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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第六章 津軽為信、出陣する 天正七年(1579)旧暦七月七日
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旧拠大光寺へ 第三話



 津軽家の三家老というと兼平(かねひら)綱則(つなのり)(もり)(おか)信元(のぶもと)、そして小笠原信浄(おがさわらのぶきよ)である。ただしこの六羽川合戦発生当時は兼平と森岡は家老と名乗るには若すぎ、代わりに乳井(にゅうい)(たけ)(きよ)と小笠原とで津軽の二柱(にはしら)と呼ばれた。その乳井氏の拠点として大館山の西麓に乳井(にゅうい)(ふく)王寺(おうじ)があり、信仰の拠点ながらこの時代でいうところの本願寺や比叡山延暦寺と同じように武装した僧兵らのたむろするところでもあった。津軽為信の決起より乳井氏は彼に従い続け、岩木山信仰の中心を任されてきた。そして岩木山地域とは別に津軽平野の東端である乳井福王寺を中心としても勢力を張る。


 ……この福王寺であるが、西側に六羽(ろくわ)(かわ)が流れ、川を北へ辿(たど)れば大光寺(だいこうじ)(じょう)へと着くことができる。大光寺城は滝本の主君であった大光寺氏の拠点であるし、彼の属する安東軍が攻略すべき拠点のひとつである。大光寺城を目指すならば、ここ福王寺を落とさなければならぬ。ただしそちらへと進めば津軽方の拠点である石川城を無視する形になり、横やりを受ける羽目になりかねない。そこで抑えの兵を宿川原(しゅくがわら)ならびに森山(もりやま)松伝寺(しょうでんじ)に百ずつ置くことにより南方より睨みを利かせる。加えて安東(あんどう)(ちか)(すえ)率いる本軍が到着すれば石川(いしかわ)城、堀越(ほりこし)城、そして大浦(おおうら)城へと攻めあがる手筈(てはず)なので、特に恐れる必要もない。

 とは申せ安東本軍の到着が遅れるとの知らせを受けている。この状況で攻めあがるのは危険ではないかと安東方の諸将は危うんだが、滝本は“留まっていては我らの勢いを失う”と主張し、無理やり今ある兵ほぼ全てを以て福王寺への侵攻を開始した。めざすは大光寺城、かつて住んでいた思い入れあるところ。安東本軍に華を持たせるため、我らは石川や堀越には攻め入らぬ……。



 旧暦七月二日昼、安東軍は福王寺の南隣にある乳井(にゅうい)(ちゃ)臼館(うすかん)へ攻撃開始。福王寺は北と南の隣に武装化された砦をもち、全長1㎞にも及ぶ巨大な山城ともいえる。しかも丘陵の高台にあるので攻略するのは至難の業。ただしそこを制覇しさえすれば津軽平野が一望でき、為信の軍がどのように動こうとしているか全て丸見えになる。


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