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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第十章 南部軍、津軽氏を従属させる 天正七年(1579)旧暦七月十一日夜
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逃亡 第三話

 日は完全に沈み去り、辺りは漆黒の闇に包まれた。頼りとなる光であれば月の明かりと、それを映し出す川の水面(みなも)のみであった。松明を持って進むわけにはいかないし……滝本らの百の兵はひたすら川沿いを()目内(つめない)館へ向けて進む。

 後ろより逃げてきた他の安東の兵に訊ねると……事態はさらに深刻だった。比山らの率いる安東軍の壊滅し、諸将のほとんどが討ち死にするか捕らえられてしまったらしい。生き残った兵らは我らに混ぜてくれと懇願し、滝本も彼らを断るいわれはない。そして(いぬ)(こく)(午後八時ほど)に三々目内館の門前にたどり着いた。館主の多田(ただ)(ひで)(つな)は安東軍を津軽へ引き入れた張本人である。旧浪岡北畠氏の両管領家の一つとして浪岡御所を支えてきたが、時勢を(かんが)みて為信に与してしまった。しかし心のどこかに(とが)があり、為信の作った傀儡政権である水木(みずき)御所(ごしょ)を安東に内通させる手助けをした。安東方にとっては非常に功績のある人物である。


 だが安東はこの密約を反故(ほご)にしてしまった。だが滝本も含めて安東方はそんなに悪いと感じていない。肝心な時に裏切らなかったのはあちらだし、比山(ひやま)らは生きるために拠点を出て戦ったようなもの……。

 ところが水木御所の兵らの中には秀綱の息子である玄蕃がいたはず。彼らを容赦なく攻めてしまったことは秀綱にも伝わっていた。そこで秀綱は……かたく門を閉ざす。許してなる者かと言い放ち、矢こそ射かけることは無いものの館の者を武装させ、急ぎ為信本陣に向けて急使を送ったのだ。



 滝本は相当そうとう苛立いらだち、この館を攻め落としてくれようかとも思った。しかし……落とせるには落とせようが、そうしているうちに後ろより津軽軍が追い付いてしまう。この士気の低い状況では負け戦になるのは目に見えている……。


 (つば)をひとつ吐き、滝本はその場を去るしかなかった。


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