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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第八章 津軽為信、死に窺う 天正七年(1579)旧暦七月十一日昼
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不制于天地人 第三話

 床几(しょうぎ)椅子(いす)に座り真新しい軍配を見つめていると、本陣を囲む白布(しらぬの)の向こうより一人の将兵が入ってきた。八木橋(やぎはし)である……。


「もし、よろしければお時間を。」



 さも言いにくそうな感じを受ける。為信には妨げる理由もないし、戦さに関わることなら遠慮なく申せと八木橋に言い渡した。このたびは沼田がいない代わりに、八木橋が傍付(そばつき)の役目である。


「……死体を(あば)くと、様々なものが出て参ります。此度(こたび)も沖館で死んでいた敵兵を調べましたところ、この様なものが見つかりました。」




 (ふところ)より出したのは、破れかかった紙切れ。墨でなにやら文字が書かれているようだが……為信も読んでみる。すると、


上浦(かみうら)()目内(つめない)村、木田久兵衛(きだくべい)。戦ニ際シ祈願ス。八十万神(やおろずのかみ)並ビニ上浦(かみうら)八幡(はちまん)。我ニ恵ミヲ与エ賜ヘ”



 よくある願掛けではないか。戦の前ならば手柄を立てるため、または生きて帰れるためにこのような紙を懐に入れてお守り代わりとする。誰でもしていそうなことだが。為信は顔を下より八木橋の方へ戻す。すると八木橋は何かつっかえる物があるのだろうが、それでもこのことは伝えざるを得ない。




大鰐(おおわに)辺りの土民が安東方に与してしまっていることはさも不思議ではございません。しかしながらこの木田という男……念のため調べましたところ、多田ただ秀綱ひでつなの妹婿だそうで。」



 もう後を言わせなくても為信にはわかった。それでも八木橋に続けさせてみる。彼がどんなに青ざめていても。



「三々目内と書かれておりましたのでもしやと調べましたが……多田は実のところ、我らを裏切ったのかもしれません。」


 戸惑う八木橋に対し、為信は言った。






「それは“かも”ではない。裏切ったのだ。」


……となると、息子の玄蕃がいる水木みずき御所も怪しいものと化す。


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