王甥殿下の侍従選び 07
諜報部はその名の通り王家の指示で諜報活動をする機関で、犯罪者の聴取も請け負っている。通常の犯罪聴取であれば国警が対応するものであり、特殊技術を持つ諜報部の聴取は間諜に自白させるような場合に行われる。こんな小競り合いに関わるような機関ではない。
驚愕の表情を浮かべる面々を、マティアスは平静な面持ちで見返す。
「訓練もしていない若者二人の聴取くらい、半日もあれば終わる」
ローヴァイン侯爵はまた許可も得ずに喋りだした。
「殿下! そのように大事にせずとも、エッダが嘘をつく理由がございません!」
「侯爵。貴方の立場で娘可愛さに盲目になってもらっては困る。
もしアーネストの言葉が正しければ、彼女は王族の俺を嵌めようとしていることになる。一見疑わしくないことは、真偽を確認しない理由にならない」
「殿下を、嵌めるなど……」
想定外の仮定に侯爵は言葉を失った。
一見すれば明らかに被害者の女と言い逃れしている男。しかも女好きで評判の男だ。意見を公正に聞いてもらえると思っていなかったアーネストは驚きを顔には出さずに幼馴染を見る。諜報部に預けられれば、こんな女の子が騙し通せるとは思えない。アーネストの無実は証明されたようなものだ。
一貴族が王族を嵌める。
前例はいくらでもあるが、大抵は他の王族や他国の人間が後ろにいる。露見した彼らの多くは、必ず庇ってやるという口約束を信じて幽閉されたり処刑されたりしていった。
寧ろ今回のような悪戯紛いの前例は少なく、ローヴァイン侯爵家にどのような裁決が下されるか予想できない。最悪爵位の剥奪もありうるが、陛下の気質を考えれば令嬢の永蟄居くらいだろう。
マティアスの正論に、侯爵はたじろぎながらも懸命に娘を庇う。
「…………しかし……しかし、では娘が無実だったなら、どうしてくださるのか。色を好むと評判の男と噂になって、そのうえ諜報部に捕えられた記録が残るなど、これでは今後まともな縁談も」
「そうだな。その時は俺の不見識を皆の前で詫びよう。この男には俺の手をかけさせたことも含めて相応の償いをしてもらう。ご令嬢には良い縁を探していただけるよう王弟妃殿下にお願いしておく」
「王弟妃殿下に……」
ローヴァイン侯爵の目の色が変わる。王弟妃に後押しされる縁組であれば普通に探すよりも余程良い条件を望める。
アーネストは淡々と場を取り纏めるマティアスを意外な気持ちで眺めた。
青褪めた令嬢が焦りの滲んだ声をあげる。
「嫌! そんな、諜報部なんて、嫌よ!」
「エッダ、心配しなくて良い。我が国の諜報部は有能だ。すぐにお前が正しいと証明してくれる」
「嫌! 諜報部なんて、殿下の望む答を作るだけでしょう!?」
「国王陛下や総裁ならまだしも、彼らは俺にそんな忖度はしない。
貴女の言葉が本当なら、俺もそんな男を側に置くわけにはいかない」
「嫌よ! お父様、断って!
この男がわたくしを無理矢理部屋に連れ込んだのよ! 信じて」
「エッダ……もちろん信じているとも。諜報部が怖いのは分かるが、」
「連れ込まれたのか、押し入られたのか、どっちだ」
顔をあげた侯爵を無視してマティアスは令嬢に問い直す。
「連れ込まれたのか、押し入られたのか、どっちだと聞いている」
「え……」
「エッダ、落ち着いて、お答えしなさい」
「つ、連れ込まれたのよ!」
「エッダ、口の利き方に気をつけなさい」
「貴女はこの部屋で休憩していたのではなかったのか」
「………っそう、そうよ。間違えたわ、休憩してたら急に入ってきて腕を掴んで」
「腕を掴まれてどうやって逃げたんだ」
「大声出したら放したのよ!」
「それで廊下に出た?」
「そうよ」
「アーネストが貴女の衣装を乱したのは、いつだ」
令嬢が返答に詰まる。
「に、逃げるときに、後ろから引っ張られたわ」
「貴女の衣装の乱れ方は、後ろから引いたものではなかった」
「……………っ!」
顔を真っ赤にする令嬢とは対照的に、だんだんと侯爵の顔色が青くなっていく。
「貴女は、最初から俺の侍従がと言っていたな。先週会ったときの侍従はハインツだった。なぜ初対面の男が俺の侍従だと思った」
「それ、は………」
「エッダ……?」
侯爵の声は震えていた。
令嬢は答えを探すように涙の滲んだ目を泳がせる。
「ど、どうでも良いじゃない!
