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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第八章 津軽為信、死に窺う 天正七年(1579)旧暦七月十一日昼
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不制于天地人 第二話


 昔のある日。為信は津軽統一を掲げ、万民を平和にせんがために立ち上がった。他国者や在地の者の分け隔てなく、互いに仲良く暮らすためには田畑を広げる必要がある。そのためには “防風” と “治水” をなさねばならず、“治水” は特に岩木川水系をすべて制覇しなければならない。そのためのいくさ……。



 だが戦うということは、人を(あや)めるということ。為信はここで一つの問いが生じた。己が犠牲になって、民が安らかになるのは良いことだ。しかれ目的はあれど、多くの殺生をしている己はきっと地獄に落ちるのだろうな……。このように考え、そこで以前占い家業をやっていた沼田に八卦はっけをさせた。






“……私が、地獄に落ちるか否か”




 結果は、“天地(てんち)(いな)”。天に昇ることを叶わず、地獄へ入ることもできない、ただ世間を漂う幽霊。




 為信は大いに笑った。腹がはち切れるかというくらいに。では世に未練たらたらで、彷徨(さまよ)い続けるのだろうかと。だが沼田は違う解釈を示した。 



“地蔵菩薩こそ、そうです。天でも地獄でもない。人間界に在り、衆生をお救いなさる……”


 神仏に()して魂は常世(とこよ)に残り、津軽を守り続けるらしい。当然ながら今でも為信はこの説を信じていない。




 さて軍配の真っ黒な生地(きじ)に金色で書かれている文字を読むと


  “不制于天地人(てんちじんにせいせられず)




 何かの当てつけだろうか。沼田ならではの答えなのか。


“天や地獄、はたまた常世の人々に己を制せられることはできない。なぜなら己が一番貴い存在なのだから”

 沼田め、大きく出たな。この軍配を使えよと。神仏に化すということは、ここにいる誰よりも偉いということなのだから。……とは申せ、神仏自身は自らを偉いなどと考えることは決してしないだろう。だからこそ尊い存在なのだ。

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