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王甥殿下の幼な妻  作者: 花鶏
最終章
89/109

05



 リリアの寝室へ続く部屋で祈るように両手を合わせ、マティアスは長い時間じっと座っていた。


 マティアスに呼ばれたカロリーナは、他の使用人は呼ばず、荒れたリリアの寝室からマティアスを叩き出した。

 ひとりでリリアの介抱をしながら部屋を整えているであろうカロリーナに全て任せているが、隣室から動く気にはなれなかった。



―――リリア……



 浅くなる呼吸を何度も整える。


 状況から、自分が何をしたのかは想像がついた。


 裸の自分と、乱れた寝具。ぐったりと横たわるリリアの細い手首にはマティアスのものと思われる指の跡が痣になっていた。無惨に引きちぎられた繊細なレースの寝衣、はだけた上半身の首筋から胸元にかけて花を散らしたように存在を主張するいくつもの鬱血痕。


 そして、薬に意識を奪われる前、


 確かに自分はそれを望んでいた。



 思い返して拳を握り締めると鋭い痛みが走る。マティアスの右掌には深い切り傷ができていた。全く覚えていないが、寝台の脇机の花瓶が床で割れていたのでそれで切ったのだと思う。

 恐らくリリアが抵抗したのだ。

 シーツの乱れが、抵抗の激しさを物語っていた。


 ―――抱かれる覚悟で嫁いできたと言っておいて、やはり嫌だったんじゃないか。なぜちゃんと内鍵をかけていなかった。


 鍵をかけていたとて蹴破ったかもしれないが、少なくとも誰かが駆けつけた筈だ。



 寝室の扉がゆっくりと開いた。

 座ったままのマティアスに、丸めたシーツを抱えたカロリーナは普段より慇懃な声音で声をかけた。


「―――リリア様がお目覚めです。

 まだお体を動かすのはお辛そうなので、そのつもりでお会いください」


「……会ってもいいのか」


「リリア様がお通しするようにと」



 必要ならお呼びくださいと退室するカロリーナと入れ替わりに寝室に入る。

 床に散っていた花も花瓶も片付けられ、寝具も新しいカバーに替えられ、暖められた部屋は普段の様子を取り戻していた。


 枕元に行こうと思うのに、見えない壁に阻まれるように寝台までの数メートルの距離が縮められない。


「マティアス様。お待たせしてしまったようで申し訳ありません」

「リリア、起きなくていい」


 何もなかったかのように声をかけてくれるリリアに、膝をついて謝りたい衝動に駆られる。


 ―――謝って、どうするのだ。

 自分は、最も王太子に近い王甥であり、

 夫であり、

 彼女を金で買ったも同然の男。


 自分が謝れば、彼女には赦すと答える以外の選択肢などないのに。


 この胸の痛みは、こんな年若い少女を抱きたいなどと思ってしまった罰なのか。俺への罰に、何故彼女が巻き込まれなければならない。


 奥歯を噛み締めて言葉を探したが、上手い言葉が見つからず、マティアスはただ佇むことしか出来なかった。強く握り直した右手の疼きすら遠い。


「マティアス様、カロリーナが白湯を置いていってくれました。こちらで召し上がりませんか?」


 寝台脇の椅子を勧められて漸く足を動かす。


「右手の傷の様子はいかがですか?」

「貴女こそ、……身体は、どうなんだ」

「わたくしはどうと言うことはありませんので、どうぞお気になさらず。お仕事お忙しいのではないですか?」

「そんなことは気にしなくていい」


 身体は辛くはないのか。

 心は、辛くないはずがないだろう。

 ―――俺の顔を見るのは嫌ではないのか。


 手首に巻かれた湿布が痛々しい。


 喉から出そうになる、すまない、という音を飲み込む度に呼吸が浅くなっていく。

 リリアの痛みを思うと、不覚にも涙が溢れた。



「あの、………未遂ですよ?」


 こちらを覗き込むように言うリリアの言葉にマティアスは弾かれたように頭を上げる。


「覚えていらっしゃらないですか?

 昨日、ご様子がおかしかったですが、そのせいですか?

 未遂ですよ」


「………そんな筈ないだろう」


 あの状況で未遂だなどということがあり得るのか。


「覚えていらっしゃらないんですね」

「………貴女を、組み敷いたのは少し覚えている」

「昨日マティアス様は―――」

「待て、言わなくていい。ガイシャが犯人に状況説明するなど……告訴なら後でエルザに」


「………ガイシャ………」


 なんだその呆れたような顔は。自分のことだぞ。


「マティアス様、未遂ですよ」

「そんな筈ないだろう!」

「では、医者を呼んでください。調べればすぐ分かることです。だいたいわたくし、下着を着けたままではありませんでしたか? マティアス様はいつも、上はビリビリ破いておいて、事後に下着だけ穿かせるんですか?」


「なんで貴女はいつもそう沈着なんだ!」


 思いがけず大きな声を出してしまったマティアスは慌てて声を落とす。


「すまない、だが、……信じられない。

 貴女を組み敷いていた時、俺は、貴女を……抱くことしか、考えていなかったと、思う」


「頑張って抵抗しました」

「貴女の抵抗で俺が止められる訳ないだろう」

「抵抗したら、マティアス様、やめてくださいました」

「だが、目覚めたとき、腕の中にいたじゃないか」

「抵抗すれば止まってくださったので、ずっと腕の中で抵抗してました」

「だが……だがカロリーナが、動くのが辛いと」

「筋肉痛と捻挫です。

 ―――わたくし、別にお相手するのは構わないし、抵抗しなくても良かったんですけど」

「おい」


 けろりととんでもないことを言う。

 いつものマティアスなら小言を言うところだが、今回ばかりは流石に自分を棚に上げることは出来なかった。湿布を巻かれた手首が寝台から伸びてきて、包帯が巻かれたマティアスの手の甲にリリアの指先が触れた。


「ご様子がおかしかったので、あのまま抱かれたら―――マティアス様が、こんな風に泣いてしまうのではないかと思って」


 可憐な指がマティアスの無骨な手を労わるように撫でる。


「だから頑張りました。褒めてくださると嬉しいです」


 そう言ってリリアは誇らしげに笑んだ。




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