24.決断する迷宮採取人【前編】
連日投稿 第二弾
前後編同時投稿の前編
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翌日の夜明け前に、ヴィンセントは次の村へと旅立つことになった。
彼は見送りにきた弟一家と別れの挨拶を済ませ、荷馬車の御者台に乗り込んだ。
「いいか、アンナ。くれぐれも早まるんじゃねえぞ?」
そう言い残すと、さっと手綱を操って馬を歩かせた。
ぽくぽくと蹄の音を響かせ、荷馬車が遠ざかる。
アンナは手を振って見送りながら、伯父の言葉に首を傾げた。
家に戻ったアンナは、雑貨屋の開店準備を始めた。
ベンノは所用で出掛け、ヘルガは家事、早起きしたカールは二度寝だ。
アンナは掃除と荷物整理を終えると、ふと首を傾げた。
「…………どうしたんだろう?」
レイクが姿を現さない。いつもなら、とっくに店を訪れる刻限である。
それでも最初の内は、さほど気に留めなかった。
時刻を鐘で知らせる都会とは違い、村では時間感覚が大雑把なのだ。
しかしその日は、いくら待っていてもレイクが店にやってこない。
生活全般でだらしのないレイクだが、約束と時間だけはきっちり守るのだ。
ひょっとして病気に罹ったのではないかと、アンナは心配する。
様子を窺いに行こうと思った矢先、当の本人が店の扉を開いた。
「あ! レイクさ……ん?」
レイクの様子が、明らかに変だった。
いつものダンジョンに潜るための装備をしていない。
代わりに初めて村を訪れた時の、旅装束に身を包んでいた。
かなり具合が悪そうで、充血した目の下が黒ずんでいる。
憔悴しきった顔のレイクは、開いた扉にもたれ掛かった。
「レイクさん!? どうしたの!」
ただならぬ様子に驚き、アンナが駆け寄る。
「…………世話になった」
レイクの吐き出した息が、ひどく酒臭い。
「これから、村を出る」
酒精に濁った目は、どこまでも虚ろだ。
「――――え?」
唐突な別れの言葉に、アンナが茫然自失となった。
立ち竦む彼女を置いて、レイクはフラフラと店を出ていく。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
驚きから回復したアンナは、レイクを追って外に飛び出した。
◆
「ねえ、急に村を出て行くって、どういうことなの!」
右に左によろめきながら、レイクは村の小道を歩き続けた。
隣に並んだアンナがいくら問い質しても、無言を貫く。
相当酔っているのか、足元がフラフラしている。
アンナは、彼が村の男衆と酒を酌み交わす場に居合わせたこともある。
いつも嗜む程度の静かな酒で、ここまで酔った姿は覚えがない。
レイクがふらりと倒れ込みそうになり、アンナが慌てて支えた。
「危ないから家に帰ろうよ、ね?」
しかしレイクは、アンナの手を邪険に振り払う。
「…………いやだ、村を出る」
「そんなこと言わないで、ほら」
子供でもあやすように、アンナが懸命に宥める。
「家に帰って休もう? 酔い覚ましのお茶を淹れてあげるから」
「…………あそこには…………もう」
何事かを呟いたレイクが、いきなり口元を押える。
道端に寄って屈み込むと、苦しげに何度も喉を鳴らした。
「…………どこだ……ここ」
胡乱げな目で、レイクは辺りを見回した。
そこは村の西側にある湖のほとりである。
歩いている方角さえ分からぬほど、泥酔しているらしい。
先に進めなくなってしまい、力尽きたレイクがへたり込む。
そのまま背を丸め、ぼーと湖を眺め続けた。
虚脱したレイクの姿に、アンナの不安が募る。
「レイクさん。家に帰ろ?」
「…………ああ、帰ろう」
「うんうん! ほら、立って! 送っていくから!」
アンナは胸を撫で下ろし、レイクを立ち上がらせようとした。
「…………クリシュタルド…………に」
手を差し伸べた格好のまま、アンナが固まる。
彼にとって帰るべき場所は、未だに迷宮都市なのだ。
そんな失望ともつかぬ感情が、アンナの胸で渦を巻く。
「…………あそこから、出なければよかったんだ」
レイクは力ない声で呟き、膝を抱える。
「そうすれば…………」
「――――レイクさん、何か悩み事でもあるの?」
何かがあったらしいと、アンナは察した。
心の葛藤を外に出さず、表面上は穏やかに問い掛ける。
「…………悩み?」
「ええ。よかったら話してみない?」
「いや…………」
レイクが、ゆるゆると首を振る。
「冒険者は、悩んだりしない」
その一瞬だけ酔いから醒めたような、はっきりした口調だった。
