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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第九章 田中吉祥落命。終戦 天正七年(1579)旧暦七月十一日夕
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身代わり 第四話

 為信はわずかな供回りを連れて……おそらく大坊(だいぼう)という辺りだろうか、堀越(ほりこし)の本営に遠ざかってもいなければ一気に近づいたわけでもない。ひたすら安東の兵らより逃げることを考えていたらそのようなことになってしまった。他の津軽の兵らも散り散りとなり、六羽川沿いで戦っていたはずの乳井(にゅうい)小笠原(おがさわら)がどうなったかも全くわからない。そこで傍付そばつき八木橋やぎはしは目の前に放光寺ほうこうじという荒れ果てた場所があったのでそこへ為信に入っていただき、生き残った兵らを廻りに遣わして様子を見ることにした。時間は昼を過ぎ、(ひつじ)(こく)辺りだろうか……。


 するとある者が偶然にも小笠原を見つけた。彼も為信を探していたらしく、堀越には戻らずに生き残った兵らをまとめつつも、岩舘(いわだて)の周辺を密かに(めぐ)っていたらしい。しばらくして乳井も生きていたことが分かり、半刻後には彼も為信の元へ合流した。




 小笠原は気分が悪いのか……決して語りだそうとはしない。もともと話が好きな性質たちではないのだが、今日は特に際立っていた。ならばと為信は乳井に問うが……首を振り、“しばらく待っていただきたい”と小屋の外へ出て行ってしまった。仕方ないので為信は彼らの近習に問うてみた。すると……


 “安東軍と津軽軍は六羽(ろくわ)(かわ)の東岸にて争い、小笠原隊と乳井隊はよく戦いました。しかし中央を占めていた水木(みずき)御所(ごしょ)の兵らは呆気なく崩され、御所号で()らせられた水木(みずき)(とし)(あき)様は討ち死に。あとはなすすべなく、我らも同じくして壊滅。六羽川を渡られ、殿のいるであろう岩舘を目指して進んだ模様です”




 ……六羽川自体はたいそうな川ではなく深さは1mほど幅は3mぐらいなので、千の兵の誰もが容易たやすく渡れる。全軍を持って目指されても……すでに本陣は籠らずに(ひそ)んでいた敵にやられてしまっているが。


 ああ、負けるべくして負けたのだ。伏兵がいなくてもやぶれる運命は変わらなかった。


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