03
締め切られた窓から見える空を、日差しを出し惜しみするように雲が低く覆う。木々に残る枯れ葉がちらちらと風に揺れ、力尽きて地面に降り積もってゆく。
リリアの面白計画が頓挫してから二週間が過ぎ、年末の多忙の中、マティアスはいつも通りに仕事に追われていた。
「なるほど、忙しいフリしてリリアちゃんをシカトしてんのか」
収穫祭の本年の報告と再来年の予算案の資料を睨んでいると、断固として書類を揃える以上の手伝いをしないアーネストがマティアスから書類を奪う。
「……別に、振りじゃない。実際忙しい」
「話があるって言われてるのを無視するほど忙しいのか」
「無視なんかしてない。忙しいから今度聞くと言ってる」
「良いこと教えてやろうか」
「なんだ」
「今までみたいにリリアちゃんに手伝ってもらえば今日は早く寝れるぞ」
「……………」
マティアスがアルムベルク視察で右腕を損傷した折、文字が書けるようになるまでの一月、リリアはつきっきりでマティアスの仕事を補助していた。
マティアスの代わりに資料を並べ、捲り、比較資料を出し、結論や追加調査の要求を書式に落としていく。
元の知識量が違うことを差し引いても処理速度が全く違い、開始一時間で着いていけないことを打ち明けると、リリアは何故その資料を出したのか、資料の何処を見たのか、そこから何を確認し関連づけたのかを全て説明し、検討事項を図に落とした。毎日半日近くをそんな風に過ごし、マティアスの腕が完治した頃には、マティアスは箱で渡される量の資料も、門外漢の分野の資料も泣かずに扱えるようになり、一人で完成させた書類も差し戻されるものが明らかに減った。
そして、リリアの作る書類とのレベルの差が解るようになってきた。
「………どうせ、俺は、頭も要領も悪い」
「誰と比べてんだ」
アーネストは取り上げた書類でマティアスの頭を叩く。
「生産性もないことをぐずぐず考えてないで、話し合ってこい」
「………いやだ」
珍しく聞き分けのない答にアーネストは溜め息を吐く。
「じゃあ、どうすんだ。
明後日はザムール王室の歓待だし、来週はリリアちゃんの友達に付き合うんだろ」
「………………」
「なにがそんなに気に食わないんだ」
「リリアの……」
「うん?」
「考えが理解できない」
「そんなの理解できたことあんのか」
「俺とクラウディアはお似合いだとか、面白半分で言うだけならまだ分かる。だけど、ヴォルフを失脚なんかさせたら、ヴォルフやクラウディアの人生がどれだけ歪むか、分からない人じゃないはずだ」
「………あー…」
「山崩れの話も、薬の話も、なぜ分かった時点で教えてくれないんだ。もしかして問題になるまで言わなかったんじゃないか。無辜の民の、命が掛かっているのに」
「計画を実行するなら、そうだろうな」
「私怨ならやっても良いという話ではないが、まだ感情は理解できる。実際ヴォルフは酷かったし……だが、―――あんな、遊びみたいに。
今、リリアと会っても、まともに話せる自信がない」
「なるほどな……」
アーネストが書類で頭を撫でてくるのを鬱陶しそうに払い除けて、マティアスは項垂れる。
―――それでも―――例え人の人生や命で遊んでいたとしても、同じ書類を見ていたのに何も気付かなかった自分よりは余程国益にかなうという事実が心に重い。
土壌の緩みに気付かず土砂に飲まれれば失われた命は戻らない。
本格的に銅山の採掘が始まってから銅価格が暴落すればその損失は比ぶるべくもなかった。
「そうか、辛い思いをしてたんだな。気付いてやれなくて悪かった。
なあ、マティアス」
「なんだ」
「ぐずぐず言ってないで、とっとと話し合ってこい」
容赦のない侍従を上目遣いに見ていると部屋の扉がノックされた。カロリーナが入室する。
「殿下、殿下がぐずぐず愚図っている間に機会を逃しましたわ」
「なにが」
どいつもこいつも手心がない、と心中で毒づく。
カロリーナは盆に乗った薄紫の手紙をマティアスに差し出す。リリアの流麗な文字で、一行、簡潔な文章が綴られていた。
『暫くレイナード様のお屋敷に泊まります』
 




