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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第十章 南部軍、津軽氏を従属させる 天正七年(1579)旧暦七月十一日夜
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嘗胆 第二話

 浪岡城にいるのは兼平(かねひら)綱則(つなのり)だけではなかった。すべての身代わりとして……為信の弟の久慈(くじ)(ため)(きよ)が兼平より上座にて、それもかつて御所号の北畠(きたばたけ)(あき)(むら)が腰を下ろした台座の上にいる。少し前はその後ろの白壁に掛け軸でもかかっていただろうが、そのような余計な装飾は一切ない。少し洒落(しゃれ)た茶碗の一つぐらい手元にあってもおかしくないのだが、蔵を探ってもでてくるのは粗雑な木の椀ぐらい。すでに御所としての役目を終えたその建物は、“御所”という名を捨てて今や一拠点としての“浪岡城”と名乗るしかない。


 ともしびこそつけるが、風もないのにゆらゆら揺れて心もとない。為清の息が知らぬうちに乱れを起こして、兼平の息も別の乱れを起こして、もったいなき光が今にも消えそうになる……。そして突如としてその明りさえ消えた。奥向かいより襖は開かれ、ビューっと外気が流れ込んだためだ。


 ()けたのは沼田(ぬまた)祐光(すけみつ)。それも静かに……為清を手招きする。為清はできるだけ落ち着いて頷くが、どこかぎこちない。その(さま)を見て沼田は少しだけ笑みを浮かべた。為信が昔“偽一揆”という企みを起こした時のあの様子、今でもありありと思い出される。その為信が作った道は……彼が死んだとしても誰かが受け継がなければならぬ。それが為清という存在であり、その役目を己など受けることはできぬと沼田は考えていた。

 為信が死んだとしても、家としてのは”まとまり”は残さなければならぬ。生き残った郎党は何を支えに生きていけばいいのか、その家族も代々の土地を失い飢え死にするだけ。それとも流浪の民になって、どこかへ逃げ去ろうか。皆々散り散りになってしまったら……為信の夢見たことは成し得ることはできない。新しい土地に根付いて田畑を耕している他国者や不埒者を守るのも、新しい大将の役目である。


 そして新しい大将である為清を支えるのが沼田の役目。ただ……運よく為信が生き残った場合は、為清は非難の対象に変わる。それを覚悟の上で為清はここにいた。いまだ浪岡城に六羽川ろくわがわ合戦の結末は届いていないので、決して晴れぬ心のまま。しかし勝っても負けても疲労困憊で何かしらの傷を受け、そのような将兵に戦える力がないのはわかりきったこと。無事なのは浪岡と深浦ぐらいで、それ以外のほとんどが六羽川沿いで争っている。そんな時に南部軍が浪岡を落としてしまったら、あとは攻められ放題なのだ。何もかもが終わる。



 だからこそ、為清の成すべきことと言えば……為信の身代わりに立って、南部に服属を申し出ることなのだ。とてもつらい決断だし、皆々納得するはずがない。しかし家を残す、そして意志をつなぐためには誰かがやらねばならぬ。


 為信が死んでいるのなら、いくらじょっぱりが強い津軽衆といえどもあきらめて従うだろう。しかし為信が生きていたら……まだ戦えると意気込んで、”独断”で外交を取り決めた為清に非難は向かうし、命さえ危うい。だが生きても死んでいても戦えぬのだから、やらねばならぬことに変わりない。為清は……その役目を受け入れた。




 沼田は為清を連れて、たった二人で南部軍の陣中へとおもむく。


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