いいわ! もういいわよ! 泣き寝入りすれば良いんでしょ!
王族なんて、そんなもんだわ!」
「泣き寝入りなど、しなくていい。聴取が始まるまでに、もう少しよく思い出しておくと良い」
「いや、いやよ………いやぁ………」
ローヴァイン侯爵令嬢はとうとう泣き出した。
被害者のはずのアーネストは、なんだか可哀想になって眉を下げる。
侯爵の額にはいつの間にか滝のように汗が滴っている。当然だ。王甥を嵌めようとしたばかりか、一度温情を貰ったにもかかわらず虚偽の申告を重ねた。
「エッダ、お前、お前、
……誰か他にも仲間がいるのか?
お前が大それたことを考えるとは思えない。だが、誰か他にいるなら、このまま諜報部に預けていただくしかない」
「いないわ、だって、だって殿下が悪いのよ! わたくし、とっておきのドレスでお誘いしたのに、招待も受けてくださらないし、あんな大勢の前で突き飛ばして……あんな姿、皆に見られて、わたくし……」
泣きじゃくる娘を抱きしめてから、ローヴァイン侯爵は震える足を前に出して、娘を庇うようにマティアスの前に出て床に手をつく。
「殿下………殿下、申し訳ありません。
恐らくは娘の軽挙ですが、お疑いでしたら、このまま諜報部にお預けください。
私の教育の問題です、どうか、娘だけは、どうか……」
マティアスは涙声の侯爵を暫く見つめてから、ちらりとアーネストを見遣り、小さく溜め息をついた。
「―――どうやら彼女には虚言癖があるようだ。領地で静養するのがいいだろう。王都のような騒がしい場所には、生涯近づくべきではない」
「えっ、いや! 領地なんて、流行りのドレスも売ってないし、劇場だって小さいのしか」
「エッダ! 黙りなさい!」
娘の頭を下げさせ己も勢いよく頭を下げるローヴァイン侯爵にマティアスが言葉を下す。
「ご令嬢は不調で何かを勘違いした。そういうことで、合っているか」
青い顔で床を見つめたまま、ローヴァイン侯爵は小さく身体を震わせた。
「―――仰る通りでございます。
娘は、領地に戻し、今後王都には近づかないよういたします。会場のビュッセル伯爵に御挨拶して、本日は下がらせていただきます」
ローヴァイン侯爵はアーネストに深く頭を下げ令嬢を先に馬車に押し込むと、音楽の鳴り続けるサロンに戻ってビュッセル伯爵に周囲に聞こえる声で頭を下げて謝罪し、王都に構える屋敷に帰っていった。
マティアスも会場に戻り、予定通り人々に王家へ戻ったことを挨拶して回った。
王弟家へ戻る馬車に揺られながらマティアスはアーネストにしょんぼりした視線を向ける。
「すまない。被害者はお前なのに、何の償いもさせずに終わらせてしまった」
「いいよ。長引かせても噂が広がるだけで面倒くさい」
マティアスはほっとしたように表情を緩める。
「疲れた。あまり、ああいうのは、得意ではない…………そもそも俺が、彼女を転ばせたりしなければ、こんなことにはならなかったな」
そもそもの話をするなら突然腕を掴んできた令嬢が原因なのに、マティアスは少し悲しそうな顔でそう呟いた。
きっとマティアスは、癇癪を起こしただけの女の子をあんな風に断罪したくはなかったのだ。
彼女は少々質が悪くはあるが、考えなしなだけで極悪人ではない。だが、王家の人間を嵌めたという事実をお咎めなしで済ませるわけにはいかない。王家に近づき得る貴族にとって考えが足りないことは罪なのだ。
「取り纏めなんか侍従の仕事だったのに、やらせて悪かった」
謝罪するアーネストにマティアスは苦笑いする。
「被疑者が取り纏めなんかできるわけないだろう」
「正直、女の子がああ言ったら鵜呑みにすると思ったよ。公平に聞いてくれて助かった」
「公平になんか聞いていない。襲われたかもしれない女性にあんな詰問はしない。
まあでも、絶対ということはないから彼女の言い分も聞いたつもりだ」
当たり前のことのように言うマティアスに、アーネストは不覚にも言葉を失った。