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王甥殿下の幼な妻  作者: 花鶏
第六章 王甥殿下の責務
77/109

07







 長い尋儀の後、客間に戻され、扉が閉められる。

 外から錠をかける音が重く響いた。


 固い寝台に腰掛けるマティアスの横で、リリアは机に手をついて大きく息を吐いた。


「おつかれ、リリア。

 一人で大変な思いをさせてしまってすまない」


 リリアは疲労からか青い顔をしていた。


「合意書は、俺は確認できるのか?」


 休ませてやりたいとは思いつつも、自分も何も分かってない訳にいかずマティアスは問う。


「明日までに、共通語で作成してもらいます。

 二部作られるので、内容を確認したらアイディティア女王陛下と連名で署名してください」

「分かった」

「署名の場にはわたくしは同席できません。今日の話し合いの結果をご説明しますので、覚えてください。

 万が一、向こうから何か違う説明をされても、わたくしの言葉を信じてください」

「うん」


「まず、マティアス様は六日後に殺されます」

「そうか」

「ご遺体はこちらで埋葬されます」

「うん」

「ほか、イドゥ・ハラル王国が矛を収めるための条件は五つ。

 ヴィリテ国王は今回のことについて正式に謝罪し、シン王子に哀悼の意を表すること。

 来週末までに国境の兵を引くこと。

 原因の侯爵の処分はイドゥ・ハラルに一任すること。

 来週末までに緋色の反物を五千本、金の反物を千本用意すること」

「反物?」

「シン王子の葬儀で国中が一週間喪に服す間、街に掛けられるものです」


 なるほど、リリアが持ってきた布はこれか。


「最後のひとつは?」

「今後、外交窓口として、わたくしをご要望です」


「………賠償か、他の仇首の話は」

「ありません」


「……そう、なのか。

 俺ひとりの首で足りるとは思わなかったが」


「仇首としては、マティアス様おひとりでは釣り合いません。

 今回のことは不幸な事故、両国に敵対する理由はなく、マティアス様はシン王子の安寧のためお供する、そういう話で決着がつきました」


 リリアは淡々と、尋儀の要約を説明してくれた。

 そもそも、儀長たちの間でもヴィリテと交戦することに積極的な者は少なかったという。ヴィリテとの関係は何年も穏やかなものであったし、その地理的関係から、戦っても簡単には決着もつかず双方疲弊するだけなのが目に見えている。なにより、今回の事件にヴィリテ王国の恣意は無かろうというのが多方の見方であった。


「イドゥ・ハラルでは、王族に殉死することはとても尊いこと。それを、哀しい事故に心痛めた隣国の貴人が務めるというなら、国として、哀しみは心に収めるとの女王陛下のお言葉です」


 シン王子は亡くなった翌々日に荼毘に付されており、今はその魂を依代に宿している。

 マティアスは六日後の儀式で、死後の王子の輔けとして、王子と共に天に還ると定められた。


 喪中に掛けられる長布は、人民は黒、貴人は青、王と王太子は緋と金。これは生前に親しかった者が用意する慣しで、これをヴィリテに用意させるのは寧ろ女王の配慮のようであった。


「マティアス様のための青い布は、女王陛下がご準備くださいます」


 ただ報告をする様にリリアは語るが、きっとこれはリリアがもぎとった成果なのだと思う。

 話し合いが始まった頃は、半数近くの老人が糾弾や誹謗の口調で怒りを露わにしていたのだ。そんな、女王を含めた二十人以上の大人を相手に、六時間。穏やかで慎ましい口調を崩さず、たった十五の少女が、ひとりひとりに丁寧に受け答えをしていた。


 ヴィリテの王宮ですら、あと誰の首までなら許容するか、いくらまでなら払うかというレベルの話をしており、差し出された者は異国の異教徒の祭壇で憎しみの対象として首を晒される筈だった。

