流転 第二話
“水木御所は安東方に寝返る”
この密約が合戦前に石堂と津軽の旧北畠系家臣らとの間で結ばれていた。その取り決めにより安東軍を前にして唐牛氏は館を明け渡し、多田秀綱は領内を素通りさせている。こうして安東軍は難なく大鰐地方を手中におさめ、目の前に広がる津軽平野へと突入できた。
秋田出身者がよく感じることとして、津軽平野へ来てみると“これほどまでに広い、何も障壁のない土地があったのか”と驚くそうだ。もちろん寒い土地ではあるが穀物の取れ高は相当だろうと思えるし、我がものにしたいという気持ちも一層かき立てられるだろう。だからこそ安東愛季率いる本軍の到着待たずして、先遣隊のみで平野部への侵攻を開始してしまった。滝本の説得もさることながら……いずれ本軍も追ってくるだろうと甘い見通しで、秋田出身の諸将は豊かな実りを思い描いて攻め入ったのだ。
さて、水木御所の尾崎が参ったということは、いよいよ寝返るための手はずの相談か……なにやら雰囲気を見ると違うようだが……では何の話か。
天幕に小雨があたり、頭上より弾く音がしきりに響く。下には木の粗雑な机を囲んで、北畠顕則、家臣の石堂頼久、そして尾崎喜蔵が床几椅子に座る。
尾崎は出された椀に入った水を一気に呑みほし、ひとつため息をつき……顔の形を一瞬だけ“くしゃっ”と曲げて、すぐまた元へ戻した。残り二人の顕則と石堂はそんな彼を見て苦笑いして待つだけ。元をただせばこの三人の間に身分差はそんなになかった。上下なければ、敵味方でもない。ゆえに互いにそんな緊張感もない。どんな行為をしてもある程度は許される。
……そして尾崎は口を開いた。
「安東本軍はやってこぬぞ。」




