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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第六章 津軽為信、出陣する 天正七年(1579)旧暦七月七日
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遠謀 第五話


 明けて旧暦七月五日。空の加減かげんはよろしくなく、雨が降ったりやんだりを繰り返している。雲の色は白いので大荒れになりそうではないが、あまり気分のよろしくない頃合いである。


 大光寺(だいこうじ)城についた乳井(にゅうい)(たけ)(きよ)は周辺の兵らも併せ五百を率いて沖館(おきだて)へ救援に向かう。同じくして水木御所の水木(みずき)(とし)(あき)ら五百の兵も高畠(たかはた)へと向かう手筈である。森岡(もりおか)信元(のぶもと)率いる五百は石川城南方の森山(もりやま)松伝寺(しょうでんじ)を攻めたて、続いて宿河原(しゅくかわら)の安東軍の拠点を奪う。きっと安東軍は我らより大軍といえど、動揺して後に下がろうとするに違いない……。敵軍の勢いが削がれてから初めて、津軽為信の本軍は出陣する。それが明日になるか、明後日になるか。どちらにせよ近いうちなのは確かだ。




 森岡隊が威勢よく堀越を出陣する。城門は重々しく開け放たれ、残る津軽家臣団は彼らを見送った。先頭を進む騎馬武者十人ほどと、後をぞろぞろと進む大勢の足軽ら、明るい声を高々と掛け合い、漂う空気などなんのその、町屋の砂利道じゃりみりを越えれば田んぼが周りに広がる畦道(あぜみち)へ。稲は生き生きとしているだろうが、晴れていないので決して()えはしない。




 さて、為信の横で兵らを見送るのは弟の久慈(くじ)(ため)(きよ)であった。南部領内から強行突破して兄である為信を助けにやってきたものの、いまだ役目が与えられていない。そこで周りの声が掛け声でうるさい最中ではあったが、為信の耳元で問う。


「私と久慈の兵らは、兄上の本陣にての備えでしょうか。」


 為信は即答せず……何とも聞こえずらい声をだした。言葉にもなっていない。それからしばらく為清が何も言わずに待っていると、為信はたいそう言いにくそうに話し出す。



「お前は津軽(つがる)(しゅう)ではない。だからこそ熱狂に惑わされず……違うところから、見晴らしの良きところから物事が見えよう。お前には出陣させぬ。だが……誰よりも重い(やくめ)ぞ。」





 そして二日後の旧暦七月七日の七夕(たなばた)。弟を置いて為信は出陣した。


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