 それをここまで引き上げたのは、驚嘆の一言に尽きる。


「……言葉が分からなくて残念だ。

 きっと、俺の嫁は世界一かっこよかったのに」


 真面目な顔でそう言うと、リリアの表情が少し緩んだ。


「……マティアス様。今は観客がいないので、そういうこと言わなくて良いんですよ」

「本音だからしょうがない」


 いつものように笑ってくれるかと思ったが、リリアはまた表情を固くした。


「疲れたろう、横になってるといい」


 マティアスは寝台の端に寄り、リリアを招く。

 狭い客間には通訳用の寝台も設置してあったが、マティアスに用意された物とは違いただの木の台で、屋敷の柔らかい寝台に慣れている者が使うと身体中を痛めそうだ。


「これ、あれですね」

「どれだ」

「密室イベントとかで、寝台を譲り合って、結局一緒に寝るやつ……」

「また貴女は、変な本を読んでいるな。

 気にするな。正直、俺は眠れないから、一人で使うと良い」

「眠れない……」

「うん。昨日までは移動で疲れて寝れたけど、今日は座っていただけだし、……残り時間がはっきりして、動揺してる。情けないな」


 リリアは少し考えるようにしてから、マティアスの手を掬い、両手で包んだ。


「……豊満な身体でなくて恐縮ですが、抱きますか?」

「急にどうした」

「前線の男性は眠る為に女体が要ると聞いたので」

「……へぇ。知らなかった」


 本当に貴女は変なことを沢山知っているな、と笑って、マティアスはベッドに掛けたまま、リリアの腰をふわりと抱き寄せた。

 薄い肩に額を落とすと、少し息がしやすくなったような気がした。

 リリアは尋儀に参加するために、もこもこの防寒着を脱いでいたことを思い出す。早く着せてあげなければと思ったが、抱きしめた手が細い身体を放そうとしない。

 冷たい空気の中で、触れるリリアの首筋だけが生きている証のように温かい。


 身動きしなくなったマティアスに、リリアは首を傾ぐ。


「未成年の身体では、お役に立ちませんか?」


 ささくれ立った神経をいつも通りの静かな声が宥めてくれる。


 この華奢な身体を抱きたいかと問われれば、否定することは出来ない。しかしそれは、命が終わる焦燥が掻き立てる暴力性であることを、マティアスは理解している。

 己の中の弱い部分が、それくらいの報奨があっても良いじゃないかと唆す。


 細い腰に巻き付く手に力が篭る。



 ―――手は出さない。

 この人を、絶対にそんな事の犠牲にはしない。



「………貴女には、交渉が終わり次第、ヴィリテに帰って欲しかった」


 マティアスの独り言のような言葉に、リリアは答えずにマティアスの背中を抱いた。


「どういう風に殺されるか分からなかったから、貴女に怖いものを見せたくなかったし……苦しめられて、みっともない姿を見られたくなかった」


 国の為に死ぬつもりではあっても、長い拷問で自分がどうなってしまうのか、それを親しい人に見られる覚悟はマティアスにはなかった。


「儀式でお供するので、恐らく薬です。眠るだけです」

「うん……なんだか丁重に葬られるみたいだから、欲が出てしまった。

 貴女が辛くなければ、最期まで近くにいて欲しい」


「マティアス様、ばかじゃないですか」

「なんだ、ひどいな」

「辛く、ない訳、ないじゃないですか」


「……そうか。すまない」

「でもわたくしも、マティアス様平気そうで、ちょっと頭おかしいんじゃないかと思ったので、おあいこですね」

「ひどいな」


 マティアスは軽く笑う。

 抱きしめてくれるリリアの手に、なるほどこれは眠れるのかも知れないと思う。


「……怖いし、理不尽だと思う。

 でも、俺が逃げたら戦争になる。

 ―――それは、国中で、こんな理不尽が日常になるということだ。その責任に耐えられるほど、俺は強くない……」



「申し訳ありません」

「なにが」


 顔をあげると、リリアの青い目が真っ直ぐにマティアスを見ている。


「外交窓口を務めることになったので、お供できません」

「馬鹿なことを考えるな。

 ―――貴女が無事に帰れることになって、本当に良かった。また貴女を自由にできる時期が遠のいて、すまない」

「……敬愛するマティアス様のためですもの、お役に立てるなら嬉しいですわ」

「観客もいないのに、茶番をやるな」


 リリアの柔らかい髪をくしゃくしゃと掻き混ぜる。リリアは困ったような眉のまま、今度は少し笑ってくれた。それに応えてマティアスも笑う。


 このやりとりをするのも、おそらくこれが最後だろう。


 結局、この日は、二人で寝台で眠った。




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