旧拠大光寺へ 第四話
滝本に手柄を取られてなるものかと、北畠勢は必死に攻めたてた。何重にもある帯曲輪より放たれる何百何千もの矢を避けつつ、死角を見つけては身を隠し上を目指す。晴れ渡る空の元で辺りは荒々しい声に包まれ、鳥は慌てて逃げ去った。……今とは違って木が多く生えているわけではないがその陰だったり、ところどころに激しい勾配の崖に近い急斜面があるので危うくなったらそこへ身を移し、逆にそこから矢を放って敵兵を狙うのだ。
このように北畠勢は武門らしく戦いを挑んだ。これ以上滝本に手柄を取られてしまうと津軽平定後の主導権は奴へ移ってしまうし、なにより滝本の行いは民のためにならぬので我らが先頭に立って治めねばならぬ。顕則も、石堂も必死に上を目指して駆け上がった。それでも北畠勢五百と守勢四百が争うのでなかなか難しいかと思いきや、案外北畠勢は強かった。一応は滝本の調練を受けたことのある身の上であるし、津軽に戻りたいという想いは誰にもかなうまい。
続けて横手南方より山伝いに滝本隊三百が突入し、他諸隊も総出で攻め入ったので、いくら帯曲輪を何重にも持とうが、高いところから兵の動きが見えようが、特に問題でない。いざ近づいて刀や槍を突きつけると、いとも簡単に敵兵は倒されていく。弱い弱い、弱すぎるぞと安東方の者らは感じたので、試しに御顔を拝見すると……くたびれた老人ばかり。道理で手ごたえを感じなかったと滝本は思い、その横で顕則は静かに手を合わせた。
……津軽方は兵が足りず、このような者らまで駆り出されている。大方若い者らは石川や堀越へ詰めているのだろうが……。それになんだ、まともに鎧さえ用意できなかったようで、決して鮮やかでない色の麻布を何重にも体に巻くことで鎧代わりにしている。結局は矢も刺されば刀でも斬られるのだが……数合わせで駆り出された者の悲惨さ。重々身に染みる。
こうして茶臼館を落とした安東軍は、続けて乳井福王寺へと攻めかかった。




