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第五話

 光の中へと放り出されるように目が覚めた。


 ルシアンの視界に入ってきたのは借家の天井だ。


(変な夢を見ていたような……)


 ぬかるみの中へ沈んでいくように、記憶が消えていく。同時に眠気も消え、目が冴えてきた。


(あれ? なんだろう? 朝から死にたいんだが?)


 部屋のすみっこに鎮座するツボが視界に入った瞬間、このままベッドの上で横になり、枕を濡らしたい衝動に駆られてしまった。


 灼剣猟団に所属し、シャルロットたちと依頼をこなしていた頃は、朝から憂鬱になることなど無かった。毎日が充実していたし、すぐにでもシャルロットに会いにいきたかった。


 不意に涙で視界がゆがんだ。


(ダメだ。認めるな。俺は騙されたんじゃない。そうさ、少しの間、夢を見させてもらっていただけだ)


 そう自分に言い聞かせたところで、鬱屈としたモヤが晴れるわけではない。とっさに枕の下に隠してある女神ミリスの魔術版画を取り出す。腰布を巻いているが、放漫な胸を露わにした宗教画だ。神は服を着ないので性的な絵だと言う者がエッチなのである。


(ミリス様ミリス様ミリス様ミリス様ミリス様ミリス様ミリス様ぁぁぁぁ!!)


 これまでなら、ミリス様への信仰心が股間に集中するのだが、うんともすんとも言わなくなっていた。


「やっぱり朝でもダメか……」


 不能だという事実を受け入れるのは、あまりにも酷なので、ポジティブに充電期間だと脳内変換した。ため息まじりに宗教画を枕の下へと戻したところで誰かが扉をノックする。


「ルシアン様、お目覚めでしょうか?」


 扉越しの声に、ルシアンは再び盛大なため息がついた。


「どうかなさりましたか?」


 扉が開き、ダボダボのチュニックを着たアムリが入室してきた。ルシアンの替えのチュニックだ。さすがに襤褸を着させたままにはできなかった。


「お食事の準備はできています」

「ああ、うん……」


 結局、アムリを振り切れず、家までついてこられてしまった。毒を食らわば皿まで、と開き直り、湯で体の汚れを落とさせた後、ルシアンの替えの服に着替えさせた。身ぎれいにしただけで、アムリの可憐さに拍車がかかってしまい、衝撃を受けた。

 このまま浮浪児生活に戻れば、遠からず人さらいにあうだろう。などと考えると、ますます突き放せなくなる。


(もう充分施しは与えた……ポジティブに見捨てよう)


 怪訝そうにするアムリの視線から逃げるように立ち上がって、寝室を出る。ルシアンの借家は二部屋の間取りだ。寝室の他は、台所兼居間となっている。一人暮らしの冒険者には若干広い間取りだが、いつかシャルロットを招き入れるために引っ越したばかりだった。


「村の市場でいいお肉が手に入ってたんです」


 テーブルの上にはスープとパンが置かれていた。


「え? 金は?」

「すみません。私が持っていた銀貨を使ってしまいました」

「謝る必要無いだろ。お前の金なんだしさ。ついでに自分の服とかも買えばよかったのに」

「いえ、私の物はルシアン様の物です。ルシアン様のために使えればと」


 献身も度が過ぎると、うすら寒さを感じてしまう。しかもアムリは十二歳らしい。まったくもって十二歳とは思えない立ち居振る舞いだ。これはもう、どこからどう見ても訓練された詐欺師である。


