嘗胆 第一話
天正七年(1579)、旧暦七月十一日昼。ちょうど津軽軍と安東軍が六羽川沿いで戦闘を開始したころ……南部軍総勢二千兵が外ヶ浜を出陣。油川より油川城主の奥瀬善九郎は千を率いて今羽街道(=羽州街道)を、横内より外ヶ浜代官職の堤則景も千を持ってして大豆坂街道を進む。ともに行先は浪岡である。
数日前より津軽安東両軍の膠着状態の報は届いており、今であれば津軽領は手薄。確実に勝てる算段がついたと奥瀬は判断した。浪岡奪還の好機であり、最低でも南部と安東で津軽を折半、あまよくば津軽全てを手中に収めんと企んだ。
ただし何も戦さに持ち込もうと考えていないのが奥瀬の”いいところ”であり、浪岡にいる敵軍は五百でしかない。包囲して使者を送り、無条件での降伏を呼び掛けるつもりでいた。従わなければ……その時は攻め落とすしかないが。しかしもう一人の大将である堤はそれでは手ぬるいと、一挙に攻め落とすことを主張していた。特に則景にとって津軽為信は因縁の相手。彼が決起したからこそ姻戚であった堤家の一族は誅殺された。大浦家から後妻として娘を貰っていたばっかりに……とてもかわいらしい女だった。一番目の妻は病で亡くなっているが、その次に愛した女だった。これからだというのに……あいつは己以外のすべてを奪い取った。あの女の姉である戌姫……今は仙桃院であるか、彼女の弟らも滅ぼした上に、僻地の寺に遠ざけている。だからこそ生半可な取り決めで戦さを終わらせたくはなかった。私怨だが、十分に為信を滅ぼすための理由となる。
……だが、己の身があるのは奥瀬が匿ってくれたおかげ。なんとも耐えがたいが、奥瀬がそういうなら耐えてみせよう。歯を食いしばり、唇をかみ、激しく心の臓が動こうとも……。
南部軍は特に抵抗を受けることなく、酉の刻(午後六時)より少し前に浪岡へ到着。兼平綱則の率いる五百兵が籠る浪岡城を包囲する。数多くの篝火が、かの地を否応なく明るくしたことだろう。




