30.お客様とクッキー
レイクとミミイが暮らす家は、村と湖を遮る森の端に建っている。
もともとは物寂しい場所だったが、ここ一年で人の往来がめっきり増えた。
そのほとんどが、ミミイに会うためヘンリウッズ家を訪れる村人達である。
娯楽や刺激に乏しく、他種族を目にした者がほとんどいない辺境の村。
常とは異なる彼女の容姿に物珍しさを覚えるのは当然だが、それだけではない。
人懐っこい性格や無邪気な笑顔で、既にミミイは村の人気者になっていたのである。
人付き合いが不得手なレイクだが、そんな客達を迷惑がることなく歓迎した。
娘を育てる上で、レイクは村の誰彼となく様々な形で助けてもらっている。
ご近所付き合いがいかに大切かを知り、お茶で来客をもてなすことさえ学んだ。
村に流れ着いた当初に比べれば、格段の成長といえるだろう。
だけど客の中には、レイクを困惑させる人物もいたのである。
「は~いミミイちゃ~ん、あ~んして~?」
それは煮詰めた砂糖よりも、なお甘い声だった。
「ミャア~~」
素直に開いたミミイの口に、そっとお菓子が押し込まれる。
それは彼女の口に合わせて焼かれた、小さなクッキーだ。
真ん中にのせたラズベリーのジャムが、ルビーの原石のようである。
サクッとした噛み応えの後には、ホロホロと溶ける食感。
そこにジャムの甘酸っぱさが合わさると、
「ミュ~~♪」
ミミイは両手で頬を挟み、口いっぱいに広がる幸せにうっとりとした。
「食べた~ミミイちゃ~ん?」
「くった!」
ミミイは口を開き、何も残っていないことを示す。
「すごいね~えらいね~~」
「ミ~~♪」
美味しいクッキーを食べさせてもらい、なぜか褒めてもらえる。
甘やかされ放題のミミイは、嬉しさに蛇身をクネクネと悶えさせた。
「じゃあ、次ね~~、あ~~ん?」
「ミャア~~」
まるで親にエサを催促する、ひな鳥のようだ。
あどけないミミイの仕草に、ミリアの顔は蕩けきっている。
彼女達の睦み合いを眺めながら、レイクは茶を啜った。
◆
穏やかな午後の時間、レイクはミミイと一緒にソファーで寛いでいた。
サマンサの家から借りた絵本をミミイに読み聞かせていた時、
「こんにちは、レイクさん、ミミイちゃん」
レイクをクッション代わりに寝そべっていたミミイが、がばりと跳ね起きる。
「みりあ!!」
雑貨屋のアンナの幼馴染み、村一番の料理上手。
フォレス夫人ことミリアが、テラスから姿を現した。
レイクがミミイを娘として紹介した、一年前のあの日。
ミリアは真っ先に、ミミイの尻尾を撫でても良いかと尋ねた。
ほとんど一目惚れといった感じで、ミミイを気に入ったらしい。
以来、彼女は足しげくヘンリウッズ家へ通うようになったのである。
するりとソファーから滑り降りたミミイが、家具を避けながら突進した。
膝をついて両手を広げたミリアに抱き着くなり、
「おかし!!」
「こらミミイ! ちゃんと挨拶しなさい!」
後からついてきたレイクが、己の欲望に正直すぎるミミイをたしなめる。
「こんにちは! おかし!!」
性懲りもなく、ミミイがおねだりを繰り返した。
「ちゃんと持ってきたわよ?」
ミリアはニコニコしながら、傍らのバスケットを片手で掲げてみせる。
「すみません、いつもいつも……」
レイクは恐縮しながら、ミミイの頭をぐいぐい押し下げる。
怒ったミミイが、その手を払いのけようと首を振った。
「なんなの!」
「ちょっとは遠慮しろ」
「いえ、わたしが好きでやっていることですから」
「そうでしょ!」
「そうね!」
ひしっと抱き合い、ミリアとミミイは互いに頬っぺたをすり合わせる。
ため息を吐いたレイクは、お茶を淹れるために台所に向かった。
村でお茶といえば、香草の葉や花を煮出したものが主流だ。
しかしレイクは、村を訪れる行商のヴィンセントから茶葉を購入している。
