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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第七章 安東軍、乳井茶臼館に籠る 天正七年(1579)旧暦七月八日
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流転 第四話

「夕方か今夜なのか森山(もりやま)松伝寺(しょうでんじ)へ攻撃は開始されるし、次いで宿河原(しゅくかわら)を抑えられれば安東軍の退路は断たれる。明日の未明にはここ高畠(たかはた)と向こうの沖館へ津軽軍がやってくるし……沖館(おきだて)の済んだ奴らがこっちに来ぬ前に逃げた方が得策ぞ。」


 信底(しんそこ)震え上がる気持ちで聞いていたが……石堂はあることに気付いた。その一点を、藁をもすがる思いで問いただす。


「それでも、お主らが裏切りさえすれば安東が勝てるのではないか、いや確実に勝つ。本軍が参らぬでも。」



 尾崎は動きを止めた……しかし次にはさも哀しそうに答えるのだ。


「我らが裏切ったとして、確かに為信は負けるかもしれぬ。しかし……我らとて身の振り方というものがある。」




 ……というと。


「実は……水木(みずき)御所(ごしょ)に対し、南部方の密使も来ておってな。奴らは安東と津軽が相争って疲れはてたところを狙って攻め入る気ぞ。じょうがくらでなければ油川から、浪岡を奪い……そうすれば順路的に次は水木だ。裏切ったとして、その時……安東に我らを守れる力はあるか。」


 石堂は言い返せぬ。こうであるので顕則が何か話すこともなく、三人は天幕の下で静まり返ってしまった。権威あれど、実力はない。かつての浪岡北畠氏はこうであったので、南部氏の庇護のもと成り立ってきた。今となっては土地もわずか。浪岡は津軽家臣の兼平氏の治めるところであるし、北畠の家臣であった者はバラバラになってしまった。

 それでも、もう少しというところで復活への望みが出てきた。出てきたというに、……その目前で、まったくもってうまくいかぬ。己らの関せぬところで物事が動き、ただひたすら揺り動かされるだけ。……そして尾崎は言う。


「水木が裏切らぬところまで悟ってこちらに兵を差し向けさせたのならば、さぞ我らは見くびられたものだな。」


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