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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第八章 津軽為信、死に窺う 天正七年(1579)旧暦七月十一日昼
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不制于天地人 第一話


 津軽(つがる)(ため)(のぶ)堀越(ほりこし)(じょう)より出陣し、平川ひらかわを東へ渡った先の岩舘(いわだて)というところに陣を敷いていた。日は高々と上がり、津軽平野は湿気にまみれ蒸し暑い。旧暦の七月九日であれば、今の暦に直すと丁度お盆のころを想像すればよい。東京や大阪で暮らす人から見るとまだまだ暑いだろうと思ってしまうが、地元民にとっては短い夏の終わりの頃合いなので、なにか寂しさや切なさもある。ヒグラシなんかが鳴くと、感情がもっと(あら)わになってしまう。



 為信は……東に広がる大館山を見つめ、その麓にある乳井(にゅうい)(ふく)王寺(おうじ)如何様(いかよう)な様子であるか窺っていた。あそこには安東軍が籠っており、来るはずもない安東本軍の到着でも待っているのだろうか。しかし兵糧も多く運び込まれてしまったと聞く。寺だけではなく両脇には堅固な砦もあるので、加えて敵自ら落として取った場所であるので拠点としての特性というものも熟知していることだろう。その点でいえば……厄介なことだ。


 為信は本陣の床几(しょうぎ)椅子(いす)にて黙って座っている。非常に暑く、だらだらと頬に汗が垂れるのだが拭こうともしない。鎧で体が蒸れようとお構いなく、これからのことを必死に考えていた。




 ……森岡(もりおか)信元(のぶもと)率いる五百は森山(もりやま)松伝寺(しょうでんじ)を奪い返し、宿河原(しゅくかわら)を押さえた。次いで乳井茶臼館にゅういちゃうすかん南の梨木(なしき)(だいら)に布陣させ、水の手を断つ計略を進めさせている。このように暑い頃合いなので、のどの渇きは致命傷になろう。いくら兵糧を運び込めても、水だけは如何(いかん)ともし(がた)い。そして南から順に小笠原信浄(おがさわらのぶきよ)の三百、水木(みずき)(とし)(あき)の五百、乳井(にゅうい)(たけ)(きよ)の五百が六羽(ろくわ)(かわ)を渡った先で対峙している。城を守るべき兵も無理やり出してきているので、もしこの囲みを破られたら後はない。安東軍は一箇所に固まっているとはいえ兵数は多いので、こちらも兵を取り揃えて備えるしかあるまい……別の敵をも無視したままに。



 別の敵……まさしく南部氏のことだが、そのために弟の久慈(くじ)(ため)(きよ)を出陣させなかった。しかも奴に沼田(ぬまた)祐光(すけみつ)までつけて……。そこで身代わりと言ってはなんだが、沼田よりもらった目新しき軍配が手元にある。


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