。

 イドゥ・ハラルは今、第三位がいない。指名する前に私が死んでいたら、大混乱になるところだった」


 イドゥ・ハラルの王位継承者は、八曜の承認を得て王が指名する。子や兄弟を指名する場合が多いが、そうでないこともあり、アイディティアのように女性が選ばれることもあった。


「あの、本当に、賭けだったので、大袈裟に受け取らないでくださいませ。毒が相殺するのも仮説だったし、分量も分からなかったし……陛下の豪運に、わたくしこそ驚いているところです」


「それでも、そなたが救ってくれたことに変わりない。シンの葬儀の準備だけでも大変なのに、私の葬儀まで被っては、八曜の年寄りどもが過労で空に付いてきてしまうところだった」

「陛下、悪趣味な冗談はお控えください……」


 からりと笑うアイディティアをリリアは困った様に睨んでから、躊躇いがちに申し出る。


「……あの、陛下」

「うん?」

「………陛下は、ちゃんと、泣きましたか?」


 驚いて見つめると、青い瞳は真摯な色でアイディティアを写していた。


 イドゥ・ハラルでは、王とは神。

 不安定になることは好まれる事ではなく、我が子を失ったアイディティアに、民は、神の子を失った人民の心を憐れむよう求めた。

 ―――それは当たり前の事だったので、アイディティアは哀しみに耐える人々を慰めてきた。


 リリアの言葉を噛み締める。人として慮られることは、とても心地よいものだと、久しぶり思い出す。


「……そんな余裕もなかったなぁ。

 一部の人民はヴィリテに攻め込むって熱くなってたし、八曜も意見が割れて揉めてたしな」

「泣ける場所が必要ではございませんか? わたくし、うずめるほどの胸は持ち合わせがございませんが、よろしければお貸しします」


 リリアは白い手でアイディティアの褐色の手を握る。その手を軽く握り返す。


「………ニティ、と呼んでくれないか」

「ニティ様?」

「私が人だった頃の名だ。

 今はもう誰も使わない。

 今は泣いている余裕はないが、この世界に人だった私を呼ぶ者がいれば、それは慰めになる」

「ニティ様」

「閨の外では、内緒だ」


 頭を寄せ、人差し指をリリアの唇に添えると、リリアは逃げるように布団に顔を隠した。


「ニティ様、そういうこと、なさらないで……どきどきしちゃいます」


 一瞬きょとんと目を瞬いたアイディティアは、布団ごとリリアを抱きしめた。


「可愛いな!

 マティアス殿下は一緒にいるのにこんな顔も見れないんじゃ可哀想だな」

「そんなこと、ないと思いますけど」

「よし、じゃあ恋バナ始めるか」

「えっ」

「眠くなるまで聞く。

 どうぞ」

「えぇぇ………」


 とっぷりと暮れた夜の中、リリアの困惑した呟きが寝室に響く。

 一生懸命ネタを探している可愛い愛人に、アイディティアは楽しそうに笑う。明日からはまた厳しい国勢に向き合わねばならない。


 締め切った窓の木枠が外の冷たい風でかたかたと鳴る。イドゥ・ハラルの厳しい冬が間近に迫っている。

 今年は穀物の収穫が悪く、冬を越せない民が出てくる。普段砦から出ないシン王子が慰問に回っていたのも、人民の不安を和らげるためだった。イドゥ・ハラルはどんな国にも貸しも借りも作らない。支援を頼むつもりもなく、またそんな当てもない中で、戦争を始めれば人民の被害は比べものにならなかっただろう。ヴィリテ王国が原因とはいえ、戦争を回避する為に首を差し出してくれたマティアス殿下には感謝しかない。

 助けることができて本当に良かったと、胸を撫で下ろした。



 一月後ヴィリテ王国から「シン王子の御心の為に」とマティアス名義で相当な量の穀物が届けられることを、アイディティアはまだ知らない。




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