06.内緒のペット
レイクがヘビのミミイを飼うと決めてから五日後のこと。
ミミイが再び脱皮しそうだったので、レイクは迷宮採取を休んで付き添った。
固唾を呑んで様子を見守り、無事に終わると大きく息を吐いた。
「……よく頑張ったな、えらいぞ」
「ミー!」
背中を撫でて労うと、ミミイが嬉しそうに鳴く。
しかしレイクの方は、初めての経験にひどく疲れてしまった。
そんなレイクの目に、真新しくなった桜色のウロコが美しく映える。
撫でていると、その独特の滑らかさと不思議なしっとり感に癒された。
「あ、そうだ」
ミミイの傍らにあった脱ぎたての皮を、レイクが摘まみ上げる。
しげしげと眺めてから、用意してあった皿に乗せた。
――記念に保管するつもりなのである。
一見するとペットと飼い主の生活は、良好な滑り出しをしたかに見える。
しかしレイクには、ある重大な懸念事項があった。
「…………バレないようにしないと」
脳裏に浮かぶのは、雑貨屋のアンナを始めとする村の住民達の存在である。
彼らに対し、レイクは愛玩動物を飼うことに後ろめたさを覚えてしまう。
なにせ現在のレイクは、村全体で生活の面倒を看てもらっているに等しい立場なのだ。
この村を訪れた当初、レイクは今住んでいる民家を宿代わりに借りていたことがある。
その時のレイクは、家の中の掃除をまったくしなかった。
荷物をあちこち放り出し、家中埃だらけにして、洗濯物は山のようにため込んだ。
迷宮都市ではずっと下宿暮らしで、炊事洗濯など自分でやったことがなかったのである。
レイクは大量に持っていた保存食と水だけで、日々腹を満たしていた。
そんな状況を見かねたのが、村の主婦達である。
彼女達は頼まれもしないのにレイクの生活に踏み込み、あれこれと世話を焼き始めた。
その状況は今も継続しており、日常生活全般の面倒を看てもらっている。
だからレイクは、彼女達に頭が上がらない。当然、その家族にも遠慮があった。
レイクがダンジョンで採取の仕事に勤しむのも、村に貢献しないと肩身が狭いという理由も大きい。
自分の面倒もろくに看れない者が、どうして愛玩動物を飼いたいと言えようか。
だからレイクは、ミミイの存在を内緒にしようと心に決めたのである。
◆
「家の中は、自分で掃除をしよう」
大いに悩んだ末にレイクの下した結論は、ごく平凡で当たり前のことだった。
自分で掃除をすれば、ご近所さんに留守宅へ乗り込まれることがなくなる。
ダンジョンに潜る日、寝かし付けたミミイをタンスの中に隠さずに済む。
これは名案だと、腕利き迷宮採取人は自画自賛した。
レイクは家探しして、ホウキとモップ、バケツに雑巾、ハタキを取りそろえた。
「だいたいだ掃除なんて簡単で、誰にでもできる作業だ」
「ミッ!」
「そもそも俺は、掃除ができない訳ではない。やる時間がなかっただけだ」
「ミミッ!」
「だいたいちょっと埃が積もった所で、命に別条がある訳ではない」
「ミイミイ」
テーブルに退避させたペットを相手に、その飼い主が一席ぶつ。
内容自体は、掃除をしない人間の典型的な言い訳なのだが。
「本気を出せば、掃除なんてすぐに終わる」
「ミー」
ミミイは、話を理解している訳ではないだろう。
しかし反応を返してくれる身近な存在が、レイクには嬉しいのだ。
「だけど…………面倒くさいな」
最後に、ぽろりと本音が漏れていた。
とにかくレイクは、作業に取り掛かった。
雑巾で床をせっせと拭き、汚れたらジャブジャブと洗い、周りに水しぶきを飛ばす。
それを何度か繰り返した後で、レイクは天啓を得た。
「……最初にホウキで掃いた方が、効率的ではないだろうか?」
「ミー?」
レイクが首を傾げると、ミミイが飼い主の真似をする。
まずホウキでホコリを外に掃き出し、その後で雑巾掛けをする。
そうすれば雑巾の汚れは最低限で、水洗いの回数も減るはず。
雑巾をうっちゃりホウキを手にしたレイクは、ザッザと床を掃き始める。
勢いよくやるものだから、埃の大部分は宙に舞ってしまっていた。
それでも一生懸命働くレイクの姿に、ミミイはくあっと欠伸を漏らした。
「自分で掃除しようとして、こんなになったの?」
「…………面目ない」
昼食を持ってきた雑貨屋のアンナが、呆れたように食堂を見回した。
バケツは倒れ、床が汚水でビショビショになっている。
おまけに皿やガラクタの数々が、あちこちに散乱していた。
「……………………ミミイのやつが」
「みみ?」
「いやなんでもない!」
思わずぼやいてしまったレイクは、慌てて取り繕った。
飼い主が掃除に熱中して構ってもらえず、ペットは飽きたのだろう。
ミミイはテーブルの脚に器用に身体を巻き付け、するすると床に伝い降りる。
そしてホウキに飛びつこうとしたので、レイクが避けようとしてバケツに足を引っかけた。
バランスを崩した拍子に、棚に勢いよくぶつかってしまう。
その衝撃に棚から、食器や詰め込んでいたガラクタが落下した。
その直後、アンナがテラスから家に上がり込んできたのである。
人様の家に勝手に上がり込むのは、村では当たり前の感覚らしい。
アンナは悪びれもせず、逆にレイクをテラスへと追い出した。
「わたしが片付けておくから、昼食を食べてなさい」
テラスのテーブル席に昼食のトレーを置くと、アンナは戻って床の水溜まりを拭き始めた。
今日の昼食は葉物野菜のサラダに芋のスープ、でっかい肉詰めパイとミルクだ。
レイクは食事を摂るフリをしながら、視線をあちこちにさ迷わせる。
ミミイの姿が見当たらないのだ。
どうやら先ほどの騒動に驚き、隠れてしまったらしい。
(頼むから、今は出て来てくれるなよ!)
