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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第九章 田中吉祥落命。終戦 天正七年(1579)旧暦七月十一日夕
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身代わり 第五話

 乳井(にゅうい)が外より戻ってきた……。そして急に手をついて、(ひたい)を下に敷いてある汚い藁の上にあてた。そして強い口調で願い出るのだ。


「殿……これは津軽衆の総意でございます。どうかお聞き届けを。」



 為信は疲れ果てていたので少し投げやり気味に……“言ってみろ”と乳井に(うなが)してしまった。対して乳井は至極真剣そのものである。


「我らは不本意なことで生き残ってしまいました。しかしながら安東に黙って従う気は、これっぽっちもございません。」


 周りの者らも賛同し、少しだけ首を縦に動かしていた。


「かと申せど籠城して抗うといっても、援軍がない以上は滅びるしかございません。そこでです……今一度殿には先頭に立っていただき、安東軍へ攻めかかっていただきたいのです。」






 ……何ということを申すのだ、乳井……。お前は比較的温厚な性質(たち)であったろうに……津軽衆ではない小笠原も心は同じようだ。周りを囲む兵らも……同じだった。


 為信は……ため息をついた。そうさ、こうなるだろうとは思っていたよ。津軽衆ども……“じょっぱり”の精神だな。死ぬことが分かっていても、いまさら考えを曲げることはできぬ。華々しく散った方がましだと。






 そしてまた、ため息。己はそのための身体(からだ)だ。だからこそ……後始末は弟の(ため)(きよ)たくしたし、沼田を付けてやった。兼平(かねひら)という柱も残してある。思う存分、したいように生きるがいい。そして死ねばいい。のう……誰に伝えればよいのだ。死にたくはない、私は生粋の津軽衆ではない。糠部ぬかのべ久慈(くじ)の生まれ、大浦(おおうら)家に養子として入り、なぜか裏切る方向に駒が進み、今や"津軽"と名乗るに至ってしまった。……別の人生もあったろうに。津軽衆として生きるしかないのよ。そして津軽衆として死ぬしかないし、選ばされるのだ。





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