02
王都フレアから中央街道を北に三日ほど進むと、ヴィリテ王国の北領に入る。王都よりも北の隣国の方がほど近い北領では、夏のこの時期にも涼やかな風が吹いている。
北領のひとつ、最近アルムベルク公爵から王弟家に統治が移譲された領は、王弟レイナードが未だヴィリテ姓の為、また統治官である王甥にアルムベルク公爵令嬢が嫁いだ為、名前はそのままアルムベルク領と呼ばれることになっている。
領境を越えた辺り、平原の向こうに見慣れた山稜を見つけ、馬車の窓からリリアは懐かしそうに目を細めた。
「マティアス様、先日の件ですけど」
向かいに座るマティアスに、リリアが話しかける。
「どの件だ」
「わたくしとアーネストの浮気を疑った代償の件です」
「…………本当に、申し訳なかった。決まったか」
先日マティアスが遠征から帰還したその日に、アーネストがリリアの部屋にやってきて、馬鹿が浮気を疑っていると告げ口をしていった。リリアはぐったりと寝台に横たわったまま、呆れたようにマティアスを見る目を細めた。
アーネストの話とは、マティアスの遠征中、王都の暑さに慣れないリリアが夏バテで倒れた報告だった。
アーネストが『マティアスがお詫びになんでも言うこと聞いてくれるって』と勝手に請け負ったが、青い顔のリリアはすぐには代償を思いつかず保留になっていた。
リリアの夏バテをうけ、マティアスの父レイナードから統治官になったアルムベルクを一度見てきたらどうだと提案があり、リリアの避暑と里帰りを兼ねて二台の馬車を北へ走らせている。もう一台の馬車には、護衛のエルザと荷物が載っていた。
「お友達に、会っても良いですか?」
「友達? ああ、久しぶりの故郷なんだから、体調が良ければ会ってくると良い。俺はハーマン男爵と視察するし、なんならずっと別行動でも構わない。
というか、友達くらい自由に会ってくれ」
「……でも、禁じられたので」
「なに?」
「娼館育ちの友達とか、外国人の友達で、……王都に向かう時に、縁を切れと」
「……初耳だ」
「公爵令嬢としても、王家の姻戚としても、相応しくないと………言われるのは、分かるのですが」
「そういう人たちと、どこで知り合うんだ?」
「皆、学園の会員です」
「会員? 学生じゃなくて?」
「学園には学生はいません。皆、研究者です。研究者に付いている学生はいますけど」
「………付き合いは長いのか?」
「一人は、わたくしが初めて学園を訪れた六歳からの付き合いです」
「危ない事に巻き込まれることはないのか?」
「ないと思います」
「貴女は少しぼんやりしてるところがあるが、一方的に搾取されていたりはしないだろうな?」
「アルムベルク公爵邸に、搾取するほどの資産はありません」
「……なら、いい。
貴女が悪い影響を受けているようには見えないから、悪い友人ではないのだろう。
もしかして、今までずっと手紙も書いていないのか」
「縁を切りましたので」
「…………復縁しておいで」
目を見開くリリアの頬が紅潮した。
「そういう事は、もっと早く言ってくれ。
貴女は俺の事にもそんなに興味なさそうだし、自分の事も全然話さないじゃないか。
アーネストとは仲が良いし、疑われる貴女たちにも責はあると思う」
拗ねた様に言うマティアスに、リリアはきょとんとする。
「マティアス様とも、仲が良いつもりでしたが、思い上がりでしたか?」
「……俺とは、デートもしないし、腰も抱かないし、頬にキスもしないだろう」
「したいんですか?」
「………そういう訳じゃない」
マティアスの意図を図り兼ねて、リリアは困ったように首を傾ぐ。
「あの、わたくしの身体は、マティアス様の好きにして良いんですよ? 触りますか?」
「……昼間からそういうことを言うんじゃない」
「夜に言った方がいいですか?」
「そうじゃない!
そうじゃなくて……もっと、頼って欲しい、んだと思う……」
「思う」
「………すまない、自分が何を言っているのか良くわからなくなってきた。忘れてくれ」
両手で顔を覆って下を向いてしまったマティアスに、リリアは躊躇いがちに聞く。
「王都を出てから三日間、朝から晩までお話できて、わたくしはずっと楽しかったです。マティアス様は、つまらなかったですか?」
「……楽しかった」
「それは、だいぶ仲良しじゃないですか?」
「………そうだな……」
リリアのフォローは、あまりマティアスには届いていないようだった。
マティアスはよく女の子は難しいと言うが、男心も難しい、とリリアは思った。




