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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第六章 津軽為信、出陣する 天正七年(1579)旧暦七月七日
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旧拠大光寺へ 第五話

 僧兵は白色の袈裟の上に鎧を身に着け、弓や槍やらを持って安東軍へ立ち向かう。彼らはたいそう屈強な者ばかりで、当時は神仏習合の世の中だったのでその馬鹿でかい鳥居の上に登っては射かけ、下にいる者ならば石段の元で大股を開いて通さまいと激しく抵抗する。


 しかし安東軍は勢いを持ち、いくら少数で抗おうにも多数には勝てなかった。至る所で隠れては襲い、逃げては死角からの矢で敵を倒す。ただしこれは敵兵にとっても予想内のやり方である。


 この乳井(にゅうい)(ふく)王寺(おうじ)という場所は……山地の至る所をご丁寧に平らにし、そこに幾つかの寺社仏閣が建てられている。その様子はあたかも大和国の信貴山(しぎさん)を思い浮かばれる。高いところにそのような建造物は四つもあり、下ったところには坊主らが住まう庫裏(くり)が周りを囲むように建てられている。それら全て、一刻も経たぬうちに安東軍の手に落ちた。安東の扇の旗さしが山々に数多く掲げられ、津軽の錫杖の旗や卍の旗は虐げられていく。いとも呆気(あっけ)ない。



 実のところ、ここの主である乳井(にゅうい)(たけ)(きよ)は不在で、かつて逃げていたことのある出羽国羽黒山より急ぎ戻ってくる途中であった。この訪問により安東本軍が津軽の地へとやって来れなかったきっかけが作られたのだが、さすがに乳井自身も己がいない間に寺が落とされるなどと思ってもいない。やはり指揮する者がいないと本来の力は出ないのか。それでも乳井が戻ってくるのを待ち望んで、なんとか寺を守り続けようと僧兵らは体を張る。元々白色だった袈裟が薄汚れた感じに変わろうが、暴れすぎて鎧のひもが緩み使い物にならなくなり、それでも気にすることなく体に矢を何百本と受けようが、(やじり)の鉄の部分が心の臓に突き刺さろうが守り切らねばならぬ。そこには弁慶(べんけい)が何人もいる。弁慶は義経を守るためお堂の前で立ったまま死に果てたというが、所詮(しょせん)弁慶は妖怪ではないし、不死身でもない。人間でしかなかった。人が血を流せば、後は死に絶えるだけ。そんな者らが境内(けいだい)に何人転がっただろうか。


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