08.迷宮採取人の散歩
今日も今日とて、村で唯一の雑貨屋へ御用聞きに訪れたレイクだが、
「ごめんね。せっかく来てくれたのに」
と、店番のアンナが申し訳なさそうに謝った。
本日は依頼がないそうだが、そういう日もあるだろう。
気にするなと手を振り、レイクは雑貨屋を出た。
家に戻ったレイクは、武装を解いて片付け終える。
途端に、やることがなくなってしまった。
レイクに趣味と呼べるものはなく、家事もできない。
時間が余ると手持ち無沙汰になり、困ってしまう男だった。
何をしようかと考え込むが、急なことでアイディアが浮かばない。
午前中のミミイは、ぐっすり眠りこけている。
「…………散歩にでも行くか」
レイクは楽な格好に着替えると、家を出た。
◆
防御壁で囲まれた迷宮都市は、閉鎖的で密集した場所だった。
路地は複雑に入り組み、ダンジョンの浅層にさえ生活の場が食い込んでいる。
そんな狭苦しい環境で生まれ育ったレイクにとって、村は開放的すぎた。
村を歩いている時、見上げた広い空と見通しの良い景色に、足が竦む瞬間がある。
だから迷宮都市とのギャップを埋めようと、レイクは割と散歩に励んだりしていた。
土が掘り返され、畝が整然と並んでいる耕作地を横目に、レイクは畦道を歩く。
もうすぐ芽が生え、やがて耕作地一面が緑になって野菜が育つらしい。
どんな光景になるのか、レイクには想像もつかない。
てくてくと歩く先に、大きな樹が見えてきた。
昔から村にある老樹とかで、幹回りはゴツゴツとしたコブだらけである。
レイクが迷宮都市で見た樹木といえば、知人宅の中庭に植えてあった小さいものだ。
枝を大きく張り出し、高くそびえる老樹を見た時、その雄大さにレイクは畏怖した。
その老樹の根元には一人の老人が、幹を背もたれに座り込んでいた。
彼の前には五人の子供達が、膝を抱えて居並んでいる。
子供達の中には雑貨屋のカール、サマンサお婆さんの孫娘メアリもいた。
老人の名はヘリオット、若い頃は村を出てあちこち放浪していたらしい。
たまに子供達を集め、若い頃の経験談を語って聞かせている。
外の世界を知らず娯楽に乏しい子供達は、彼の話を夢中になって聴き入るのだ。
実はレイクも、彼の話が大好きだった。
ヘリオット老は、子供達を楽しませるためか話をかなり脚色する。
ホラ話のてんこ盛り、噂も伝説も体験談のように語る癖があった。
邪魔をしては悪いとレイクは気配を消し、死角となる位置に佇んだ。
村人相手なら、隣にいても気付かれない自信がある。
レイクは穏やかな風に乗って流れる、語り部の話に耳を傾けた。
「こうしてモンスターを撃退した諸族は、ダンジョン攻略に乗り出したのじゃよ」
どうやら迷宮都市建立以前の、冒険者全盛期の話らしい。
その昔、ダンジョンから地上に溢れたモンスターが各地に甚大な被害をもたらした。
それを契機に相争っていた諸族は、合同でモンスターを討伐。
地上の脅威を駆逐すると、諸族は元凶であるダンジョン討滅に乗り出したのである。
「猛き猪人、足速き兎人、強靭な竜人、賢き鼠人、豪壮な虎人などなど、数多くの種族が共に手を携えて、ダンジョンに挑んだのじゃ」
老人が紡ぐ物語に、子供達は目を輝かせる。
この村には人間しかいないから、他種族について噂にしか聞いたことがない。
だから老人が語る他種族の英雄の活躍に、子供達は胸を躍らせた。
もっとも老人が挙げた他種族の呼称は、現代では余り使用されていない。
そこには若干の差別的な意味合いを含んでいるからだ。
かつて他種族が、人間を猿人と呼んでいたことを思えばニュアンスが通じるだろうか。
「そして数多の種族の中でも、エルフの活躍は抜きんでておった」
老人が目を閉じ、思い入れ深く語る。
