王甥殿下の侍従選び 01
ヴィリテ王国、王都フレア。
瀟洒な屋敷の一室で四人の若者が畏まって起立する。
執務机の傍に立つ王甥殿下は四人を軽く眺める。その視線が自分に留まり、僅かに不機嫌な眼差しになったのをアーネストは見逃さなかった。
先月、十五歳から軍に所属していた王甥殿下が二十歳になり、軍を辞めて王弟家に戻ってきた。今後は王家の一員として国政に参加していく。
本日は選りすぐられた若者が王弟の別邸に呼ばれ、殿下の片腕となるべき侍従候補として打診を受けていた。今回は王甥殿下の腹心として末長く仕える者を探しているらしく、歳の近い者の中から気の合う者を選ぶつもりで、何かの優劣ではないと念を押された。
「来週から順にマティアス殿下の補佐に入っていただき、後日結果をご連絡いたします。
貴方がたは今日ここに呼ばれた時点で十分に優秀な方々です。選ばれなかった方も、王弟家からの期待が厚いものと御自覚ください」
見知った王弟家の執事がそう言って顔合わせを締め括った。
(期待、ねぇ……)
アーネストと並ぶ青年たちは公爵家の次男と三男。
そんな中にひとり、伯爵家の長男であるアーネストが混ざっている。他の三人はアーネストが王甥の従兄だからだと思っているだろう。
アーネストが呼ばれたのはマティアスの母イリッカの意向だ。父親が次男のコンラートではだめかと問い合わせたが、アーネストを出さないなら用はないような回答だったらしい。
他にも従兄弟は何人もいる。その中でアーネストは特に優秀という訳でもない。なぜイリッカが自分を推すのか、アーネストにはさっぱり心当たりがなかった。
簡単に業務内容を説明され、王甥の向こう一ヶ月の予定表を渡される。細かいことは赴任の前日に説明される。
身分の順に当番が振られたので、アーネストが担当するのは最後の週だ。
遠方から来た公爵次男を気遣い、顔合わせを兼ねて四人で食事をと誘われたが、夕方から恋人との約束があるアーネストは一人で帰宅することにした。
子どもの頃に住んでいた王弟家の別邸。
よく内緒で菓子をくれた料理長に挨拶だけしようと、執事の許可を得て懐かしい廊下を歩く。五年振りの廊下は、掛けられている絵画や骨董品こそ違っていたものの、以前と同じ佇まいだ。―――王弟妃の甥とはいえ、自分はたかが伯爵家の身分。もう、目にすることはないと思っていた。
人気のない廊下を進むと、自分の名前が聞こえた気がして、階段の踊り場からそっと覗き見る。瀟洒な手摺から身を乗り出すと、階下でマティアスがイリッカに話しかけているのが聞こえる。
「―――じゃないですか」
「マティアスさんがお嫌なら、アーネストを選ぶ必要はありません」
「なら、叔父上に圧力をかけるのはやめてください。俺は初めにアーネストはだめだと言ったはずです」
苛立った王甥の言葉にアーネストは眉を上げる。
アーネストの記憶にある十五歳までのマティアスは、押しに弱く何でも溜め込んでしまいがちな子どもだった。特定の、顔見知りをあからさまに拒絶するイメージはない。
だが思春期に五年も離れていれば人が変わっても不思議ではない。もしくは、余程アーネストでは嫌なのか。
(そこそこ、仲良くやってた記憶だけどな)
アーネストは七つの時に一度マティアスの侍従になっている。その時もイリッカの指名だったと聞いている。
王弟家に住み込みとなり自由に遊ぶこともできず、週末しか家族にも会えない生活。父親に何度も辞めたいと掛け合ったが、イリッカが王弟妃として振るう手腕のお零れに預かっている父親は断固承諾しなかった。
アーネストの記憶にあるふたつ歳下の王甥は、人の言うことをよく聞く所謂『おりこうさん』だった。弟妹よりも長く一緒に過ごした日々の中で、アーネストは、多少の感情は我慢して飲み込んでしまう生真面目な従弟をそれなりに可愛がっていた。
初めて引き合わせられた頃のマティアスはまだ五つ。ぷくぷくした頬がつねって欲しそうだったので、泣くまでつねっていたらアリーダに拳骨を落とされた。マティアスは王家の人間がそれしきのことで泣くなと叱られた。
マティアスが六つの時、姉君たちから逃げ回っていたところを誘き寄せ、チョコレート三つで姉君たちに売った。無理矢理フリフリのドレスを着せられたマティアスは悔し涙を流していた。
マティアスが七つの頃、絵画の授業でうきうきとクラウディアを描いていた姿がいじらしくて、とりあえずキャンバスの中の少女を巨乳にしてみた。珍しく取っ組み合いの喧嘩になった。
あれは確かマティアスが九つの時。立ち入り禁止の工事現場で遊ぶアーネストを止めようとついてくるのが煩わしくて足を掬って縦穴に落としてやった。大騒ぎになった上に、マティアスは立ち入り禁止の場所に忍び込んでいたことを延々と怒られていた。
もちろんアーネストはマティアスを放って逃げた訳ではない。ちゃんと近くの大人に王甥が工事現場で遊んでいたと伝えた。
十一歳になったマティアスは両親に、将来は将軍になりたいと相談した。粘り強く説得した結果、十八までの教育カリキュラムを終えることを条件にとりあえずの入隊を許された。
以降、基本的に勉学に精を出す王甥と遊ぶ時間は減り、マティアスが十五歳で軍に入隊した時アーネストはいったん侍従の任を解かれた。
(………なるほど?)
可愛がり方がまずかったのかもしれない。
大人になった今なら、もっと上手く―――故意など悟らせない罠を張り、寧ろ感謝させるような可愛いがり方ができたのに。
昔は可愛かったが、数年ぶりに会った王甥は軍で鍛えられた仏頂面の男で、なんだか全然知らない人間のように見えた。
アーネストは侍従なんて面倒な仕事に興味はない。だいたい、可愛い女の子ならともかく、あんなガタイのいい男に年がら年中侍るなんて楽しくない。
父親は口を酸っぱくして王甥殿下の慈悲に縋ってでも侍従の任をもぎとってこいと言っていたが、当の殿下が嫌がっているなら身を引くのが正しい臣の姿だろう。
うん。
それこそが忠義だ。
断じて自分の身勝手ではない。




