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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第八章 津軽為信、死に窺う 天正七年(1579)旧暦七月十一日昼
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狂乱 第四話


 旧暦七月十一日の昼前……福王寺とそれに連なる拠点に籠る安東の兵ら千五百は全軍総出で山の中腹より駆け下がり、六羽(ろくはね)(かわ)手前に布陣している津軽の兵ら併せ千三百へと攻め込んだ。もちろん津軽側はこのようなことを予期しており、鉄砲や弓矢をたいそう撃ちかけ、勢いよく攻め込んできた安東の兵らを次々と倒していった。陣中にいた乳井(にゅうい)小笠原(おがさわら)はこの(さま)をみて、きっとこれで(かた)が付くだろうなと感じていただろう。敵軍は水を飲めずに弱っており、さらにはこの暑さである。裏側からは森岡(もりおか)の五百が乳井茶臼館や福王寺を押さえにかかる手筈(てはず)だし、心情的にこちら側には水木(みずき)御所(ごしょ)の兵らが混ざっているので本気で攻めてもこれまい。






 だが実際は違っていた……。安東方にひるむ気配はなく、前の者が死んでもその死骸を後ろの者が踏みつけてなおも先へ進もうとする。鉄砲や弓矢でいくら射かけようともひるむ様子はなし。次第に乳井や小笠原の隊は押され始め、じりじりと後ろの川岸へと追い詰められていく……。仲間の死骸が山のように盛り上がっても、安東の兵らには一切見えぬ。強いていえば津軽の兵らに気持ちが向いているわけでもない。その先にある……川の水。水が、水が欲しい。その生理的せいりてき渇望かつぼうでひたすら求めるのみ。さあもう少しで手に入る。それまでどんなに死に果てようとも再び生き返り、水を飲んでからでないと死ぬことはできぬ。






 さて……安東軍が山を下りて川沿いの隊へ攻撃しだしたことは、すぐに為信のいる岩舘いわだての本陣へと伝えられた。為信も最初は小笠原や乳井らと同じようなことを考えた。そこで……彼はいよいよ勝鬨をあげるときだと考えて、岩舘より津軽本軍三百に前へ進むよう命じた。しかもそれに先んじて……為信はそれも少ないおともだけつれて、六羽川の岸へ物見に出かけることにした。八木橋や水木の陣より借り受けた若武者らも連れて、併せて十人ほどであろうか……。


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