「深き森の守護者、麗しき風の導き手たるエルフは、孤高の種族じゃ」
あっ、ヘリオットさんは森人の崇拝者だと、その口ぶりからレイクは察した。
「ねえ! おじいちゃんはエルフに会ったことがあるの!」
サマンサ婆さんの孫娘、メアリちゃんが元気良く手を挙げて尋ねる。
「もちろんじゃよ。群れなすモンスターを風の魔術でなぎ払い、百発百中の弓はいかほど離れても急所を貫き、細剣は一撃必殺の威力だったぞ」
さも見たことがあるように語る、ヘリオット老。
「エルフは美しく気高く賢い人々で、種族を越えて他者を惹き付けるのじゃ」
吹き出しそうになったレイクが、思わず片手で口を押さえる。
腹筋がよじれ、笑い出しそうになるのを必死に堪えた。
ヘリオット老はエルフの実物に会ったことがないと、レイクは確信する。
種族のるつぼである迷宮都市で暮らす者達は、レイクから見れば一様に世俗的で享楽的だ。
その中でもエルフは、気高さとはかけ離れた連中ばかりだった。
特に知人のエルフが、ひどい。
年中家に引きこもり、怪しげな研究に勤しみ、異臭騒ぎなど日常茶飯事。
何日もまともな食事を摂らず、合成した栄養飲料で生命活動を維持する、そんな生き物だった。
さらに荒唐無稽さを増す語り部の話に、レイクは可笑しさと懐かしさを覚えた。
◆
散歩から戻るとミミイが目を覚ましていたので、一緒に遊んだ。
レスリングごっこと呼ぶべきか。
レイクは右手を、ミミイは胴体を使い、互いに技を駆使して相手を抑え込むのだ。
テーブルの上で身構えるミミイに、レイクは人差し指を左右に振りながら近付ける。
指の動きに合わせるように、鎌首をもたげたミミイもゆらゆらと揺れた。
見詰めていると頭がボーとしそうな、独特のリズムがある。
(――――いかんいかん)
意識をはっきりさせようと、レイクは頭を振った。
「ミッ!」
その隙を逃さず、ミミイが飛び掛かる。
「なんと!?」
虚を突かれたレイクが、驚きの声をあげた。
人差し指に絡みついたミミイが、シュルシュルと手首に巻き付こうとする。
「ミ――――!」
「だが、甘い!」
中指でミミイの頭を手加減して弾き、手首を返して拘束を解く。
そのまま手の平でミミイをテーブルに抑えつけた。
「どうだ! まいっテエエッ!?」
興奮したミミイに指先を噛まれ、レイクが悲鳴をあげる。
「こらっ! 噛むのは反則!」
カジカジと歯を立てるミミイの頭を、反対の手でポンポンと叩く。
最近噛み癖のついたミミイを、レイクは度々躾けている。
「おまえ、けっこう歯が鋭いな」
指先にぷっくりと血の玉が浮かんだが、大した痛みではない。
むしろミミイの闘争心に、感心したぐらいだ。
しかしペットの躾は飼い主の責任だから、厳しく叱ることにしている。
「ダメだぞ、ミミイ?」
「…………ミー」
「ああ、大丈夫だから! 大したことないから、気にするな!」
しょんぼりとした様子のミミイを見て、レイクが慌てて慰める。
全然厳しくない。甘やかし過ぎである。
首を伸ばしたミミイが、レイクの指先をペロペロと舐め始めた。
小さな舌が這う感触が、こそばゆい。
――例の、身体の両脇の膨らみが、さらに目立つようになってきた。
白い突起物が生えたような感じである。
特に痛みはないようだが、触るとくすぐったいらしい。
何かの病気ではなかろうかと、レイクは内心不安であった。
「怒ってないから、元気出せ」
「ミー」
判断のつかないまま、レイクは桜色の鱗を撫でる。
ミミイは甘えた声を出し、レイクの指に頭をこすりつけた。
迷宮都市で暮らしていた頃には、知ることがなかった。
そんな穏やかな時間が、ゆっくりと流れてゆく。
レイクが真実を知るのは、もう少し先のことであった。