03.ヘビの子はミルクが好き?
――たぶんダンジョンに、親のヘビが紛れ込んだのだ。
そして亀裂に潜り込んで聖堂までたどり着き、あの祭壇で卵を産んだのだろう。
レイクは深呼吸をして、冷静さを取り戻そうとする。
まず考えるべきは、卵から生まれたヘビをどうするかだ。
ヘビは枕の下に潜り込んでいるが、桜色の尻尾がはみ出している。
ぴょこぴょこと左右に動く尻尾を見て、レイクの警戒心も若干薄れた。
でも素手で尻尾を掴んで、引っ張り出すのは怖い。
ためらっている内に、ヘビが枕の下から頭を突き出した。
レイクの様子を窺っているが、特に敵意は感じられない。
「……ほら、出てこいよ」
言葉が通じるはずもないが、声の調子で安心したのだろう。
ヘビはしゅるしゅると全身をくねらせて、枕の下から出てきた。
ベッドの端まで這い寄ると、鎌首をもたげてミーと鳴く。
その甘えるような鳴き声が、レイクに不思議な感情を掻き立てた。
毒を持っているかもしれない。
それに思い至った時、すでに指先でヘビの丸っこい頭を撫でていた。
ヘビは頭をこすりつけ、くるくると喉を鳴らす。
咬まれる心配はなさそうだと判断し、摘まみ上げて手の平に乗せた。
ヘビは大人しく、されるがままだ。
レイクはテラスから庭に出ると、ヘビを草むらにそっと放した。
「じゃあ、元気でな」
レイク・ヘンリウッズは、眉一つ動かさずにモンスターを狩る。
しかし害のない生き物を殺すほど、酷薄ではない。
踵を返し、レイクは家に戻ろうとした。
「朝っぱらか騒がしかったな」
愚痴をこぼすが、もう宝玉の勘違いを悔しがる様子はない。
むしろ彼の表情は、どこか晴れやかだった。
「さて、朝メシにするか」
家に入ろうとしたレイクが動きを止め、身構える。
長年培ってきた鋭敏な感覚が、微かな気配を捉えていた。
「……………どうしてついてくるんだ?」
「ミッ?」
振り返ったレイクの背後に、放したはずのヘビがいた。
しゅるしゅると滑らかに胴体をうねらせ、レイクの足元にまとわりつく。
ため息を一つこぼしたレイクは、再びヘビを手の平に乗せる。
そして今度は、少し離れた場所の草むらに放った。
「ついてくるんじゃないぞ!」
強く言い聞かせると、レイクが足早に家へ戻る。
地面を這うヘビの気配が追ってきた。
レイクは駆け出し、テラスから家に飛び込んでドアを閉める。
しばらくすると外から、ミーミーと鳴き声が聞こえてきた。
そのうち、どこかに行くだろう。気楽に考えたレイクは、玄関へと向かう。
玄関脇に置いた台の上には、布巾が掛けられたトレーが置いてある。
布巾を摘まみ上げると、サンドイッチとミルクのカップが載っていた。
一人暮らしのレイクのために、ご近所の誰かが用意してくれたものである。
「後でお礼に行かないと…………」
レイクの食事は、近所が持ち回りで用意している。
今日はどの家だったかと考えつつ、トレーを持って食堂へと。
「ミッ!」
レイクの顔を見るなり、ヘビが鳴いた。
彼は肩を落とし、床からヘビを摘み上げてテーブルに乗せた。
「……どこから入り込んだんだ?」
「ミッ!」
――まあ、この細い体なら、どんな隙間でもすり抜けるか。
諦めたレイクは、トレーをテーブルに置いて席に座る。
「…………先にメシを食わせてくれ」
さっそくサンドイッチにかぶりつき、カップを掲げてミルクを飲む。
唇を当てた縁から、ミルクが一滴垂れてカップの表面を流れ落ちた。
ヘビの仔が這い寄り、テーブルに戻したカップを鼻で突っつく。
垂れたミルクを舐めると、ミーと鳴いた。
レイクは立ち上がり、台所から小さな皿を手にして戻る。
皿にミルクを垂らして差し出せば、ヘビの仔はそれを小さな舌で舐め始めた。
「……ヘビは、ミルクを飲むんだな」
なるほどと、感心したように頷くレイク。
レイク・ヘンリウッズ。
迷宮都市で生まれ育った、生粋の都会っ子である。
ヘビに似たものは、ジャイアントバイパーなどのモンスターしか知らない。
普通のヘビがどんなものを食べるのか、知りようがなかった。
レイクは自分の食事も忘れ、舌でミルクを舐めるヘビに魅入られる。
――それにしても、よく飲む。
皿が空になる度に継ぎ足せば、ヘビのお腹が真ん丸に膨れてしまった。
「いや、飲みすぎだろ」
レイクが突っ込んだが、ヘビは聞いていない。
しゅるしゅるとトグロを巻き、胴体に顎を乗せて眠ってしまった。
「…………けっこう図太いな、おまえ」
突っついても起きないヘビの仔に、レイクは呆れ顔だ。
しかし、好都合ではある。
ヘビを起こさないように、慎重に手の平に乗せた。
そのまま家を出て裏手に回れば、その先には森がある。
森の奥へと分け入って適当な場所を探し、足で枯葉をかき集めた。
即席のベッドにヘビの仔を乗せると、レイクは足音を忍ばせて後退する。
そして背を向け、立ち去ろうとした時だった。
――――ミッ
ごく微かな、本当にちいさな鳴き声。
しかしレイクの鋭敏な聴覚は、それを捉えてしまった。
枯葉に包まれたヘビが、動き出す気配は感知できない。
「…………寝言か?」
ヘビも夢を見るのだろうかと、レイクは疑問に思う。
足音を忍ばせて戻ると、そっとヘビを拾い上げる。
「…………明日でいいか」
レイクはヘビを連れて帰ると、ベッドの枕元にそっと寝かせた。