5、監査人、土魔法の一端を知る。
安宿のベッドに座っていたオルテガは財布の口を下に向けて振った。
すると、金貨が二枚出てきた。
「これが俺の全財産だよ相棒殿」とオルテガはキエナを見て笑った。
この貧乏人が! とキエナは内心毒ずいた。
オルテガはその一枚をキエナに渡す。
「こいつをある人物に渡し、ここまで連れてきてほしいんだ。頼むよ相棒」
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カツカツカツカツ、キエナはトルトゥーガの裏通りを南に向かって歩いていた。そのキエナの頭の中をある言葉が駆けまわっていた。
最悪だ、最悪だ、最悪だ、最悪だ。
こんなことはじめてだ、と思った。
今まで何十人という領主を相手に監査人を務めあげてきたが、逆にその領主の手足になって働くなど初めてのことだった。
私が、犬のようにあいつの為に働くだなんて馬鹿げている!
本音を言えば、キエナは今すぐにでも王都に帰りたい気分であった。
だが、とにかくやるしかない。あそこまでためらわずに自分の胸に刃を刺し込もうとする人間なら、私を脅すためなら何でもするだろう。
オルテガ=リーズにアークホルン公爵家の血が入っている、という噂は本当であったか、とキエナは思った。
アークホルン公爵家というのは一言で言えば“悪魔の一家”と呼ばれてきた一族であった。
王家の親戚筋であるので誰も手出しできないが、王家の血で血を洗う争いを裏から支え、あらゆる謀略の限りを尽くす家……ということで黒い噂が絶えなかった。
あのオルテガという男は、アークホルン家の召使いの子供で、ある時期まではその存在すらこの世に知られていなかったらしい。
とにかく、如何にもアークホルン家の人間らしく、妙に頭が回り、忌々しい……。途中まではただのボンクラだと思っていたのに。
「あっと、ここね」と言いキエナは足を止め、その家を見上げた。
ここがあのバクラムという盗賊団のリーダーの愛人の家……
まぁ、断られたらアイツの責任だから私には関係ないか。
そんな気持ちでキエナは彼女の家の扉をノックした。
「はーい」という声が聞こえ、間もなくドアが開けられた。
女がでてきた。
キエナはその女に語りかける。
「私は領主オルテガ=リーズの使いできましたキエナと申します。我が主が、是非とも貴方様に折り入ってお話がある、ということで参上いたしました」
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「ようこそお越しくださいましたパオラさま」とオルテガは笑顔で言った。
そのパオラと呼ばれる色気たっぷりの愛人は安宿のオルテガのベッドに座る。オルテガはもみ手をしながらベッドサイドテーブルの反対側の椅子の上に座った。
キエナは冷めた目つきで壁にもたれかかり、この二人の会話を後ろから眺めていた。
「ところで、パオラさま。あなたは大変お美しい」
「ふふふ。そうよね。アチキの美貌は本当にヤバいって噂が立つほどだからね。ねぇそんなに美しい?」
「ええ、もちろんですよ。あなたほど美しい女性を俺は見たことがありません」
よく言うこの嘘つきめ、キエナは思った。キエナの思う美人とパオラの顔立ちはあまりにかけ離れていた。顔全体が馬のようにひょろ長く、出っ歯で、そのくせ頬骨が張り出しているばかりか、顔全体がどこか歪んでいた。
つまり、ブス。
そう、言ってしまえば、バクラムはブス専だったのだ。
そんな女をバクラムは毎夜抱く。それも曜日が指定されているらしく、このパオラと呼ばれる女性は七人いる愛人のうちの一人で“水曜日の女”と言われていた。
「そんなお美しいあなたに二つお願いがあるのです」とオルテガは話を切り出した。「まず、その美しいお顔に触れさせてください」
「えー? あなたバクラムに殺されるわよ? バクラムはアチキを愛してるんだから」
「ええ、ごもっともでございます。もちろんタダでとは申しません」
そう言ったオルテガはベッドの下から何やらジャラつく重々しい袋を取り出し、その中身をベッドサイドテーブルにぶちまける。
その光景にキエナは思わず目を丸くした。
金貨だ。テーブルの上に積もるように金貨の山が袋から現れたのだ。
「どうか、このお金であなたの頬に触れさせていただきたいのです」とオルテガは眉をハの字にさせ頼み込む。
「え? ええ、いいですわ。もちろん! もちろんOKよ! それで、もう一つの願いとはなんなのです!?」と愛人パオラはまるで闘牛のように鼻息を荒くして言った。
その様子を見たオルテガは唇の片方をつり上げる。
「ええ、これはぶしつけなお願いなのですが――」
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「怖いぐらいあっさり承諾しましたね」とキエナはオルテガに言った。
「まぁ、あんな大金チラつかせれば人は誰でも欲望に負けてしまうものさ」
「それで――あの金貨はどこからひねり出したのです?」とキエナは尋ねた。
「え? 金貨? なんのことかな?」
「とぼけても無駄です。あなたが私を相棒と思うなら、その真実を私も把握するべきだと思いませんか?」
「……」
「実家にかけあったのですか?」
「なに?」
「だって、あなたはアークホルン家の落とし子なのでしょう?」
すると、スイッチが入ったようにオルテガは怒りの形相になり、キエナに顔を近づける。
「あいつらには一銭だってねだっちゃいない。この俺がアークホルンの連中に乞食のようにねだるもんか!」
「へぇ~、ではあの金貨の山はなんだったのです?」
「……ゴーレムだ」とオルテガは吐き捨てるように言った。
「え?」
「だからゴーレムだ。聞こえなかったのか? 土魔法を最高まで極めた俺クラスになると、一度触れたものなら完全に再現することができる。だからコインも――」と言い、何もない手のひらからコインが山のように溢れてくる。
「当然、再現可能だ。この通りな」
またもテーブルが金貨で埋め尽くされた。
キエナは再び目を丸くする。
「すごい……、この一つ一つの金貨がゴーレム? 土魔導士は皆こんなことができるのですか?」
「まさか、この呪文は土魔法の中でも最上位に位置するもので、ほとんど俺しか使い手がいない魔法さ。だから、誰だってこれが土魔法ともゴーレムとも気づかない。君だって気づかなかっただろ? まぁ俺の魔法の効果範囲……つまり、この街から出たなら、ただの土に戻ってしまうのだけどな」
「なら、最初からこのお金を使えばよかったじゃないですか! 宿に泊まるのだって!」
「もちろん、いざ、となったら使うが、なるべくなら使いたくなかったんだよ。この金は俺の魔法効果範囲外だと途端に土に変わるからな。こいつが魔法だと見破られる機会をなるべく少なくしたかったんだ」
「ではパオラにあげた金はどうするつもりです?」
「大丈夫だ。あの金はすぐに強盗にあい、パオラはすべてを失うことになっている。たぶんあれだけの大金なら宝箱にでも入れて厳重に保管するはずさ。だが、ある日、その宝箱ごと消えるんだ。そういう計画であの金は最初から渡している。どうだ? これなら安全だろう?」
監査人キエナは肌がゾワゾワするような感覚を覚えた。
最弱の土魔法にこんな使い方があるだなんて知らなかったからだ。
すると、この男が、土魔法は最強だ、と言っていた言葉を思い出す。
キエナはこの土魔導士の表情を見た。
オルテガ=リーズは確信に満ちた顔をしていた。