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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第十章 南部軍、津軽氏を従属させる 天正七年(1579)旧暦七月十一日夜
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嘗胆 第一話



 天正七年(1579)、旧暦七月十一日昼。ちょうど津軽軍と安東軍が六羽(ろくわ)(かわ)沿いで戦闘を開始したころ……南部軍総勢二千兵が(そと)(がはま)を出陣。油川(あぶらかわ)より油川城主の奥瀬善九郎(おくせぜんくろう)は千を率いて今羽(いまばね)街道(=羽州街道)を、横内(よこうち)より外ヶ浜代官職の堤則景(つつみのりかげ)も千を持ってして大豆坂(まめさか)街道を進む。ともに行先は浪岡である。


 数日前より津軽安東両軍の膠着状態の報は届いており、今であれば津軽領は手薄。確実に勝てる算段がついたと奥瀬は判断した。浪岡奪還の好機であり、最低でも南部と安東で津軽を折半、あまよくば津軽全てを手中に収めんと企んだ。

 ただし何も戦さに持ち込もうと考えていないのが奥瀬の”いいところ”であり、浪岡にいる敵軍は五百でしかない。包囲して使者を送り、無条件での降伏を呼び掛けるつもりでいた。従わなければ……その時は攻め落とすしかないが。しかしもう一人の大将である堤はそれでは手ぬるいと、一挙に攻め落とすことを主張していた。特に則景にとって津軽為信は因縁の相手。彼が決起したからこそ姻戚であった堤家の一族は誅殺された。大浦家から後妻として娘を貰っていたばっかりに……とてもかわいらしい女だった。一番目の妻は病で亡くなっているが、その次に愛した女だった。これからだというのに……あいつは己以外のすべてを奪い取った。あの女の姉である(いぬ)(ひめ)……今は(せん)桃院(とういん)であるか、彼女の弟らも滅ぼした上に、僻地(へきち)の寺に遠ざけている。だからこそ生半可な取り決めでいくさを終わらせたくはなかった。私怨だが、十分に為信を滅ぼすための理由となる。



 ……だが、己の身があるのは奥瀬が匿ってくれたおかげ。なんとも耐えがたいが、奥瀬がそういうなら耐えてみせよう。歯を食いしばり、唇をかみ、激しく心の臓が動こうとも……。






 南部軍は特に抵抗を受けることなく、酉の刻(午後六時)より少し前に浪岡へ到着。兼平(かねひら)綱則(つなのり)の率いる五百兵が籠る浪岡城を包囲する。数多くの篝火が、かの地を否応いやおうなく明るくしたことだろう。


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