最初は苦いだけの黒いお湯だったのだが、最近では腕前も上達した。
茶器の用意を整えると、レイクは水を注いだケトルに手をかざす。
そのまま流れるような自然さで魔力を操作した。
土属性に特化した彼は、直接的に水を沸かすことができない。
だけど鉱物由来である鋳物製のケトルを熱することは可能だ。
やがて蓋がチンチンと鳴り出し、水が沸騰した。
ちなみにこの特技は、村の女衆から非常に羨ましがられている。
なにしろ湯沸かしは、薪割りから火起こしまで大変な作業なのだ。
一家に一人ほしい、もしくは結婚相手としても悪くない。
そんなことが囁かれているとか、いないとか。
「おまたせ、お茶をどうぞ」
そしてレイクが戻ると、ミリアがミミイを甘やかしていたのである。
ローテブルにカップを置き、お茶を注いだが気付きもしない。
ミミイにクッキーを与えることに、夢中になっていた。
「みりあ?」
「なーに、ミミイちゃん?」
ミミイがバスケットに手を伸ばすと、中からクッキーを掴み出した。
「みゃあーん?」
ミリアは硬直し、差し出されたクッキーをまじまじと見詰める。
何事かとレイクが見守る中、彼女はおずおずと口を開く。
ぐいっと口に押し込まれたクッキーを、うわの空で咀嚼した。
「くった?」
「…………うん」
ミリアが頷くと、ミミイは両手を伸ばして彼女の頭をワシャワシャと撫でた。
「みりあ、えらい!」
ミミイは何でも真似したがるよなーと、レイクは思う。
「あーもうっかわいい!! ミミイちゃん! チューしていい!?」
「ちゅー?」
唇を尖らせて口真似をする、ミミイ。
その無邪気な表情に、ミリアは感極まったらしい。
ミミイを抱き締めると、髪や頬にキスの雨を降らす。
きゃーきゃーと楽しげに悲鳴をあげ、ミミイは蛇身をよじらせた。
「うん、なかなか……、もうちょっと蒸らすか?」
すっかり忘れ去られ、独り言を呟いたレイクは、
「ミリアッ!!」
突然の怒鳴り声に、カップを取り落としそうになる。
そこに雑貨屋のアンナが、ずかずかと乗り込んできた。
どうして村の人達はテラスから入るのかと、レイクは首を傾げる。
玄関の存在意義に、疑問を抱いた、
「あ、アンナ姉!?」
幼馴染みな姉貴分の登場に、ミリアがうろたえる。
「またレイクさんに迷惑かけて! いい加減にしなさい!!」
居間に踏み込むと、ミリアの襟首をぐいっと引っ掴む。
「さっさと帰るわよ!」
「あ~~んミミイちゃ~ん~~」
ズルズルとソファーから引きずり降ろされ、ミリアが手を伸ばす。
「…………かえるの?」
ミミイの声音は悲しげだが、アンナは笑顔でバスケットを指差す。
「そのお菓子、ぜんぶ食べちゃっていいからね?」
「ミッ! さよなら!」
あっさり元気になったミミイが、両手を振った。
「そ、そんな~~!」
「ほらほら! 晩御飯の支度があるでしょ!」
「ミミイちゃ~ん~~またね~~」
未練がましい声を残し、ミリア達は帰っていった。
そしてミミイは、うきうきとバスケットに手を伸ばし、
「夕食が食べられなくなるぞ」
「ミッ!?」
レイクに取り上げられてしまった。
「たべれる! たべれる!!」
懸命に蛇身を伸ばし、バスケットを取り返そうとする。
「ダメだ」
ミミイの訴えに耳を貸さず、レイクはバスケットを抱えて台所に向かう。
子育ては甘やかすだけじゃいけないと、村の女衆に教わっているのだ。
「とーちゃん、ねーとーちゃん?」
「ダメったら、ダメだ」
ちょっと困惑もするが、ミリアが愛情たっぷりに可愛がってくれた。
ならば厳しく躾けるのが自分の役割だと、心を鬼する。
ミミイが足元にまとわりついても、頑として譲らない。
「ミュ~~」
とうとうミミイは諦め、悲しげにうなだれてしまう。
「…………夕食の後に、な?」
でもやっぱり、娘に甘い父親だった。