レイクは心の中で祈りながら、うわの空でパイを頬張る。
「ゴホッ!」
「どうしたの?」
しゃがんで水を拭き取っていたアンナが、顔を上げる。
彼女の背後にある食器棚、その上にミミイがいた。
「い、いや、なんでもない!?」
どうやってあんなところに! レイクは焦る。
棚の縁から首を伸ばし、眼下で働くアンナを見詰めるミミイ。
警戒しているのか、降りてこようとしないのが救いである。
「レイクさん、最近調子はどう?」
「あ、ああ、おかげさまでなんとか」
レイクの声に、ミミイが反応した。
彼に視線を転じ、ゆらゆらと尻尾を振る。
なんとなくレイクは、ミミイが助けを求めている気がした。
(鳴くなよ! 絶対に鳴くなよ!)
レイクの必死の念が伝わったのか、ミミイが胴体を大きくたわめる。
「ミッ!!」
(飛んだ!?)
バネのように身体を伸ばし、棚の上から見事に跳躍する。
「えっ? 何か聞こえなかった?」
「ご、ごめん。くしゃみが」
「ふふ、変なくしゃみ」
レイクの言葉を信じたアンナがくすくすと笑い、床拭きに戻る。
その時ミミイは、帽子掛けまで飛んでクルリと巻き付いていた。
そのまま、するすると滑るように下まで降りる。
胴体をくねらせながらアンナの背後を這い、レイクの足元にたどり着いた。
レイクはミミイをサッと掴みあげ、裾をめくりあげて上着の中に隠す。
「うひゃっ!」
「今度はなに?」
「い、いや、しゃっくりが」
アンナは、ぷっと吹き出した。
(お、おい、動くなよ)
ミミイが上着の中でもぞもぞと這い上がり、レイクはくすぐったさに身もだえる。
やがて襟元から、ミミイがにゅっと首を出した。
その視線が、テーブルに置かれたミルクのカップに釘付けとなる。
ミミイは舌でレイクの頬を舐め、催促した。
「止せったら!」
小声で叱ってから、さり気なくカップを持ち上げる。
口元に寄せると、ミミイが襟元から首を伸ばしてミルクを舐めた。
「不便なことはないかしら?」
床を吹き終えたアンナが、今度は床に散乱した皿などを片付け始める。
「い、いや……色々と世話をしてもらっているから……」
「レイクさんは都会の人だから、こんな田舎の村だと退屈じゃない?」
とっても退屈であるが、レイクにも口にしないだけの分別は持ち合わせている。
「そんなことはないよ。ここは良い所で、えーと、食べ物が美味しくて……」
最後の部分だけは、レイクの本音である。
辺境の田舎村に比べれば、ありとあらゆる面で迷宮都市が優れている。
しかし食事という、その一点だけは敵わない。
どこの迷宮都市も同じで、ろくな料理がないことで有名だ。
迷宮都市近隣で生産される食材が、ひどくマズいのが原因である。
それを大量の香辛料で味を誤魔化しているから、まともな料理になりようがない。
「それなら今晩、うちに食事にきてね? 腕によりをかけて料理を作るから」
故郷の味を思い出していたレイクは、アンナの接近に気付かなかった。
慌てて襟元を見下ろすが、ミミイは上着の中に隠れている。
「あ、ああ。楽しみにしている」
「任せて。それじゃ、帰るわね」
アンナはテラスから庭に降り、手を振ってから立ち去った。
「…………おい、もう出てきてもいいぞ?」
アンナの姿が見えなくなったので声を掛けるが、ミミイの反応がない。
訝しく思ったレイクは、襟を引っぱって中を覗き込んだ。
人肌の温かさが心地良いのか、ミミイはぐっすりと眠っていた。
本物のヘビは、あまり撫でない方が良いとか。