「悩んだり、しなかった。やらなければ、ならないことを…………」
レイクは再び喉を鳴らすが、もう胃袋には出すものがない空えずきだ。
「そうだ……他に、なかった。だから、俺は…………」
レイクの独白に、アンナは痛ましげな表情になる。
「レイクさん…………あなた、後悔しているのね?」
何があったにせよ、もう事が済んだ後なのだと察する。
レイクは怯えたように縮こまり、膝頭に額を押し付けた。
しゃがみ込んだアンナが、その背中にそっと手を添える。
「教えて、レイクさん。何があったの?」
「――――うるさい!!」
いきなり怒鳴り声を上げたレイクに。アンナは思わず手を引く。
「俺にかまうな! あっちにいけ!」
何のひねりもない罵声、子供のような癇癪である
そんな風に感情をあらわにしたレイクも、アンナは初めて目にした。
普段のレイクなら、アンナは決して恐れることはないだろう。
だが今の彼は、酔いに理性が冒されている。
アンナは、ぶるりと身震いする。
彼は、常人にはない力の持ち主なのだ。
刺激しては危険な状態にあることぐらい分かっている。
一歩、二歩と、アンナは慎重に後ずさって距離を取り、
レイクの背中に、飛び蹴りを食らわした。
地面を転がったレイクが、水飛沫を上げて湖に頭から突っ込んだ。
酔って正常な判断力を失っている上に、カナヅチなのである。
パニックを起こしたレイクは、両手両足でバシャバシャと水面を叩いた。
しばらく暴れてから、水深が膝下程度であることに気付く。
あ然として向けた視線の先に、アンナがいた。
「いやよ!!」
怒りの表情で、アンナが湖にバシャバシャと踏み込む。
「絶対に、あなたを見捨てない! 何があっても!」
ここで引いてはいけないと、本能が命じるままにアンナが叫んだ
間の抜けた顔をさらすレイクを見て、アンナはせせら笑う。
「なに? 女にやられて悔しいの! いいわよ!」
水を蹴り飛ばし、レイクの顔に浴びせかける。
「お得意の魔法で、やり返しなさいよ!!」
――村のみんなを救ってくれるなら、命も差し出すと願ったことがある。
叶えられた願いに報いるのは今なのだと、アンナは歯を食いしばる。
「何をしたのか知らないけどね!」
水を掻き分けて、アンナが迫る。
気圧されたレイクは、倒れた格好のまま水の深みへと後退した。
「もう、どうしようもないことなの? やり直せないことなの?」
「…………」
「ほんとうに? 取り返しのつかないことなの?」
「…………」
レイクの瞳の奥にある、ためらいを覗き見てアンナが激発した。
「レイク・ヘンリウッズ! 逃げてんじゃないわよ!!」
水面は既に、レイクの首元まで達している。
これ以上深みに下がれば、溺れるしかない。
「酒に逃げるな! ここから逃げるな! もし逃げるのなら――――」
あと一歩という距離でアンナは腰を屈め、ズイっと顔を寄せる。
「あなたを抱えて、一緒に湖の底まで沈んでやるから!!」
相手を励まそう、説得しよう、そんな気遣いなど皆無である。
ただ命懸けの覚悟だけを、まっしぐらにレイクにぶつけた。
二人は顔を突き合わせたまま、時間が流れる。
次第に体温を奪われ、レイクの顔が青ざめてゆく。
しかしアンナは引き下がらない。
掴み掛って水底に引きずり込みそうな気迫で睨み付ける。
ふと視線を外したレイクが、空を見上げた。
そのまま後ろに身体を倒し、湖の底に沈んでゆく。
アンナは拳を握り、ブクブクと水面で弾ける泡を見守り続ける。
一分、二分と経ち、ついに自分も水底に飛び込もうとした時、
レイクが、勢いよく立ちあがった。
体内を活性化して、酒精による毒素を中和、あるいは表皮から排出。
急激な発汗と体温の上昇に伴い、白い湯気が生じて全身を覆い尽くす。
それが晴れた時、いつもと変わらぬレイクがそこにいた。
「親御さんを悲しませるようなことを口走っては駄目だ」
静かな口調と表情で、レイクがたしなめる。
「どの口が言うかな!?」
自分のことを棚に上げた発言に、アンナが猛然と怒る。
しかし隠しきれない安堵も、そこにはあった。
「やっぱり、村を出るから」
同じ内容の発言でもでも、先ほどのような力ない声音ではない。
彼の密かな決意を感じたアンナが、そっと目を伏せる。
「そうしたら、レイクさんは後悔しないの?」
うんと、レイクが頷く。
「だったら、さよならだね」
アンナはなんとか、笑顔を作ることができた。
レイクは岸辺に向かって歩き、彼女の脇を通り過ぎる。
「ありがとう、アンナ」
少し間をおいてから、彼女が振り返った。
そこにはもう、彼の姿はなかった。
明日も投稿します




