07.迷宮採取人の驚き
レイクが現在暮らしている、オッパケラードという辺境の村。
その東の外れにあるのが、地下にダンジョンが広がる窪地だった。
砂利だらけ窪地の中央には、小高い丘が鎮座している。
片側が切り立った崖で、そこにダンジョンへ通じる入り口があった。
ダンジョンの入り口は、頑丈な扉で閉ざされている。
まるで王宮の謁見の間にある扉のような、重厚感あふれる大きな石扉だ。
元々入り口は、大小の岩を積み上げて塞いであったのである。
ところがある日、それが木っ端みじんに吹き飛ばされる事件が起きた。
レイク・ヘンリウッズという名の、迷宮採取人の仕業である。
つい勢いのままにやってしまったが、ある意味仕方がない状況だった。
しかしダンジョンと村を遮るものが消失した状況を、村人達が心配してしまう。
大変申し訳なく思ったレイクは、村に滞在して新たに扉を造り始めた。
彼が魔術を駆使して出来上がったのが、特別製の石扉である。
そんな経緯が切っ掛けとなり、レイクは村で暮らすようになった。
今朝もまた、レイクはダンジョンの扉の前に立ち、その表面に手を押し当てる。
やや気合を込めて魔力を注入すると、内部に仕込んだ呪紋が起動した。
相当な重量のはずの石の扉が、すうっと音もなく開く。
レイクがダンジョンの奥へと姿を消し、しばらく経つと扉が静かに閉まった。
◆
「…………厄介だよな」
依頼の素材をドロップするモンスターは、土属性の魔術が通じる鉱物系だ。
なのにレイクは、憂鬱そうにため息を吐いた。
彼の気分に関係なく、ズリズリと引きずるような音が響く。
レイクは気持ちを切り替え、普段通りに剣を抜いて構えた。
そのまま待っていると、モンスターが床を這いずって現れる。
――ヘビ―サンド。全体に黒くて丸っこいモンスターで、手足の類はない。
「運が良いのか悪いのか…………」
ここ最近、お目当てのモンスターと短時間で会敵することが続いている。
家に早く帰れるから結構なことなのだが、今朝は気分が乗らないらしい。
一抱えもありそうなヘビーサンドは距離を置いて停止、ズルリと身体の一部を伸ばす。
それをヒュンヒュンと振り回し、レイク目掛けて鞭のように打ち付けてきた。
魔術を通した剣で迎撃すると、黒い鞭は粉塵となって周囲に飛散した。
しかし、ヘビーサンドがダメージを受けた様子は皆無である。
鞭を二本に増やして、レイクを左右から挟み込むように襲う。
レイクは冷静に軌道を読んで距離を開け、鞭が交差したところで同時に破壊した。
土属性の魔術を帯びた剣のおかげで、レイクは容易に迎撃している風に見える。
しかし互いに決定打に欠けた攻防が、延々と続いた。
ヘビーサンドは、細かい粒子が集まった群体らしい。
黒い粒が各々独立したモンスターだと、レイクは知人に教えてもらったことがある。
だから急所となる核がなく、素材を回収するためには地道に削るしかない。
レイクの額に汗がにじみ、単調な作業に集中力が削られる。
どれほど攻防を繰り返したのか、唐突に戦いが止んだ。
ヘビーサンドの体がベシャッと崩れ、床に広がった。
許容量を超えて削られると、ヘビーサンドは群体を維持できなくなる。
赤黒い瘴気が立ち上り、勝負は決した。
「…………はあー」
やるせないため息を吐き、レイクは荷車からホウキと塵取りを取り出した。
通路にまき散らされたヘビーサンドの残骸、ドロップ品をせっせと掃き寄せる。
ヘビーサンドが残す素材は鉄粉だ。村で唯一の、鍛冶屋からの依頼である。
散乱してしまった鉄粉を集めるのが大変な作業で、戦いよりも時間が掛かる。
苦手な掃除みたいだから、レイクはヘビ―サンドの素材採取が嫌いだった。
塵取りですくい、重さで底が抜けないよう複数のバケツに小分けにした。
そのバケツを荷台に積み込み、台車の引き綱を肩に掛ける。
きつく食い込む重さに呻きながら、レイクは台車を牽いてダンジョンを出た。
◆
ドロップ品を雑貨屋のアンナに納めると、レイクは家路に着いた。
途中の道端で草むらをガサガサと漁った後、いそいそと足を早める。
家に到着すると寝室で装備を外し、ぽいぽいとベッドに放り投げる。
いつもならすぐに装備の手入れをするが、今はそれどころではない。
くつろいだ格好になると、壁際のタンスの前にしゃがみ込む。
一番下の引き出しに手を掛けると、そっと引っ張り出した。
「ミミイ、ただいま」
「ミー?」
下着を寝床にしたミミイが、寝ぼけた鳴き声をあげる。
家を出る時にレイクは、ミミイをタンスの引き出しに隠す。無論、換気には配慮する。
掃除に来てくれるご近所の主婦達も、さすがにタンスを開けたりはしない。
ミミイは朝食にミルクを飲んだ後、昼過ぎまで眠ってしまうので都合が良かった。
レイクが片手を差し出すと、ミミイは腕をくるくると伝い登る。
「良い子にしていたか?」
「ミー」
「そうか。なら、ご褒美に良いものをやろう」
「ミッ!? ミミッ!」
なになに!? そんな幻聴が聞こえてきそうな鳴き声である。
「……本当に言葉が通じている気がするな」
