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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第九章 田中吉祥落命。終戦 天正七年(1579)旧暦七月十一日夕
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逆襲 第五話


 津軽軍は油断する安東軍に対し猛攻を加えた。それも内通していたであろう水木(みずき)御所(ごしょ)の名を語り、従うふりをして敵軍に近づいた。……これは八木橋(やぎはし)の計略である。決死の覚悟で津軽の兵らは戦いを挑み、疲れは相当溜まっていただろうが、再び刀を持つのは“意地”である。津軽衆の“じょっぱり”そのものであった。為信はかつてその“じょっぱり”を扱いにくく感じていたが、いつしか己も津軽に永く住むうちに染まってしまっている。命を家臣に預け……いざ戦ってみると、あろうことか天は我に味方した。




 津軽軍は四倍以上もいる安東軍に対し果敢に切り込み、慌てふためく敵兵を一人で五人も十人も斬り殺していった。夕日が今にも岩木山の裏に隠れそうになる中、六羽(ろくわ)(かわ)水面(みなも)は将兵らの足でさんざん叩かれ、人の荒々しい声やら水しぶきを上げる音やら大いに交じり合い、川底を歩こうものならどこを進んでも死体を踏んづける羽目になる。川岸の石の上で争うので草履(ぞうり)は使い物にならない。誰もが裸足(はだし)で、津軽の兵は相手を殺すために、安東の兵は逃げるために痛さは一切気にならぬ。勇気あるものは近くに置いてあったはずの武具を取りに戻ろうとするが、まともに探せるような状況ではない……結局は逃げるしかないのだ。この状況を乳井(にゅうい)(ふく)王寺(おうじ)より見ていた森岡勢もここぞとばかりに山を駆け下りて為信を援けた。安東方は大混乱に陥り、我先にと逃げうせようと川手を南へと走るのだ。


 ……その場にいたほとんどの諸将は討ち取られるか、もしくは捕まった。大将の比山ひやまは討ち死に。北畠きたばたけ顕則あきのり石堂いしどうも同じく討ち死にと相成り、生き残ったのは浅利(あさり)(さね)(よし)ただ一人。この成果に津軽衆はさぞ驚いたことだろう。己らのつまらぬ意地だけで攻め込んだつもりだったが……八木橋の計略もうまくいくとは信じていなかったし、当たれば儲けもの。当たらなくてもそのまま突撃する気でいたのだから。死に場所を得るための(いく)さだったはず。


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