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マティアスの屋敷に到着し、馬車はマティアスとリリアを門で降ろして、そのままマーリンをビュッセル伯爵邸へ乗せて行った。
暗くなった門からの庭園の道を二人で玄関まで歩く。
庭師のケルビーが整えた花壇で、徐々に蕾を開き始めている色とりどりのチューリップが外灯に照らされている。
「王都はチューリップが咲くのが早いですね」
「アルムベルクでは違うのか」
「アルムベルクでは、来月くらいからでしょうか」
リリアの故郷は遠く、昨夏に訪れて以降は里帰りさせてやれていない。遠方へ嫁ぐ女性の常とは言え、申し訳ない気持ちになる。
「今度アルムベルクに行ったら、領都以外も案内してくれるか」
「領都にもそんなに何もないですけど、領都以外は山しかないですよ」
「そうなのか」
「そうです。将来、帰ったら、わたくしお仕事見つかるかしら……お父様たちに迷惑はかけられないので、住むところも探さないと。
学園で住み込みで働きたいけど、コネ採用してもらえそうで、頼みづらいです」
「……いつ帰してやれるか、まだ分からないぞ」
「承知してます。もう帰れないと思って嫁いだので、いつか帰れるだけでも嬉しいです。
―――領都の北の山に、学園創設者の方々の廟があるんです。帰ってきましたって、挨拶に行きたいです」
「じゃあ、次の里帰りではそこへ行こう」
「ほんとですか?
小さいですけど、歴史のある廟なんですよ。初夏には白い小さな花が咲いて……雨に濡れると花びらが透明になって、幻想的で」
遠くを見るように歩いていたリリアが、視線を上げてマティアスを見上げる。
「離縁したら、王族と没落貴族では、簡単にお会いする事も出来ませんね」
「あっさり言うな。俺は、貴女と会えなくなるのは結構残念なんだ」
「わたくしだって、マティアス様と会えなくなるの、寂しいですよ」
「そうなのか」
「そうですよ。
マティアス様も、アーネストも、カロリーナも、エルザも……会えなくなるの、寂しいです。当たり前じゃないですか。今はアレクシスも王都にいるし」
「―――なら、このまま王都にいれば良いじゃないか」
マティアスの言葉に、リリアはきょとんと目を瞬く。
「王都で再婚した方がいいですか?」
エアハルトとの再婚話の時もそうだったが、リリアの中にはマティアスと離婚しないという選択肢はないらしい。
「ご命令なら、そうします」
「そんな命令はしない」
「ご命令じゃなくても、マティアス様のご希望がそうなら、そうします」
「……貴女は、どうしても帰りたいのか。
たまに里帰りでは、足りないか?」
リリアには、リリアの幸せがある場所で生きていって欲しい―――マティアスの隣は、その場所にはなり得ないのだろうか。
そんなマティアスの思いも知らず、リリアはマティアスから視線を外さないままきっぱりと答えた。
「わたくしにとっては、アルムベルクが生きる場所です」
断固とした口調。
漸く十五になったばかりの少女がどうしてこうも強くあれるのかとマティアスは不思議に思う。
無意識にか、リリアの白い手が胸のロケットに添えられている。
「…………貴女が帰りたいなら、そうするのが俺の希望だ」
そう答えるマティアスに、リリアは微笑む。
「マティアス様は、お優しいですね」
「そう言ってもらえるのは嬉しいんだが、たまには他に褒めるところないのか」
「え?」
「貴女はいつもアーネストやアレクシスのことはベタ褒めなのに、もうちょっと夫に対して妻の欲目があってもいいんじゃないのか」
「…………」
十も歳下の少女に賛辞をねだるマティアスに、リリアはぽかんとしてから、片手を高く挙げて宣言した。
「わたくしの旦那様は、ヴィリテで一番かっこいいです!」
「よし」
「世界一いい男です!」
「もっと言ってくれ。
一応俺は王族だぞ。もっと皆、おべっかを使ってもいいものじゃないのか。どいつもこいつも辛口で虐めてくるのはなんなんだ」
ぐずりだしたマティアスに、リリアは吹き出し、何か言いたげにくすくすと笑う。
「なんだ」
「マティアス様、可愛い」
「………褒めろと言っているのに」
苦い顔で不満を溢す。
ますます笑いの止まらない妻の髪を大きな手でかき混ぜると、リリアは楽しそうな悲鳴をあげてするりと逃げた。
ゆっくり歩くマティアスの周りを、手が届くか届かないかの位置でちょろちょろする。挑発するような仕草が可愛くて、いつの間にか先程までの重い気分が軽くなっているのに気付く。
「―――リリア」
「はい」
「十五歳、おめでとう」
リリアは目を見開く。
「もしかして、今日連れて行ってくださったの、誕生日だからですか……?」
「うん。対価が貴女を紹介することだったので、俺からのプレゼントとは言えなくなってしまったけどな」
リリアの足がゆっくり止まる。
「―――ありがとうございます」
「うん」
「わたくし、マティアス様の妻で、幸せ者ですね」
「………そうだといいと、思っている」
当初見込み通りなら、リリアの誕生日を一緒に過ごせるのは、あと二回か三回だろう。
それが過ぎれば、きっと何年かに一度しか会えなくなる。お互いに新しい伴侶を得れば、二度と会う事はないかもしれない。
ずっと隣にいることが叶わないなら、せめて、リリアにとってこの何年かが楽しい思い出であれば良い。思い出の中の王都が―――マティアスが、リリアにとって幸せな記憶であって欲しいと、そう思った。
第五章終了です。




