15
「……貴女は、すごいな」
最早習慣になりつつあるリリアの部屋での書類仕事に一息ついて、リリアが淹れてくれた紅茶に砂糖を落とす。
マティアスの自室は、仕事の要件があればアポなしで人が出入りすることが常態化しているため、リリアの部屋は籠って仕事をするのに打ってつけだった。
新婚夫婦がこもっている部屋にはよほどの要件以外は来ない。
「………先日はありがとう。
おかげで提言書はそのまま通ったそうだ」
「良かったです」
「……その、あの書類の順番はどうやって整理したんだ?」
「順番ですか? 殿下が読みやすいようにと思って普通に並べただけですが……まずかったですか?」
「……なるほどな……」
困惑した青い瞳がマティアスを見つめる。
なんでもない顔をしたかったが、こんな年下の少女に事務能力で劣ると言う事実が悲しい。
「………わたくし、なにか、殿下のお気に障ることを……?」
「気にするな。前も言ったが、貴女が俺の気に障ったところで、学園の存続には影響はない」
「あの、何が」
「気にしなくていい」
「ですが、殿下は……気に障ったら指摘すると、お約束、くださいました」
青い瞳が涙で揺れ始める。
「も、申し訳ありません、最近、涙がすぐ……」
リリアは慌てて袖でぐしぐしと目を擦った。
あの二日間の後遺症なのかもしれない。
さすがにこれ以上は大人気ないとマティアスは頭を掻いた。
「……貴女に非はない。
俺は、書類仕事は苦手で……貴女の能力に嫉妬しているだけだ。責めるように聞こえたならすまない」
「嫉妬」
「……アリーダは俺が貴女の心を掴んだなどと言っていたが、こんな体たらくではとても無理だな。
宝石類を貢いでも喜ばないみたいだし」
母親が金で買い、初夜で暴言を投げ、五年間針の筵に座らせる男に好意的に振る舞ってもらわねばならないので、マティアスとしてもできれば好感度を上げたいと思ってはいる。
「……殿下」
「さっきから殿下になってるぞ。
マティアスと呼ぶ約束だろう、リリア」
「そうでした、マティアス様。
……このやりとり、ちょっと恋人っぽいですね?」
「そうか? じゃあ今度、観客のいるところでやるか」
マティアスの返事に、涙目のままリリアは面白そうに笑う。
社交武装のない笑顔が増えてきたリリアはとても話しやすかった。
「………四、五年の付き合いだし、偽の夫婦だが、貴女さえ良ければ仲良くやっていきたいと思っている」
「仲良くだなんて」
「だめか」
厳しい。
頑張って好感度を上げなければ。
「マティアス様はわたくしの天使様ですのに」
「……………」
……薄々気づいてきたが、リリアの思考回路は少しおかしい。
「わたくしには、マティアス様がわたくしの何に嫉妬する必要があるのか分かりません」
「……事務能力とか事務能力とか事務能力とかだ」
あの能力が自分にあれば、もう少しヴォルフの役にも立てるだろうし、宰相も自分の提言を容れてくれるのではないかと思う。
「マティアス様は、書類を片付けたかったのですか?」
「当たり前だろう」
「違うと思います」
なにがだ。
「先日の提言書……効率だけを考えるなら、本当はもっとシンプルな結論もありましたでしょう」
「………あったが……各所の要望を殆ど汲めなくなるし、定着するまでの数年間に救えたはずの民を取り零しそうだったから」
「それが、マティアス様のやりたかったことじゃありませんか?」
そう言って青い瞳が嬉しそうに微笑んだ。
「書きかけの草稿からは、編成にあたって、出来るだけ現場が動きやすく、民の声が拾えるよう配慮したいお気持ちが汲みとれました。
だから、書類はあの順番に並ぶと思いました。
きっと、同じお心でわたくしにも手を差し伸べてくださった。だからわたくしはお手伝いできました。
官吏に配意し、民を守ったのは、事務能力ではありません。マティアス様のお心です」
真っ直ぐにマティアスを見て、リリアは臆面もなく気恥ずかしい言葉を放つ。
「………恥ずかしいし、うっかり感動するからやめてくれ」
「さすがわたくしの天使様です」
「ほんとにやめてくれ」
天使というのは多分、学園を守ってくれたという意味なのだろう。俺はきっかけを作っただけで、学園を守ったのは国民の血税だ。
「……人は皆、ないものねだりばかりしているのかもしれませんね。
………わたくしも、得意なことはありますけど、欲しかった才能は何ひとつ持てませんでした」
ぽつりと呟いてリリアが視線を落とす。
「……そうなのか」
「それに、今必要な才能も持っていません」
「今必要な才能?」
アリーダが言っていた美的センスのことか。
確かに夫人たちの間では流行に敏感でないと見くびられるし、社交界でダンスが出来ないのは格好が悪い。
「はい、残念ながらわたくしには、マティアス様を愉しませ虜にするための豊満なボディも閨房術も」
「………それは今必要ない」
このおかしな思考回路と、なんとか仲良くやっていきたい。




