身代わり 第三話
田中吉祥は叫んだ。もう二度と叫ぶことは無いので、ありったけの力を込めて腹の奥底より声をひねり出した。敵味方誰もが驚き、その声は遠く逃げる為信にも聞こえたであろう。
「津軽右京亮為信である。まだワシは諦めておらぬ。お前らすべて切り捨てて、この戦を勝ちにしてくれるわ。」
安東の兵らはこぞって田中を指さし、我先にと為信の首を獲らんと槍や刀で勝負を挑む。……彼は義勇の士であるだけではなく、これまで津軽家の誰よりも努力を積み重ねてきた。天才であるわけではない。かといって小笠原のように強いわけでもない。どこにでもいそうな凡庸な人間であったが、必死に役目を全うするために努力を欠かさなかった。
その成果は死ぬ間際で大いに役に立つ……殿を逃がすため、そして少しでも長い時間を……数えるだけでもいい。それだけ殿が遠くへ逃げる暇を稼げるのだから。
いつしか鎧の真上より槍が刺さっていた。腹の中へ向けてその長い一本が突き刺さっていた。……痛くはない。鎧の方も傷を受けすぎて弱くなっていたのだろう。そしてさらにもう一本を脇腹より、さらに首元に刃が……痛くはない。
次に安東の兵らは勝鬨をあげた。
“為信を討ち果たしたぞ”
大いに声を張り上げ、途轍もない歓喜に浸った。その兵らの中で津軽方より奪い取った馬に跨るのは滝本重行。彼は晴れ渡る空を見上げ、腕を遥か上へと伸ばして……太陽へ顔を向けた。大光寺城を奪われて以降、なんとか憎き為信を倒そうと奮闘してきた日々。様々な軋轢を生んだが……主家の南部氏より離れてまでみた夢。今こそ果たすことができた。……頬を伝い、土へ涙が落ち行く。絶えることのない美しさ、涙は太陽に照らされてたいそう輝かしい。それは津軽の大地も同じであり、これから自らの手で新たなる歴史が築かれていくのだ。