口元を緩めたレイクは、そっとミミイの頭を撫でた。
少なくとも声の調子などから、感情を読み取っている節はある。
レイクはミミイを食堂に連れて行くと、テーブルに乗せた。
「さあ、なにかな?」
レイクはもったいぶった様子で、手にした小さな袋を掲げて見せる。
ミミイは興味津々な様子で、舌をチロチロとさせた。
こいつ、ヘビなのに舌があまり長くないなとレイクは思う。
もっとも彼の知っているのは、ヘビ型モンスターだけなのだが。
「ほら、これだ」
袋を逆さにして揺すると、豆粒ほどの黒い甲虫が三匹転がり出てきた。
「ほら、メシだぞ?」
サマンサお婆さんによれば、ヘビは昆虫や小さな生き物を食べるらしい。
時には自分の胴体よりも大きいネズミや卵を丸のみにすると聞き、レイクはびっくりした。
だから雑貨屋からの帰り道に草むらを漁り、甲虫を捕まえたのである。
「たくさん食べるんだぞ?」
レイクが優しい口調で促し、ミミイを見守る。
甲虫の一匹がミミイに接近し、その触角が触れた途端、
「ミイイイイイ――――――――――ッ!?」
ミミイは警笛のような悲鳴をあげ、ピョンとレイクに跳び付いた。
◆
生餌を摂るには幼いのか、ひょっとすると虫が好みではないのか。
とにかくミミイは、レイクにギュッと巻き付いてしまって離れようとしない。
そしてレイクが甲虫を捕まえて庭に放すと、凄い剣幕で鳴き出したのである。
「ミっ! ミッ! ミッ!」
「そんなに怒るなよ」
「ミ――ッ!!」
「…………だって、なあ?」
「ミミッ!」
レイクの言葉を遮り、ミミイが鋭く鳴く。
言い訳するな。そんな感じの鳴き声だった。
「だったら、他に何を食べるんだよ…………」
憮然としたレイクが、しばし腕を組んで考え込む。
人間の赤ん坊だってミルクから離乳食と、固形物を食べるようになる。
ミミイもミルクだけでは大きくなれないと、レイクは考えている。
「あっ?」
閃いたレイクが、声をあげる。
「ミルクが大丈夫なら、チーズはどうだ!」
思い立ったレイクが、即座に家を飛び出した。
全力疾走で雑貨屋に駆け込むと、アンナが何事かと目を丸くする。
彼女に頼み込んでチーズを分けてもうらうと、家に取って返す。
「ほら、メシだぞ!」
あっという間に往復してしまった。
ミミイは警戒した。悪気がなくても、一度は騙されたのである。
「今度は大丈夫だって」
レイクは手のひらサイズのチーズを小さくちぎり、ミミイに差し出した。
ミミイは用心深く近寄り、鼻と舌でチーズを確認する。
「ほら、メシだぞ、美味いぞ?」
レイクがあやすと、ミミイはぱくっと食いついた。
「食べた!」
「ミッ!」
「美味いか!」
「ミミッ!」
「もっと食うか!」
「ミーッ!」
「そうかそうか」
再び差し出したチーズを、ミミイは丸のみにする。
「よし、今度からメシはこれにするか」
ひょっとすると、ハムも食べるかもしれない。色々と試してみよう。
そんなことを考えていたレイクだが、ふとミミイの身体に違和感を覚えた。
顎の下辺り、胴体の両脇部分が膨らんでいるような気がするのである。
「めしゃー!」
「え? ああ、まだ食うのかって、えっ?」
束の間の沈黙の後、
「メシャー!」
「しゃべった――――!?」
モンスターを前にしても冷静沈着な迷宮採取人が、この時ばかりは驚愕した。
「メシャー! メシャー!」
ミミイが何度も、同じ鳴き声をあげる。
舌足らずではっきりしないが、レイクの耳にはメシ、メシと聞こえる。
「…………ヘビって、しゃべるんだ」
迷宮都市生まれの都会っ子、レイク・ヘンリウッズ。
生まれてこの方、本物のヘビを見たことがないのはご存じの通りである。
さらにレイクは、ペットの飼い主達の自慢話を何度も耳にしていた。
曰く、うちの○○ちゃんは賢くて、よくしゃべるのよー。
動物が喋る訳ないだろうと、レイクは心の中で突っ込んだものである。
「本当のことだったのか」
感心しきりなレイクが、ハッとして口をつぐむ。
そして真剣な面持ちになると、ミミイに語り掛けた。
「とうちゃん、とうちゃん。ほら、言ってみろ?」
かつての同業者達がいれば、彼が正気を失ったのかと思っただろう。
しかしレイクの知っている飼い主達は、ペットに語りかけていたのだ。
「パパだぞー」とか、「ほら、〇〇ちゃん、ママでちゅよー」とか。
当時のレイクは呆れて眺めていたが、今なら彼らの気持ちが理解できた。
しかし、さすがにパパママは恥ずかしいので、父ちゃん呼びである。
大した違いではない。
「とうちゃん」
レイクは真面目な口調で教え込む。モンスターと対峙する時よりも真剣だ。
「メシャッ!」
しかしミミイは、飼い主の心情に一切関知しない。
ひたすらメシを寄越せと鳴くばかりだ。
「とうちゃんだ。ミミイなら、きっと言える。がんばれ」
口で励ましながら鼻先でチーズの欠片を振り、ミミイを焦らす。
エサで釣ろうという魂胆だ。
「ほら、とうちゃ――――」
「メシャアッ!!」
堪忍袋の緒が切れたミミイは、レイクの指にがぶりと噛みついた。