お盆の牛と馬
天ぷらまんじゅう食べたい。
夏休みの真ん中へん。
とある日の昼過ぎ。
クーラーの効いた2階の部屋でダラダラしていた時、1階から父さんの声がした。
「んんー?」
「おーい、実、聞いてるかー!?」
「聞いてるよ……何?」
「牛と馬作るぞ。降りてこい」
牛と馬?
なんだっけそれ。
よく分からないけど、せっかく呼び出したんだからちょっとは楽しいものであって欲しい。
クーラーを少し弱めにして、電気を消して。
母さんに怒られないための準備をしっかりして1階に降りた。
1階はクーラーじゃなくて扇風機が回っているらしく、風とモーターの音を感じる。
「父さん、どこ?」
「こっちだ。仏壇がある部屋」
「ああ、そっち?」
きょろきょろと見回して、反対側から父さんの声が聞こえた。
間違えたのがちょっと恥ずかしいけれど、なんでもない振りをして応える。
仏壇のある部屋。
亡くなった祖父母の写真が飾ってある部屋だろう。
いつも薄暗く、なんとなく落ち着かない。
僅かに空いていたふすまを開いて、和室の畳を踏みながら部屋に入った。
部屋には父さんがいて、お盆の祭壇があった。
「今年はまあまあいいきゅうりと茄子が手に入ったからな。いい馬ができるな」
「隆之さん、その野菜はわざわざそれ用に買ってきたのよ。失敗しないでちょうだいね」
「そればっかりはなぁ。さあ、実。牛と馬を作るぞ。母さんが怒るから、チャンスは1回だけだ」
と言って、父さんがきゅうりと茄子を目の前に持ってきた。
母さんはこの部屋とは反対側の台所で、何かしているみたい。
「きゅうりと茄子で何するの? お昼はさっき済ませたよね」
「だから牛と馬を作るって言ってるだろう。ほら、お盆の牛と馬」
「牛? 馬? きゅうりと茄子で?」
「毎年作ってるだろうが。ほら、去年の写真」
足元に置いていたスマホを手に取り、何度か指を動かしたあとに、画面を向けた。
緑色のかさかさした敷物、紙でできた葉っぱ、そして四足の付いたきゅうりと茄子。
「これ、牛と馬だったんだ」
「なんだと思ってたんだ?」
「足の付いた蛇と、豚」
「……まあ、なんでもいいか。これはな、お盆の時に来た御先祖さまが帰るのに必要なんだ」
「へえー」
きっと去年も聞いた説明なのだろう。
ちょっと呆れた父さんの顔がよく見えた。
「実は茄子の担当な。これを使って、うまく立つようにしてくれ。茄子だから貫通したり、刺さらないってことはないと思うが、怪我しないように慎重にやるんだぞ」
「分かった」
「父さんはきゅうりをやるとするかね」
ちょっと長さにバラツキのある、割り箸を折ったようなものを四本受け取った。
ついでに茄子の向きの指導も受ける。
茄子の背中に1つ穴が空いてしまったが、父さんは気にしなかった。
「実のはいい感じだな。父さんはきゅうりを若干失敗したが、黙っていればバレないだろう」
「父さん、このきゅうりの後ろ足、貫通してない?」
「しっ、母さんには内緒だぞ!」
「何ー?」
「明菜、なんでもない!」
だって、父さんの方がやらかしが多かったから。
きゅうりの腹にはひび割れが走っていたし、後ろ足のうち1つは浮いていて、1つは持ち上げたらポロリと取れてしまった。
大人っていい加減だな。
その夜。夢を見た。
僕は1階に立っていた。
ぼんやりと見えるのは、玄関と仏間。
それと、白黒写真でしか見たことの無い、若い祖母と、やはり写真でしか見たことの無い祖父がいた。
祖母と祖父は、祭壇に備えてあった野菜やら果物やらを、せっせと運んでいた。
玄関に止まっている、何か大きな影に、運び
入れているようだった。
「ばあちゃん?」
「槙子、誰だ?」
「正隆さん、去年も教えたでしょ。隆之の子どもですよ。つまり、私たちにとっての、孫です」
「へえ、もう隆之も子どもがいる歳なんだな」
「まったく。正隆さんはすぐに忘れちゃうんだから」
声はよく分からないけれど、そういう風に会話してるように見えた。
「ばあちゃんと、……じいちゃんは、きゅうりと茄子に乗って帰るの?」
物心着いた時には、祖父はもういなかったから、呼びかけるのは結構勇気が必要だった。
祖父は、じいちゃんと呼びかけられて、不思議そうにしていたが、嫌そうな顔じゃなかった。
やがて、にっ、と笑う。
アニメや漫画で見るお爺さんの優しい笑みとはかけ離れていたけれど、確かに僕の祖父という感じがしたし、こんなおじいちゃんがいたら楽しかっただろうなと思った。
「ほー、今年の牛を作ったのは坊主か?」
「正隆さん、坊主じゃなくて、実ですよ」
「あー、何だっていいだろう。誰かと一緒に作ったのか?」
「父さんと。茄子は僕が作ったよ」
「いい出来だ。これならちゃんと帰れそうだ。馬は散々な出来だがな。隆之には、もっとしゃんとしろ、って伝えておくように」
ブロロ……とよく知っているけれど、思い出せないモーターの音が聞こえる。
だんだん大きくなっているようだ。
「やれやれ。そろそろ帰る時間か。もう少し坊主と話していたかったんだがな」
「実、来年また来ますね」
「ばいばい、またね!」
祖母は何も言わずに僕の頭を撫でた。
行ってしまうのが寂しくて、サンダルをひっかけて、仄かに光る庭に出た。
モーター音が激しく聞こえる。
そこにあったのは、なんとも長い車と、なんとも丸い車だった。
カラーリングはそれぞれ緑色と紫色。
「え……」
「槙子は牛に乗るように。俺はこのオンボロ車に乗ってくから」
「隆之が作ったものだから、きっとたどり着けると信じてますよ」
「ああ、あの世で合流だな」
きゅうりモデルの車に祖父が乗り込む。
茄子モデルの車には、既に祖母がハンドルを握っていた。
ふと思いついた言葉が、意図しないうちに口から出た。
「ハードボイルドだなあ……」
「実、危ないから下がってなさい」
「坊主、ハードボイルドって言葉を履き違えてないか? これは、流行の最先端って言うんだぜ!」
爆速で走り去っていく車二台に手を振って――。
目が覚めた。
枕の近くでは、扇風機が強で回っていた。
タイマーをつけ忘れたみたいだ。
うるさいモーター音のせいで、あんな夢を見たのだろうか?
翌朝、こんな夢を見たよと報告すると。
母さんは父さんを睨みながらこう言った。
「あら、まだ送ってないのにせっかちなお父さんたちね。それはそうと、隆之さん、お父さんが帰れないようなものを作ったんですって?」
「理論上は帰れるはずなんだぞ。と、言うか、あの牛や馬って、荷物を運ぶものであって、人を乗せられる、のか?」
「ばあちゃんたちは乗ってた」
「それは夢の中の話だろう」
朝食の後、牛と馬を庭に移して、お線香を焚いた。
なむなむもした。
母さんが言うには、これで帰っていくのだという。
あの夢は、何だったんだろう。
今どきのご先祖様は牛や馬には乗れないんじゃね?と思って書いた話でした。