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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第七章 安東軍、乳井茶臼館に籠る 天正七年(1579)旧暦七月八日
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流転 第二話


 “水木(みずき)御所(ごしょ)は安東方に寝返る”




 この密約が合戦前に石堂いしどうと津軽の旧北畠系家臣らとの間で結ばれていた。その取り決めにより安東軍を前にして唐牛(かろうじ)氏は館を明け渡し、多田秀綱ただひでつなは領内を素通りさせている。こうして安東軍は難なく大鰐おおわに地方を手中におさめ、目の前に広がる津軽平野へと突入できた。



 秋田出身者がよく感じることとして、津軽平野へ来てみると“これほどまでに広い、何も障壁のない土地があったのか”と驚くそうだ。もちろん寒い土地ではあるが穀物の取れ高は相当だろうと思えるし、我がものにしたいという気持ちも一層かき立てられるだろう。だからこそ安東愛季率いる本軍の到着待たずして、先遣隊のみで平野部への侵攻を開始してしまった。滝本の説得もさることながら……いずれ本軍も追ってくるだろうと甘い見通しで、秋田出身の諸将は豊かな実りを思い描いて攻め入ったのだ。


 さて、水木御所の尾崎が参ったということは、いよいよ寝返るための手はずの相談か……なにやら雰囲気を見ると違うようだが……では何の話か。

 天幕(てんまく)に小雨があたり、頭上より弾く音がしきりに響く。下には木の粗雑な机を囲んで、北畠(きたばたけ)顕則(あきのり)、家臣の石堂頼久(いしどうよりひさ)、そして尾崎喜蔵(おざききぞう)床几(しょぎ)椅子(いす)に座る。



 尾崎は出された椀に入った水を一気に呑みほし、ひとつため息をつき……顔の形を一瞬だけ“くしゃっ”と曲げて、すぐまた元へ戻した。残り二人の顕則と石堂はそんな彼を見て苦笑いして待つだけ。元をただせばこの三人の間に身分差はそんなになかった。上下(うえした)なければ、敵味方でもない。ゆえに互いにそんな緊張感もない。どんな行為をしてもある程度は許される。


……そして尾崎は口を開いた。




「安東本軍はやってこぬぞ。」


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