「十万レドくらい持ってたよな? それなら古着くらい揃えられるだろ?」

「お言葉ですが、このチュニックで充分かと。というより、このチュニックがいいです! ふんす!」


 強く主張されてしまった。


「ルシアン様に包まれているような温かさを感じます」


 惚けたような表情でクネクネしていた。どう反応していいかわからず、受け流しつつルシアンはテーブルにつく。アムリはテーブル脇に立ったままだ。


「お前の分は?」

「お気になさらないでください。ルシアン様が食べた後、いただきますので」

「椅子はあるんだから、お前も食べろ」

「そんな! 畏れ多いです! 私はルシアン様が他の奥様たちと仲睦まじく食事をしているのを眺めるのが好きなんです! 大好物なんです!」


 なぜだかわからないが、アムリの頬が紅潮していた。


「いや、いいから一緒に食べてくれ。落ち着かないから」

「承知いたしました」


 うやうやしく頭を下げ、アムリは鍋から自分用のスープを皿によそい、テーブルに置いた。 いつかシャルロットを招いた時に使うつもりだった椅子にアムリが座る。ルシアンは突発的に泣きそうになったが誤魔化して、テーブルに肘をつき、手を組んだ。


「我らが慈悲深き地母神ミリス様。その恩恵に感謝いたします」


 食前の祈りをするルシアンを、アムリは驚いたような顔で見ていた。


「どうかしたか?」

「いえ、その、神に祈る姿を初めて見たので……」

「そりゃあ、初めて一緒に飯を食うからな」


 アムリは悲しげに微笑みながら「そうですね」とうなずいた。アムリは一言「命に感謝を」とだけ言う。神に感謝するのではなく、命に感謝していることが引っかかったが、ミリス教以外の祈りに詳しいわけではないので受け流した。


 スープに口をつけた瞬間、肉のうまみが口に広がる。


「うまい……」

「お口にあって良かったです!」


 ちょうどいい塩気であり、肉も柔らかくなっていた。ネギもいい。男の一人暮らしだと野菜を買わないため、新鮮さがあった。


「どこでこんな料理を学んだんだ?」

「ファビオラ様から学びました。料理もまた術式を使うことでおいしくなるのだと」


 言いながらスープに口をつける。


「やはりファビオラ様の味には届きませんね」

「充分うまいよ」


 まだ貴族だった頃を思い出す程度に美味だった。


「ファビオラ様は料理長として辣腕を振るっておりましたからね。カーマ様やイーニス様でさえ、ファビオラ様の料理に口出しはできませんでした」

「そいつはお前の友人か?」


 だったら、その友人を頼れ、という流れで追い払おう。


「友人というより、私と同じくルシアン様の妻。寵姫です」


 アムリはすぐに妄想の話をするから始末に負えない。会話が成立しないため、こうして家にまで侵入を許してしまった。


「俺はミリス教徒だ。妻をたくさん待つなんて教義に反する」


 七神教の中でもヴェーラ教やマハル教は多夫多妻を許してはいるが、それにしたって限度がある。ましてや地母神ミリスは貞節を重んじる教派だ。


「私も詳しくは存じ上げませんが、その……いろいろあったそうです」

「いろいろね~……」


 シャルロットとの一件があって以来、更に信仰心が強くなり、生涯童貞を貫く決意をした自分が、どうやって破戒の道に進むと言うのだろうか? 考えられない。


「そのいろいろってのが、俺の天慶(スキル)とやらと関係があるってことか?」

「はい」

「人を憎んだり神を憎んだりすると強くなるか……そんな天慶(スキル)、聞いたことない」

「特殊な天慶(スキル)は珍しくありません」


 天慶(スキル)には汎用型のものと特殊型の二種類がある。

 汎用型はいわゆる魔術や剣術など技術に関するものだ。天慶(スキル)を得ることで時間をかけずに修得し、使用できるようになる。そして、この天慶(スキル)は契約した神の信者同士で共有できた。


 例えば、シャルロットがルシアンの剣術を学び、修得したことで、これを天慶(スキル)に昇華した。シャルロットはヴェーラ教徒なので、同じヴェーラ教徒にこの天慶(スキル)を与えることができるのだ。そして、供与された物は、その瞬間から何の修練も理解もせずに技術を自動的に使えるようになる。ただ天慶(スキル)の名称をつぶやくだけでいい。


