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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第九章 田中吉祥落命。終戦 天正七年(1579)旧暦七月十一日夕
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逆襲 第三話

 恨み言を漏らしつつも明るい顔をしている諸将の中に、事の受け止め方が違うものが二人いた。北畠(きたばたけ)顕則(あきのり)石堂(いしどう)である。北畠同士で争ってはならぬと互いに申し合わせをして、為信方に与していた水木(みずき)御所(ごしょ)の面々と裏で交渉を重ねていたがこのざまだ。肝心な時に寝返らず、加えて攻められはしないだろうとどこか油断していたらしく、他の津軽兵が粘り強く戦っている時に水木兵は呆気なく崩れ去ってしまった。だからこそ我ら安東方は勝利に至ったのだが。御所号(ごしょごう)自身が亡くなったとも聞くし、(ゆえ)に手放しでは喜べぬ。


 そんな折……陣中の白い布幕の向こうより、たいそう疲れ切った様子の鎧武者が使いとして参上した。どうも安東方の者ではないらしく、かといって敵対心が見えるわけでもない。彼が言葉を発すると……秋田とは違う、我らと同じ津軽訛(なま)りではないか。顕則と石堂は一瞬だけ嬉しさが、次には“なぜ”という思いがよぎる。諸将に囲まれる中、使いの者はその場にひれ伏して哀願するのだ。



 「水木御所はこれより安東方に付きとうございます。こちらの兵らの中に加わることをお許しください。」



 大将の比山(ひやま)はたいそう喜び、その使いに自らの刀を褒美として与えてしまった。目付の浅利(あさり)はその様を見て少しだけ不安はあったが、津軽軍は負けたし為信も死んだ。津軽方の諸将は雪崩なだれを打って我らに寝返ってくるのは当然のこと。だが水木であれば散々裏切ると約束しておいてつい先ほど戦った相手……果たしてどこまで信じることができようか。次に浅利は顕則の顔を見た。顕則も己と同じような表情をしていたので、なんだか可笑(おか)しくも思えた。……まあ、勝ったことには変わりない。安東本軍もそろそろ大館扇田城からこちらへやってくるだろうし、あとはどれだけ津軽民の支持を取り付けて、津軽方の残党を取り込んでいくかが肝要である。


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