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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第八章 津軽為信、死に窺う 天正七年(1579)旧暦七月十一日昼
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不制于天地人 第四話

 ふん。多田はほだされ(やす)いのよ。かつての仲間が安東にいるせいで裏切ってしまった。しかし……いや、案外ほだされ易いかに見えて、裏では合理的でかつ冷静に判断を下しているのではないか。思い返してみれば浪岡での一件だって涙こそ流すが、ならば浪岡北畠と心中すれば良かったろうに。此度(こたび)のことであれば津軽方に目がないと見たから敵に通じたまでのこと。しかも恐らくではあるが、息子の玄蕃と共に行動をしないことにも意味があろう。



 為信は考えを思いめぐらし……ならばと目の前に侍る八木橋(やぎはし)に語りかける。


水木(みずき)御所(ごしょ)から人質を取らねばな……とくに多田玄蕃(ただげんば)たもとに置きたい。」



 八木橋は困惑したようで、表情をどのようにすればよいか分かっていないように見えて、顔が固まってしまったかのようだ。


「……と申しますと。すでに出陣している最中、あからさまでございます。」



「そこはの……理由など付けられるだろ。」



 為信は床几(しょうぎ)椅子(いす)より立ち、八木橋の隣に進む。そして耳元でささやくのだ。


沼田(ぬまた)はたいそう賢くての……水木(みずき)(とし)(あき)の陣の両側に乳井(にゅうい)小笠原(おがさわら)を置いたのだ。意味は分かるな。」


 八木橋はその瞬間“はっ”となり、……次には必死に考えるのだ。頭の中をこねくりかえして、ないものを必死に出そうとする。ある意味で無様であるが、目の前にいる為信は八木橋を信じていた。八木橋ならば……答えに行きつく。こやつは津軽一の知恵者になれるはず……。






「……でしたら後学の為と称して本陣に呼び寄せましょう。」


 あからさまに恐る恐るというか、おどおどしく見えたので思わず笑いそうになったが、為信は真剣な顔を保って耳を傾け続ける。



「玄蕃を含めた三人ぐらいの若い衆をこちらへよこし、殿の御傍(おんそば)で兵の動かし方などを学ばせます。そうすれば水木殿とて断れないでしょう。」


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