 ともあれ、人から譲ってもらえる天慶(スキル)にも限度があり、強力な天慶(スキル)であればあるほど、その容量は大きくなると言われているし、その最大許容量も個人によって違うらしい。今では魔術を一から学ぶ者はおらず、全て天慶(スキル)の共有で習得されていた。ほとんどの者が、なぜ魔術が発生するのかを理解していないし、人体の構造を理解していない剣士もいるほどだ。


 そして、天慶(スキル)の中には他者と共有できない天慶(スキル)もあった。


 それが特殊型天慶(スキル)と呼ばれる天慶(スキル)だ。


「<闇墜ち>ね……本当かどうかはわからないけど、物騒な天慶(スキル)だな……」


 アムリは真剣な面持ちでルシアンを見つめてきた。


「ルシアン様は勇者になりたいですか?」

「いや、ぜんぜん」


 アムリが驚いたように目を見開く。


「本当ですか?」

「嘘をついてどうするんだよ? そりゃあ、冒険者ともなれば憧れるのが普通だと思うけど……」


 勇者とは王神教が定める英雄のことだ。

 <神機>と呼ばれる武具を渡され、魔王と戦う宿命を背負わされる。王神教が定める神機の数は全部で八つしかないため、勇者はこの世界で最大八人しか存在しない。ちなみに、勇者の敵である魔王は王神教の都合で数が増えたり減ったりする。


「俺はなりたくて冒険者になったわけじゃないからな。天慶(スキル)を使えないとなると選べる職業も限られてくるし、しかたがなく冒険者をやってるだけだ」


 技術のほとんどは天慶(スキル)として整理され、共有される。鍛冶師になるには鍛治神ヴェーラと契神し、同じ信徒から鍛治の天慶(スキル)を共有してもらう。農夫なども例外ではない。地母神ミリス教徒から農耕の天慶(スキル)を共有してもらえなければ、働くことさえできなかった。


 あらゆる天慶(スキル)を得ることができないルシアンは、技術職全てに就くことができない。残された選択は単純な肉体作業か奴隷に墜ちるくらいだ。


 それなら命がけとはいえ、一発逆転がある冒険者を選ぶ他なかった。


「働かずに生きていけるなら、それがいいに決まってる」

「本当に勇者を目指さなくてもいいのですね?」

「勇者なんて超激務じゃん。絶対やりたくない」


 アムリは安堵の吐息をもらしつつ「良かった」と言った。


「では、このオラハムで冒険者稼業を続け、穏やかに一生を終えるという認識で良いでしょうか?」

「むしろ、冒険者だってやめたいよ。寝てるだけで金の入ってくる生活がしたいね」

「安心してください。オラハムのダンジョンくらいなら、問題なく稼げるかと思います。いずれファビオラ様や特殊な技能をお持ちの寵姫が集まれば、飲食店や商店などお店を開くなどもできます。そうなれば、ルシアン様はご自分の好きなことに注力していただけますよ」


 要するに「ヒモになれ」という妄想だ。苦笑を浮かべざるを得なかった。


「闇堕ちなどせず、つつましく穏やかに暮らしていきましょう。私も妻として精一杯お力添えいたしますので」


 やはり詐欺だと思った。妻が一人ではなく複数いるという変形型の結婚詐欺、ハーレム詐欺である。第一詐欺被害者になってたまるのか。せめて二番目以降にしてほしい。


「そういう妄想に逃げるのもいいけどさ、現実的に、とにかく金が無い。このままダンジョンの活性化が続けば、ソロでの依頼は受けられない。一月後にはこの家を追い出される」


 毅然とした表情を意識した。


「要するに、お前の面倒は見切れないってこと。一宿一飯の恩義を感じてくれるなら、今日のうちに出てってくれないか?」

「ソロが無理なら私とパーティーを組めばよいかと思います」


 ニコリと微笑み、言葉を続けた。


「十全ではありませんが、これでも私は特級冒険者ですので! ふんす!」


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