02
翌日もアレクシスはリリアの寝室にいた。
マティアスが、用事がないならついていてやって欲しいと要請したためだ。
寝台で上体だけ起こしてアレクシスと談笑するリリアの部屋を、昨日今日と休暇のアーネストが覗き込む。
「リリアちゃん、体調どう?」
「アーネスト。
熱も下がってきましたし、もう大丈夫です。ありがとうございます」
許可も取らず部屋に入って、アーネストは寝台の横に座るアレクシスを見る。
「リリアちゃん、紹介してよ」
「はい。アレクシス、マティアス様の侍従のアーネストよ」
侍従と紹介されたものの、アーネストの身なりの良さにアレクシスは立場を掴みかねて頭だけ下げる。
「アーネスト、この人はアレクシス。わたくしの大事なお友達なの。あまり意地悪しないでくださいね?」
アーネストはリリアの寝台に腰掛けて面白そうにアレクシスを検分する。
「なるほど、君がマティアスの目の前でリリアちゃんにキスした、命知らずのお兄さんか」
「エルザが怒るから、もうしねぇよ」
「しかもエルザが好きとか、命が幾つあっても足りないじゃん」
けたけたと笑うアーネストに、アレクシスはむっと顔を顰める。
「リリア、こいつ殴っていいか」
「だめよ。アーネストの気遣いは女の子にしか発動しないから、しょうがないの。
それに、アーネストはマティアス様の大事な人なのよ」
「彼氏か?」
「ばれたか」
「俺に彼氏はいない」
扉から姿を現したマティアスが苦虫を噛み潰したような顔をする。
「ばれたか、じゃない。アーネスト、何でお前は誰も得も損もしない嘘をつくんだ。
それに俺が女性だったとしてもお前は絶対に彼氏にはしない」
「そうか? お前が女の子なら、十日で落とせると思うけど」
「落とせない。俺が女性だったらお前みたいな男は絶対好みじゃない」
「まるで男のお前は俺が好みみたいな言い方じゃん」
「な」
「冗談だよ」
掌で転がされるマティアスをぽかんと見ているアレクシスにリリアが言う。
「ね? 仲良しなの」
「なかよし……」
納得のいかない様子のアレクシスに、アーネストがずけずけと質問する。
「で、君はエルザを落とせそうなの?」
「そんなの、こっち来てまだ三回かしか会ってねぇんだから分かんねえよ。打ち合いで勝ったらデートしてくれるって約束だけど三連敗中だ」
「………そんな勝負に乗ってくるの? エルザが?」
アーネストは少し驚いた顔をする。
「……へぇ。ていうかエルザとデートって何するの? 腕相撲?」
「なんでだよ。飯食ったりとかだろ。
だいたい、エルザは剣技が俺より上なだけで、腕力だけなら俺とは勝負にならねぇ」
「………君、さぁ」
笑顔のままなのにどこか冷たい声を出すアーネストに、アレクシスが一瞬身構える。
「アレクシス、君、エルザがマティアスやリリアちゃんを守る為には命を賭ける立場だって、分かって付き合いたいと思ってるの?
いざという時にエルザに護衛辞めろとか言われても困るんだけど」
「―――アンタは、エルザがそんな事も自分で決められない女だと思ってんのか」
睨め付けるアレクシスに笑ってアーネストは立ち上がる。
「分かってるならいいんだ。
―――マティアス、今度の武芸大会、誘ってあげなよ。エルザも出るだろ?」
「出ると思うが、あれは軍関係者しか入れないぞ」
「ねじ込め。お前だって特例で出てるだろ」
「………聞いてみる」
じゃあまた明日ね、とリリアの頬にキスしてアーネストは部屋を出た。
アレクシスが不機嫌な声でマティアスに不満を溢す。
「なんで、俺は抱っこもキスもダメって言われるのに、アイツは良いんだ」
至極真っ当な質問に、マティアスは返す言葉がない。回答が出来ないマティアスの代わりにリリアが答える。
「わたくしは、マティアス様のものだもの」
「それは分かってる」
「アーネストは、マティアス様のものは半分くらい自分のものだと思ってるの」
「なんだそれ」
「マティアス様も、アーネストに何されても許しちゃうし、しょうがないの」
「…………彼氏じゃねぇか」
「彼氏じゃない。
リリアも、おかしな事を言うんじゃない……」
何をされてもなどという事はない。……ない、筈だ。
アーネストのマティアスに対する態度が、侍従としても貴族としても規格外であることはマティアスも認識している。正せと命じれば、恐らくアーネストは模範的な侍従を務めるだろう。―――だが恐らく、次の日にはマティアスの隣にアーネストはいない。
それに比べれば、多少の意地悪など何ほどのものでもなかった。
リリアは不思議そうにマティアスを見ていたが、やがて自分の手元を暫く見つめてから、沈んだ声で言う。
「………あのね、アレクシス」
「ん?」
「もう、ここには来ないで欲しいの」
唐突なリリアの発言に、マティアスとアレクシスが目を見開いた。
「アレクシス、ここは王都なの。
アレクシスの態度は、平民がとっていいものではないわ。マティアス様やアーネストは怒らないけど、周りで聞いている人たちが皆それを許す訳ではないの。王族に親しくて簡単に会えるアレクシスのことを、やっかんだり利用しようとする人が出てくるわ。
わたくし、大事なアレクシスがそんな事で危ない目に遭うのは嫌、だし、でもアレクシスに、リリア様なんて呼んでほしくない………」
ベッドの上でリリアは膝を抱える。
「お父様も、もう、王都ではわたくしをリリア様って呼ばないといけないの。
でも、アレクシスにそう呼ばれるのは、嫌………」
「えぇ……?」
アレクシスが何とも言えない顔をする。
「ごめんなさい。ほんとは、もっと早く言わないといけなかったのに、わたくし、会えるのが嬉しくて」
リリアの青い瞳が涙で揺れる。
「ごめんなさい。
わたくしは、学園を残したくて、他のものは全部捨てたの。
王族になってしまったわたくしには、もう、アレクシスに『俺の可愛いリリア』って、呼んでもらえる資格は、ないの………」
震える声のリリアに、マティアスは慌てて言葉をかける。
「リリア、アレクシスは貴女の兄のようなものだろう。俺や貴女に態度が砕けていることは、俺は気にしない」
リリアは静かに頭を振る。
「マティアス様、王族と平民は、同じ世界には住めません。貴族が一言『気に入らない』って言ったら、アレクシスは仕事を失ったり乱暴を受けたりしてしまう。
アレクシスを、マティアス様のお気に入りとして、愛玩動物みたいに守ってもらうことはできるのでしょう。でも、そんなの、嫌です」
呆然としていたアレクシスは、少し俯いてから、顔を上げる。固く握り込まれたリリアの白い手を、大きな掌で優しく包む。
「分かった。
リリアは学園が一番大事だから、他のものは諦めるって、去年、その話はしたもんな。
旦那がいい奴だっただけでもめっけもんだ」
「ごめんなさい。
勝手だけど、会える状況になったら、会いに行っても、いい?」
「待ってる。手紙書くよ」
「わたくしも書くわ。
会えなくても、アレクシスがずっと好きよ」
「分かってるよ」
抱きしめることはマティアスたちが禁じたので、アレクシスはただリリアの手を握る。彼らにとっては家族の愛情表現を、マティアスたちの基準で一方的に禁じられて、大人しくそれに従っている二人。―――禁じる事に、一体何の意味があるのか、マティアスには分からない。
抱きしめなくても、キスしなくても、アレクシスはリリアの心を持っていってしまうのに。




