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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第九章 田中吉祥落命。終戦 天正七年(1579)旧暦七月十一日夕
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逆襲 第二話


 比山(ひやま)らが率いる安東軍は、(さる)(こく)(午後四時)になっても未だに六羽(ろくわ)(かわ)沿いに(とど)まっていた。津軽軍千三百を打ち破った彼らは本陣のある岩舘の方へ進もうとするも、すでに滝本が為信の首を獲ったと知らされたのでそちらへは行かなかった。その代り……川の水をひたすら飲んだ、鎧兜を脱ぎ捨てて目一杯(めいっぱい)浴びた、そして体ごと川に沈めて体の火照(ほて)りを取り除いたのだ。



 完全に油断しきっているが……為信は死んだのだから、こうなるのは当然だろう。強いて言えばこれまで籠っていた乳井(にゅうい)(ふく)王寺(おうじ)に敵方の兵が入ったようだが、主軍がやられてしまった以上は何もできまい。使いを出して降伏を促すか、この大軍を持って(しいた)げるだけである。

 加えて大館(おおだて)扇田(おうぎだ)(じょう)より急使が到着した。その内容は……その場にいる諸将にとって待ち望んだことである。



安東(あんどう)(ちか)(すえ)様は扇田城にて酒田の大宝寺(だいほうじ)の様子を(うかが)っており、これまで津軽へ向かうことができなかった。ところが安東と大宝寺の間で盟約が成り、大宝寺は安東に手出しをしない代わりに安東は大宝寺側の使者を安土(あづち)(じょう)へ伴い、織田と大宝寺の間で(よしみ)を通じる手助けをする……”


 この一件によりのち大宝寺(だいほうじ)(よし)(うじ)は織田信長より屋形号を認められるに至り、力の弱まっていた上杉の代わりに織田という大きな後ろ楯を得ることができた。そして大宝寺との取り決めによって安東氏は南を一時的であったが警戒する必要はなくなる。愛季自ら津軽へ乗り込む環境が今になって整ったのだ。

 諸将らはこの知らせを聞いて “遅すぎる”と苛立つ声を上げたし、もう少し本軍の出発が早ければ苦しまずに済んだと愚痴を言い合った。しかし我らは負けたわけではないし、殿様が自領周りを警戒することは当然のこと。それで出立が遅れても文句は言えない……。


 それよりもだ。安東の殿様よりも滝本が憎い。アイツだけ籠らずに苦しみを味合わず、しまいには為信の首級という手柄まで横取りしてしまった。……ただではすまぬ。


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