07
翌週、三日ぶりに王宮に出仕したマティアスは王宮内をうろうろしていた。
「ルーカス、忙しいところすまない、少しいいか」
王都の逓信部の視察から戻ったルーカスを見つけて、マティアスは遠慮がちに声を掛ける。宰相室の若きエリート官僚であるルーカスは、帽子を脱ぎながらマティアスの方へ歩いてくる。
「殿下。どうしました?」
「貴方はシュヴァルツマン伯爵と懇意にしていると聞いて……」
「あのジィ様、とうとうなんかやらかしました!? 殿下、あの人は偏屈で口が悪いだけで、悪人ではないんです、寛大な処置を」
「いや、違う。
個人的に頼みたい事があって……もし可能なら、仲介をお願いできないだろうか」
ルーカスの言う通り、シュヴァルツマン伯爵は偏屈なことで評判で、社交界にも姿を現さない。領地も持っておらず、何代か前に興した皮革の商いで生計を立てているため、年に一度の領主会議にもいない。伝を探して聞いて回ったが、知らない人間とは会わないだの、知らない人間からの手紙は読まないだのと、気の遠くなる噂話が聞こえるばかりだった。
やっと見つけた伝が親しく声を掛けられるルーカスだったのは幸運だった。
「シュヴァルツマン伯爵に頼み事……殿下が?」
「うん」
「あー……あの人に頼み事なんて、あれしかないですよね。時々仲介頼まれるんですけど、叶った人いませんよ。
僕も嫌われたくないんであまりしつこくは聞けないし」
「そうか……」
誰とも交流のないシュヴァルツマン伯爵は、歴史の学術誌に偽名で寄稿することが趣味だった。掲載された伯爵の仮説にルーカスが紙面で反論したのがきっかけで、今ではそこそこの交流があるらしい。
「……大サービスで、念入りに頼んでみてあげましょうか?」
「本当か」
「その代わり、僕、殿下の秘蔵の新人君に会ってみたいなぁ〜」
言われるような気はしていた。
男性名の通名を使ってマティアスの仕事を手伝っているリリア。一切表に出てこないマティアスの臣下に、ルーカスは興味津々なのだ。
「……誰にも言わないと約束するなら、会わせてもいい」
「やった、楽しみにしてます。
多分伯爵の方も大丈夫ですよ」
「しかし、叶った人はいないんだろう?」
「ふふ、殿下なら、僕、売り込むアテがあるんです。
去年、学園に予備費をとってほしいって宰相室でやりあってたでしょう。ユルゲン宰相にコテンパンに言われても食い下がってたって話をしてた時、見所ある若者だって褒めてましたよ」
「伯爵が?」
「ええ。そんな状態だなんて知らなかったって、学園に寄付送ってました。あの人、お金ないのにね」
思い出すように目を伏せてルーカスは続ける。
「僕の寄付も、ほんとに気持ちだけど一緒に送ってもらいました。
アルムベルクの財政難については知ってましたけど……学園の閉鎖に繋がるってピンときてなかった。なんでかな、すぐ分かりそうなものなのに―――学園は過去からずっとあって、この先も僕たちが皆いなくなってもずっとあるものだと思い込んでた。
殿下はリリア様にお聞きになったんでしょうが、周知してくれてほんとに良かったです」
「………そう、なのか」
「あまりご興味のある分野じゃなさそうだったのに」
「いや、恥ずかしながら全く興味なかった。リリアの話を聞いて、なんとなく残した方が良いものなんじゃないかと思っただけで」
ルーカスが目を丸くする。
「あんなに推して、価値のない話だったらどうするつもりだったんです?」
「価値がないなら宰相は通さないよ」
「……その程度の認識でよくあの人とあれだけやり合えますね」
「あの人はいつもあんなものだろう」
「………いやぁ、僕だったら、あんな嫌味の滝行させられたら次の日から休むわぁ……」
「俺もちゃんとヘコんだぞ。でもまあ、取って食われる訳でもないし」
「殿下、身体もタフですけどメンタルも相当タフですよね」
「そうか? 貴方だって王族の俺に言いたい事言うじゃないか」
リリアが来る前は、マティアスの書類は決裁者の記名も曖昧なままそっと差し戻されるばかりで、面と向かって不備を指摘してくれるのはルーカスくらいだった。
―――今なら、ルーカスは殆どマティアスの書類の決裁ルートには居なかったのに、わざわざ首を突っ込んでくれていたのだと分かる。
「僕はちゃんと相手を選んでます」
「そうなのか」
「殿下はね、誰の言うことでも価値があれば拾うし、なければ相手にしないでしょう」
「当たり前の事だろう」
「普通は目上の人からの言葉を否定するのは怖いものだし、目下の者の助言を呑むことはプライドが傷つくんですよ」
「俺だってそうだ」
父である王弟や宰相にされる助言は素直に聞けるマティアスも、初めてリリアに書類を整えられた時には、それなりに頑張っていたこともあってプライドが傷ついた。今ではすっかり相談役にしてしまっているが、当初は年端も行かない少女の聡明さに感心する度に悔しさが滲んだ。
プライドを優先させた結果損なわれるものがマティアスの財産だけならリリアの意見を汲むことは出来なかったかもしれない。マティアスの仕事は、王族としてのものも官吏としてのものも多かれ少なかれ国民の生活を左右するものであり、より良い意見を選ぶ義務があったというだけだ。
「誰もが殿下みたいに、その感情のフィルターを外して判断できる訳ではないし、できたとして、それを抑えて行動できるほど強くないんです。
アーネストか僕がいる所でならフォローを期待して良いですけど、殿下が思っているよりも人は弱いものだと知っておいてください」
アーネストにいつも鈍い鈍いと言われている事を思い出す。自分の傷に鈍感だから他人の傷にも気付けないのだろうか。
「……ルーカス」
「はい?」
「俺はこういう生まれだから、将来、かなり偉くなると思う」
「今でも十分偉いんですけどね」
「どんな立場になっても、貴方なら必要な指摘をくれると期待している。よろしく頼む」
ルーカスは目を瞬いてから悪戯っぽい顔でマティアスを見た。
「殿下の側近にしてくれてもいいんですよ」
「身内ばかり固めてもしょうがない。貴方には、官僚の側にいて欲しい」
「あっさりフラれた………じゃあ、僕はこっちで殿下の隣に立てる位置まで頑張らないといけませんね」
「うん」
「簡単に言いますけど、平民の競争は凄いんですからね」
「俺も貴方の努力に見合うよう努める」
「殿下って変な王族ですよねー」
会話が砕けてくると語尾を伸ばしがちなルーカスに、マティアスは、ふとアルムベルクのムクティを思い出す。
ムクティも、何を言っているのか良く分からなかったが歴史っぽいことを研究していると言っていた。いつもにこにこしているところも良く似ている。
ルーカスをリリアに会わせてみたら、存外仲良くなるのかも知れない。
 




