03
「もう一回言おうか。
―――やな、こった」
リリアの部屋で、靴を脱いで寝台に転がりながらアーネストは吐き捨てた。
「………アーネスト。人の妻の、寝台に上がるな」
マティアスとリリアの座る茶卓に寄り付きもしないアーネストに、マティアスは溜め息を吐く。
「ばーか、なんで俺がヴォルフ様の世話をしなきゃならないんだ、ばか」
「アーネスト、頼む。
俺がいなくなったら、ヴォルフは暫く荒れると思う。クラウディアは、どこにでも付いていってやれる訳じゃない。
お前だったら、隣でフォローできるだろう?」
「あんな可愛くない餓鬼の面倒なんか見れるかよ」
「アーネスト、流石に不敬だぞ」
「ご主人様、かの聡明で自立心の高い王太子様の侍従など、わたくしめの器では務まりません。何卒御容赦くださいますよう、平にお願い申し上げます」
「アーネスト……」
王太子ヴォルフには、国民や他国の要人に見せている王族然とした顔と、城内で見せている冷徹で容赦のない独裁者の顔がある。――それとは別に、子どもっぽく繊細な一面を、マティアスとクラウディアの前でだけ出している。
マティアスと始終一緒にいるアーネストは、それを知る数少ない人間のひとりだった。
「ほら、マティアス様。きっと怒りますよって言ったじゃないですか」
「そうだが……他に頼める相手もいないし」
マティアスのイドゥ・ハラル行きが決定してから出発まで一日半しかなく、残された時間はあと半日しかない。
業務の引継ぎは他の官吏に任せて、マティアスはリリアと出発の準備をしていた。
結局、通訳にはリリアが選ばれた。
数少ないイドゥパクタル語の話者のうち、他の誰も、片道切符の馬車に乗ってもいいと手を挙げる者がいなかった。
出発後のこまごまとした事をアーネストに頼もうとしたら、事情を聞いたアーネストは、もう辞めた、と宣言してリリアの部屋に居座った。
「……王太子の侍従なら出世なのだし、アーネストがヴォルフを宥めてくれれば城の皆が助かるんだが」
溜め息を吐くマティアスをアーネストが睨む。
「―――俺は、お前だから面倒見てたんだよ!
身代わりにお前を差し出す奴らの事なんか知ったことか、ばーか!!」
マティアスは、こんな子どものような怒り方をするアーネストを見たのは初めてで、どう対応すべきか分からなかった。
「マティアス様。無理強いは、アーネストが可哀想です」
「リリアちゃん、もっと言ってやって」
「それに、アーネストは、ヴォルフ様のフォローは出来なくはないと思いますけど……アーネスト、ヴォルフ様のこと、好きじゃないですよね?」
「当たり前だ」
「えっ、そうなのか?」
「多分、ヴォルフ様もアーネストのことそんなに好きじゃないです」
「えっ、そうなのか??」
「マティアス様、鈍い……」
「見りゃ分かるだろ……」
二人にジト目で見られて、マティアスは複雑な顔をする。
「そうなのか……じゃあ、しょうがないな……」
「話はそれだけか」
リリアのフリルの枕を抱きしめてアーネストはじろりとマティアスを見た。
「えー、ええと、そうだな、
今までありがとう」
「あとは」
「元気で」
「終わりか」
「……うん」
「じゃあ、帰るわ」
靴を履き、すたすたと扉へ向かう足をマティアスの横で止めて、アーネストは足を茶卓の縁に乗せ、勢いよくひっくり返して出て行った。
想定外のことにマティアスは呆然とする。
「………なんだ……めちゃくちゃ、機嫌が悪いな……?」
「マティアス様は来ないでくださいね」
リリアがアーネストの後を追った。
渡り廊下の下の中庭で、アーネストはベンチに座っていた。
「アーネスト」
リリアが声をかけると、アーネストはいつもの笑顔ではなく、剣呑な目線だけでリリアを見る。
「アーネスト、大丈夫ですか?」
「………リリアちゃんは、帰ってくるの?」
「合意がとれたら、合意書を持ち帰る人間がいるので帰ってくると思います」
「マティアスが、帰ってくる可能性はないの?」
「難しいです」
「そう………」
リリアは、アーネストのこんな暗い声を聞いたことがなかった。
「………アーネスト」
「なに?」
「抱きしめても良いですか?」
「えー、そんなの、いつでも歓迎」
へらりと笑って、アーネストはリリアを軽々と膝に乗せた。
「お、ぉお…?」
「なにその反応」
「いえ、ちょっと、この体勢は想定外というか」
リリアは斜めになった体勢を直して、アーネストの膝に座り直す。
「では、失礼して」
「そんな業務口調で抱きしめられるの、俺、初めてだわ」
リリアがアーネストの首に腕を回すと、アーネストも優しくリリアの身体を抱き締めた。
「………行ってきます」
アーネストの腕に力が篭もる。
「帰ってきてね」
「アーネストの分も、頑張ってきますね」
「うん……マティアスを、頼む」
「はい」




