第四話
周囲の地面はひび割れ、瓦礫が散乱し、空は濁った紫色に染まっていた。
世界の終焉にふさわしい様相だ。
男の前に人の頭大の立方体が浮かんでいた。黒い光を発しながら回転しているキューブに向けて、男は右手を伸ばす。漆黒の手甲は振動でひび割れ、手の平は灼熱によって焼けただれていた。絶え間なく生じる衝撃波に耐えながら男は立ち続ける。
騙された、と思った。
しかたがない、とも受け入れていた。
男はこの世界が嫌いだった。
自分と似たような形をする肉の塊はそれ以上に嫌悪していた。
憎悪と怯懦と邪知を利用し、愛と勇気と正義を支配し嘲笑してきた。
結果、手に入れた勇者という役割。
多くの墳墓を足蹴にしてきた悪党を、聖者として扱うのだから滑稽だ。滑稽すぎて自らを含めた遍く全ては滅んでしまえばいいとさえ思う。
(なのに、どうしてだ?)
破滅を望んだ。
悪徳を流布し、人の醜さを暴いて自覚させ、自分と同じ地獄に堕としたかった。世界が怨嗟と絶望と嘆きで満ちてくれれば、自分の魂も救われる。そう思っていた。
そんな邪悪が世界の崩壊を必死に止めている。
その理由がわからなかった。
「ルシアン様!」
女の叫び声が聞こえる。一つや二つではない。
(……ただの慰み物に情でも移ったか?)
神が貞淑を説くから、男は淫奔に走った。
涜神の結果、百を超える妻を抱えたが、愛など無い。
褥の睦言も虚飾の戯言でしかなく、女など獣欲を満たすため、あるいは政治、戦闘のための道具でしかなかった。だが、道具は道具としての手入れが必要だ。
よく働かせるためには与えねばならない。
それが耳障りのいい虚言であろうと、道具が十全に動くなら、真意など不要だ。その言葉を愛だと信じ、男に忠誠を誓う道具どもが愚かで憐れで憎かった。
だから愛したことなど一度もない。
「アムリ……」
道具の中の一つに声をかける。
「ルシアン様……」
女は状況を悟っているのか、穏やかに微笑んでいた。一緒に死ぬことを受け入れているのだろう。
ふざけるな、と叫びたくなる。だが、男は苦笑を浮かべた。
「俺の言葉を他の寵姫にも伝えろ」
「待ってください! 私もご一緒に……」
「俺の運命は俺だけのものだ。お前らには欠片も渡さんよ」
「ルシアン様! ダメです!!」
男は魔術式を奔らせる。
全ての妻を、この場から転移させる大魔術だ。
無論、魔術を行使した瞬間、男は邪神に飲み込まれる。
それは死を意味する。
男をハメた者どもに敗北することを意味する。
「我が妻たちよ! 最後だから俺の胸中を告白しよう!」
朗々と声をあげる。
「俺はお前らが心底憎かったよ! 愛したことなど一度も無い! ただの道具だ!」
吐き捨てるように叫んでやった。
「もういらん! 邪魔だ! この地獄を生き抜く苦痛を受け入れ、虫のように子を成し、ひからびて死ぬがいい!!」
嘲笑を浮かべながら男は魔術を始動した。泣きながら道具たちがなにかを叫び、手を伸ばしてくる。
「俺は一人で逝く。誰であろうとも同道は許さん」
光に飲まれる瞬間、男の胸の内が温かいモノで満たされた。