03
夜、久しぶりの実家から戻ってきたアーネストが事の顛末を聞いて呆れた声を出す。
「大した事じゃないだろ。
神妙な顔してるから何かと思った」
勝手に棚を漁って高いワインを引っ張り出すアーネストをマティアスは複雑な目で見る。
「………お前は、アレクシスが屋敷に出入りすることは、どう思う?」
「そのうちやめさせようと思ったよ。
リリアちゃんの大事な相手にリスクを負わせるのは気が進まない」
「……分かってないのは、俺だけか」
床を見つめるマティアスにアーネストが苦笑いする。
「だから、もっと権力を振り翳すことも覚えろって言ってるだろ」
「………じゃあ、これで良かったのか……?」
たった十四歳の少女に何もかも捨てさせて泣かせることが正解だったのか。アレクシスに別れを告げるリリアの涙が胸に痛い。
「何をそんな重く考えてるんだ」
「何って、リリアが可哀想だ」
「そりゃそうだけど、しょうがないだろ」
「だが、あんなに仲が良いのに」
「高々あと三、四年の話だろ」
アーネストの言葉にマティアスは頭を殴られたようになる。
「三、四年……」
「あの歳の女の子にとっては長いだろうけど、過ぎてしまえばたいした時間じゃない」
呆然とするマティアスにアーネストが眉を上げた。
「………なんだ、別れるのやめたのか?」
「………いや、やめてない………うっかりしてた」
リリアの涙に動揺して忘れていた。
リリアは数年後にはマティアスと別れて田舎の公爵の娘に戻れる。
「別にやめても良いんじゃないか? 俺はリリアちゃん、面白くて良いと思う」
「俺が良いとか良くないとかの話じゃないだろう」
「お前、馬鹿か」
「なにが」
「お前が良いかどうかが全てだろ」
アーネストは人差し指でマティアスの胸を叩く。
「俺のご主人様はほんとにぼんやりしてんなぁ。
お前は田舎の貴族の女くらい、一言でどうにでも出来るんだよ。もごもご言ってないで、希望を明確にしろ。俺もカロリーナも身動きとれんだろ」
「………ちゃんと、別れる」
眉間に皺を寄せるマティアスをアーネストが見据える。
「それはお前の希望か」
「リリアと、そう約束した」
「お前の希望を聞いてるんだ」
「………リリアを、アルムベルクに帰してやりたい」
「抱かないまま?」
「別れる前提なのに、手を出したりはしない」
いなくなってしまう事に寂しさを覚えないと言えば嘘になる。
だが、ここに留めることができたとして、あんな風に泣かれて、どうすれば良いと言うのか。
「あっそう。
じゃあ俺もそのつもりでいる。
あの年頃の子はどんどん女らしく育つぞ。
せいぜい花開いてく蕾を指咥えて見てろ」
「十四だぞ。まだ子どもだ」
「あと半月で十五だし、四年後は十八だよ馬鹿」
アーネストの罵言の中に気になる情報を見つけてマティアスは背筋を伸ばす。
「あと半月で十五?」
「あ、しまった、サプライズの予定だったのに」
「別に俺に知られても支障ないだろう」
「どうせ妻の誕生日なんか覚えてない夫を尻目に、俺とカロリーナだけプレゼントを渡すというお前向けのサプライズ」
「…………お前はいつもいつも、どうしてそんな下衆な事を思いつくんだ…………」
「妻の誕生日も覚えてない夫の方が下衆だろ」
ぐうの音も出ない。
誕生日。正直、子どもの頃は大人の交流の出汁にされ、見知らぬ大人に御礼を言い続けるだけの日だった。十八の時は流石に身内で成人の祝いをしたが、当時マティアスは軍の宿舎にいたので、それ以降は何もしていない。
「………別に、俺も去年祝われてない」
自分も誕生日のことなど忘れていた。
「何言ってんだ、リリアちゃんは覚えてたろ」
「そうなのか」
「何度も何か欲しいものないか、して欲しいことはないかって聞いてたのに、お前、別にないって言い続けてたじゃないか」
「…………!?」
「覚えてないのか?
アルムベルクから帰ってきた少し後だよ」
言われてみれば何度か聞かれた気がする。
腕を吊り下げていたので、生活の必需を問われているのかと思っていた。
自分も色んなところで聴き取りが足りないとは思うが、リリアの発言も大概言葉足らずだと思う。
「………アーネスト、お前、気付いてたのに教えてくれなかったのか」
「うん、面白くて、つい」
下衆な侍従を恨んでマティアスは頭を抱える。
「俺、ひとつだけリリアちゃんが物欲しそうに見てたものに心当たりあるけど、俺じゃ手配出来ないと思うから教えてやろうか」
「ほんとか」
「お前の誠意次第だな」
誠意。
嫌な予感しかしない。
しかも唸るほど金のあるビュッセル伯爵家の長男に手配出来ないものが、王甥とはいえ家の財産を自由にできる訳ではないマティアスに手配出来るのだろうか。
「……誠意とは具体的に、何だ」
「内容を聞いてから決める程度の覚悟なら諦めな。
誕生日も覚えてもらえない、旦那を思って行動したら何日も無視された可哀想な奥さんに、誰にでも思いつく無難なプレゼントをあげて、社交辞令のお礼を貰えばいいよ」
数ヶ月前の失態をほじくる意地の悪い侍従にマティアスは歯軋りする。それでもアーネストを責める気になれないのは、もうそういう関係だから、としか言いようがない。―――断じて、彼氏だからではない。
「………教えて、欲しい」
マティアスが恨めしそうに応じると、アーネストはマティアスの事務机を漁り、白紙のメッセージカードを取り出す。
「じゃ、これに『なんでもいうことききますチケット』って書いて署名しな」
「ふざけてるのか」
「嫌ならいい」
「…………書く」
マティアスがカードに生真面目な筆跡でふざけた文面を綴る。
受け取って満足そうにしたアーネストが洒落た縁取りをさらさらと描き足して、チケットは何かの招待状のようになった。
これで、聞いた結果手配出来なかったら目も当てられないな、とマティアスは両手で顔を覆った。
 




