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津軽藩起始 六羽川編 (1578-1580)  作者: かんから
第六章 津軽為信、出陣する 天正七年(1579)旧暦七月七日
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旧拠大光寺へ 第一話



 安東軍の先遣隊千五百は(くら)(だて)を落ち着かせたのち、旧暦七月一日に宿河原(しゅくがわら)へと着陣。六月二五日に大館(おおだて)扇田(おうぎだ)城より出発して以降、七日間で40㎞を進んだことになる。津軽側が最初から全力で守ってきたならば、そんなに早く進むことはできなかったであろう。


 北北西には石川(いしかわ)城、その奥には堀越(ほりこし)城、そして大浦(おおうら)城へと続く。いよいよ津軽平野へと突入し、津軽家の中枢を襲うのだ。さてそのうち滝本隊三百は様子見をするため北へ兵をすすめ、石川城と宿河原の中間地点にある森山(もりやま)松伝寺(しょうでんじ)を攻撃した。津軽方の兵士こそ籠っていたが、僧侶らを連れてあっという間に逃げ去ってしまう。

 “なにか感触が怪しい”滝本はこう感じた。こちらこちらとおびき寄せているのだろうか。そうでなくても初めの津刈(つかり)砦でも守り手の勢いは鈍かった。……為信は、津軽平野での決戦を望んでいるのか。それもよかろう。ただし我らはあくまで安東(あんどう)(ちか)(すえ)様の添えの兵ら。本軍が到着すれば石川・堀越・大浦……この津軽家の中枢というべき城を落としていただき、華を持たす。己の属する比山(ひやま)殿を大将とする千五百は……大光寺(だいこうじ)を目指そう。あとは出立する(とき)だけだ。あいにく安東本軍はまだ姿を現さない……遅い、遅すぎるぞ。我らは早くも大鰐おおわにまで制覇してしまったぞ。何をしている……。


 さて滝本は一旦森山を離れ、宿河原へと戻った。そこには比山や浅利(あさり)らが苦虫を潰したような顔をして腕を混んでいる。滝本はいぶかしそうに、何があったかと問うてみると……。


「安東様の軍は大館にこそお入りになられたが、酒田(さかた)大宝寺(だいほうじ)義氏よしうじの動きが怪しいらしく、確かめ次第こちらと向かうと。」


「大宝寺には織田の威光が届かないのか。織田は周辺諸氏に対して、このたびの戦の邪魔立てはするなと触れ回ったではないか。」



「いや……かの家は上杉に従っておるので、織田うんちゃらはまったく関係ない。」


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