王甥殿下の侍従選び 06
突然のことにアーネストは呆然と佇む。悲鳴を聞きつけた人がぱらぱらと集まってくる。その中から恰幅の良い壮年の男性が小走りに進み出た。
「エッダ!
お前、その格好はどうした!?」
「お父様!
お父様、突然この男がわたくしを部屋へ連れ込んだの!」
男は令嬢を庇いながらアーネストを睨む。
「お前………ビュッセル家の小僧か! どういうつもりだ!」
「俺は、何もしてません」
主張だけはしておかなければとそう応えたが、聞く耳など持たれないであろうことは容易に想像がついた。
顔を真っ赤にして今にもアーネストに掴みかかりそうな男には見覚えがある。ローヴァイン侯爵だ。ならばエッダと呼ばれたこの令嬢は、エッダ・ローヴァイン侯爵令嬢―――マティアスが先週すっ転ばせた子か。
廊下を塞ぎつつある野次馬たちがひそひそと情報交換を始める。
ビュッセル伯爵家のご長男の―――
侯爵のお嬢さんが―――
あの、女好きで評判の―――
噂では、女性なら誰でも―――
ご令嬢を、無理矢理―――
「何の騒ぎだ」
ざわめきの中を良く通る中低音の声が響く。人だかりの後ろにマティアスがいた。ざわめきの中にマティアスの名前が混じり、通路を塞いでいた人々がさっと道を開ける。
野次馬たちの誰も、進んで不確かな情報を王甥殿下に上申しようとはしない。その代わりにひそひそと情報交換する声の音量が心持ち大きくなる。
単語を拾うだけで周囲の認識が読み取れ、アーネストは心中で溜め息をついた。
目撃者がいない以上、完全に令嬢に分がある。通常こういった噂は女性に不利なものであり、女性が捏造する理由がない。ローヴァイン侯爵令嬢はいったい何を考えているのか。何か恨みを買ったのだろうか。おそらく初対面なので心当たりはない。
案内してきた使用人を帰すんじゃなかった。もう一度見れば顔は分かると思うが、彼を見つけたところで彼が立ち去った後のことは証言できない。
ざわめきから不穏な単語を拾った王甥殿下は、状況を説明する者がいないことを悟ると不機嫌そうな声で命じた。
「全員、一度黙れ」
厳しい声に、周囲は音を失う。
王甥の眉間には皺が刻まれ、一同を見回す眼光に何人かが竦み上がった。
ローヴァイン侯爵とアーネストの間を割る様に進んでマティアスは部屋に入り、くるりと向き直る。扉の前で呆然としていた使用人の女性に目を留め、視線が合うと淡々とした声で指示を出した。
「彼女の衣装を整えてくれ。
事情を説明できない者は散れ。残るなら、関係者と見做す」
使用人は慌てて肩をはだけたままのローヴァイン侯爵令嬢を衝立の裏に誘導した。集まっていた野次馬が肩を竦めて名残惜しそうに解散する。
興奮が収まらない様子のローヴァイン侯爵がマティアスの方向に踏み出す。
「マティアス殿下、我が娘エッダの」
「俺はいつ貴公の発言を許可した」
びくりと肩を浮かせた侯爵が口を噤んだ。
衣装を整えて衝立から姿を現した令嬢にマティアスは多少口調を和らげて質問した。
「何があったのか説明できるか」
野次馬が散ってしまったのを見た令嬢は不貞腐れたようにマティアスを見る。
「殿下の侍従が悪いのよ」
「アーネストが?」
「そうよ!
わたくしを無理矢理連れ込んで、乱暴しようとしたわ!」
「アーネスト」
「俺は何もしてません」
「仕事中に会場から離れてこんなところで何をしていた」
「殿下の侍従に用がある女性がいると、使用人に呼ばれたので」
「俺の? お前にじゃなくてか」
「個人的な用事なら流石に断ります」
「嘘よ! 殿下の侍従に乱暴されたって、お父様から国王陛下に言ってもらうわ!」
令嬢の金切り声に、アーネストは眉を寄せる。
侍従の所業は主人の責任だ。まさか、嵌めたいのは俺じゃなくてマティアスか。
黙っていたローヴァイン侯爵が再び口を開く。
「殿下。発言を、お許しください」
「なんだ」
「娘が先日殿下に不敬な態度であったことは承知しております」
「その件は貴公からの謝罪を受け取っている」
「ありがとうございます。娘の心証は悪かろうと存じますが、どうか、公正にご判断を。その男は殿下の侍従として日も浅いはず。ご存知ないのかもしれませんが、女好きで評判の男です」
「ご令嬢。貴女はアーネストと面識はあったのか」
「ないわよ! ここで休憩してたら、突然押し入ってきて、服を脱がそうとしてきたわ!」
「アーネスト」
「何もしてません。呼ばれたので来たら、ご自分で衣装を崩して悲鳴をあげられました」
マティアスの胡乱な視線にアーネストは思い出す。マティアスはアーネストを女にだらしない男だと思っているはずだ。あっさり令嬢の言葉を信じてしまうかもしれない。
まいったな。
「殿下、どうか、この男を殿下の侍従ではなく、ビュッセル伯爵家の人間として告訴することをお許しください」
侯爵の言葉にアーネストは、まあそうだろうな、と他人事のように考える。
王弟家の長男が侯爵家の令嬢に無体を働いたところで、軽い謝罪と賠償で終わりだ。加害者が伯爵家の人間なら相当の罰が下される。娘の評判を落とした男に重い罰を望むのは理解できる親心だ。
それを知らずか令嬢は父親の言葉を遮る。
「だめよ! 殿下の侍従なんだから、殿下が謝罪すべきだわ。
この間だって、大勢の前でわたくしに恥をかかせて、謝りもせずに………」
「エッダ、落ち着きなさい。
先日のことはお前が不敬だった。しかし、今回のことは今回のことだ。この男に、きちんと責任をとらせる」
「あんな大勢に脚を見られたのよ! なのにお父様はわたくしが悪かったっていうの? 王族がそんなに偉いの?
そのうえ今回は臣下に責任を被せて逃げるつもり!?」
ローヴァイン侯爵令嬢は、マティアスの顔に泥を塗りたいのだ。
「どちらかが嘘をついているな。
今なら寛容に聞くぞ」
「俺は何もしてません」
「殿下は侍従のしたことの責任をとりたくないのでしょ!」
アーネストは何もしていない。
だがもう水掛論にしかならない。
いずれにしても令嬢の望む結末にはならない。
マティアスがアーネストを庇うか切り捨てるかだけの話だ。前者ならこの茶番は無かったことになり、後者ならビュッセル伯爵家に多額の請求書が届くだろう。
眉を顰めて聞いていたマティアスは軽く顎を摩って呟く。
「………諜報部に預けるか」
マティアス以外の全員の動きが止まった。