07
ルチアについてエルム地区の職人街を抜ける。
診療所の門の警備はマティアスのことは分からない様子で、ルチアを見て通用門を開けた。正門脇の壁には順番待ちの患者らしき人が列を作っている。
平民にとって薬は高く、貧しい人々が薬を買うことは難しい。
エルム地区でのカダール風邪の流行を抑えることは王都全域のためにも有用だが、国がここに診療所を建てないのは、建ててもこの辺りの住人には利用できないからだと聞いている。
列に並ぶ人々の身なりはとても薬代を捻出できるようには見えず、マティアスにはイリッカの思惑が分からなかった。
建物に入ると薬師の作業着を着た青年がルチアを見つけて駆け寄ってきた。
「ルチアさん! どこ行ってたんですか!
俺もベンも、飯も食ってないんですよ。ちょっと交代してください」
「ハァイ、ごめんごめん、遅くなった。
マーヤ、通訳してくれる?」
「はい」
「じゃあ、殿下、好きなように見てって。リリアちゃんの旦那さんだって言えば皆対応してくれると思うわ」
ルチアはそう言ってマスクをつけ、共通語を喋る女性を連れて診察室へ消えた。
診察室を避けて建物を巡る。大きな診療所を建てたと聞いていたので、てっきりイリッカ好みの瀟洒な屋敷のようなものだと思っていた。
「イリッカ様が作ったにしては地味だよな」
アーネストの言う通り、広さと警備がいることを除けば周囲の工房と区別がつかない。元々長屋であったものを改装した様子だ。清掃が行き届いた屋内に好感が持てるが、貴族が名前を売るためのパフォーマンスにはそぐわない感じがした。
独特の薬の臭いにつられて引き戸を開ける。中に入って見回すと、風通しの良い部屋の中は壁一面が小さな抽斗で埋め尽くされ、台の上には秤や乳鉢が無造作に積み上がっていた。
引き戸の向こうからがしゃがしゃと陶器のぶつかる音がして、マティアスは入り口に振り向く。
「ルチアさん、またこんなに散らかして、皆で使うスペースは整頓してくださいって………旦那様?」
深いトレイに陶器の器を幾つも重ねて現れたのは、マティアスの庭師であるはずのケルビーだった。
「旦那様、どうしてここに」
「ケルビーこそ何をしているんだ。屋敷は辞めていたのか?」
「や、辞めてませんよぅ!
ワグナーさんに、今はこっちを手伝うように言われて」
そう言えばワグナーが使用人をイリッカに貸し出すようなことを言っていた気がする。久しぶりに見たケルビーは、疲労で窶れているように見えた。
「顔色が悪い。無茶な働き方をさせているならワグナーに元に戻させる」
「あっ、違います、あの、俺が勝手に残っているというか」
「花の研究もあるのにか?」
「そっちは、今は休憩にしました。
一番働いてるのはルチアさんですし、きっと今はルチアさんを手伝う方がリリア様も喜ばれると思うので」
「リリアが?」
事情が分かっていないマティアスの様子に気付いたのか気付いていないのか、ケルビーは人の良さそうな顔で続ける。
「リリア様、大奥様が建物を作るために準備されたお金を殆ど使って、薬を俺らでも買える値段にしてくれたんす。そしたらどんどん患者さんが来て―――ルチアさんたち、倒れないのが不思議なくらい、ずっと診察してるんす。俺の友達も、おかげで熱が出ただけで済みました」
アーネストが驚いた顔で返す。
「イリッカ様がそれを承諾したのか?」
「ええと、あの、王都でカダール風邪が流行ると色々大変ですし、新しい薬だから、たくさんの人に使ってもらわないと今年中に貴族の方に売れないって説得したって聞いてます。
でも、俺は、リリア様はきっと、俺らみたいな気軽に薬なんか買えない民を救ってくだすったんだと思います」
ケルビーは不健康な顔色のまま嬉しそうに笑う。
「それに、落ち着いたら、俺をここで正式に雇ってくださるって」
「そうなのか。貴方の作る庭園は素晴らしかったので残念だな」
「そ、そっちも辞めませんよぅ!
ワグナーさんに、半分ずつ通っていいってお許し頂いてます!
リリア様が、ここの薬草園なら警備もいるし、毒のある花も育てて良いって」
「そんなに毒草が好きなのか」
「ど、毒が好きな訳じゃないす!
マンテルとか、ルザリアとか、確かに食べれば危ないですけど、それは綺麗な花をつけるんですよ。
花が咲く頃には毒も消えるし、………その、お許しが出るならリリア様に是非見ていただきたいです」
マティアスが屋敷に入る前に廃棄させたという花のことだろうか。
そんなやりとりをしていると、裏口からわらわらと子どもたちが入ってきた。
「おいちゃん! 全部洗ったよ!」
「水瓶も、新しいの並べといたよ!」
「乳鉢、次に使うやつから、日当たりのいいとこに置いた!」
「マルタとミアが、シャルデラの葉っぱ、粉にできたから、見てって!」
擦り切れるほど着古された服に身を包んだ年齢もまちまちの子どもたち。元気の良い声が、ケルビーの隣にいるマティアスとアーネストの官服に気づいて小さくなる。
一番小さな男の子が、年長の女の子のスカートに隠れて問うた。
「……ケルビーおいちゃん、その人、だぁれ?」
「マティアス様とアーネスト様だよ。
マティアス様は、リリア様の旦那様だ」
「リリア様の?」
ケルビーの紹介に、子どもたちの顔がぱぁっと喜色に染まる。
近づいてはいけないと思っているのか距離はそのままに次々とマティアスにアピールを始める。
「リリア様、わたし会ったことあるのよ!」
「おかあちゃんの風邪、治ったよ!」
「わたし今度、イリッカ様の孤児院で、字を教えてもらうの!」
「じいちゃん、毎日リリア様に感謝のお祈りしてるよ!」
勢いに圧され、マティアスは説明を求めるようにケルビーを見る。ケルビーは抱えたままだったトレイを台に置いた。
「安くしていただいても、薬を買えない人もいます。リリア様が、お金を持ってない人にも渡して良いって。
治っても治らなくても経過を報告すること、治ったらルチアさんの手伝いをすることを約束してます」
「薬を、ただで配ってる……?」
「ただではございませんよ。
薬、作っても作っても無くなるので、手伝ってもらわないと困ります」
振り向くと、入り口に見覚えのある女性が、バットに大量の乳鉢を入れて運んでいた。
「子どもたちの方が手も早いし、作業のために大人を雇うことを考えたら薬代を貰うより経費が浮きます。薬代が安いので、削れるものは削りませんと、先が続きません。
ケルビーさんは子どもに指示出しするのお上手ですし」
「貴女は、父上の使用人だな。見覚えがある」
「はい。新しい人が決まるまで、お屋敷からもう二人来ております」
淡々と答える表情の乏しい女性にアーネストが問う。
「薬代を下げたり、ケルビーを雇ってあげたり、イリッカ様らしくないな。イリッカ様、何かリリアちゃんと取引でもしてた?」
「ケルビーさんは、ここに必要な方です」
「薬草園を使わせてあげるために雇ったんじゃないの? 子どもの扱いが上手いから?」
「いいえ。ルチアさんの薬の効果測定をしているのはケルビーさんです。カダール風邪の患者へのヒアリングはケルビーさんの指示で行われています」
「……ケルビー、君、そんなこと出来るの?」
「え? いえ、いえ、指示なんて、俺はそんなたいしたことは!
あの、ただ、リリア様が、新しい肥料を試す時と同じでいいと仰るので、僭越ながら意見させていただいているだけで、その、すみません……」
忙殺されている薬師が三人、異も唱えず採用しているなら、それだけ有意義なデータだということだ。評価されているはずなのに小さく縮こまるケルビーは、自分のしていることの重要性が分かっていない。
パズルの凹凸を填めるように思いもよらない所から人や情報を持ってくるリリアの手腕に、マティアスとアーネストはただ目を見合わせることしかできなかった。




