虐殺 第一話 +六羽川合戦後半図
旧暦六月二七日。安東軍は古懸不動尊より出立し、北西2㎞先の唐牛館を囲んだ。田植え後の季節ではあるが朝に一面霧がかかり、やはり海遠く山岳地帯に囲まれている場所ということを印象付けた。
唐牛館の守将は唐牛氏であるが、前々からの合意通り戦さの真似事をするだけである。あからさまに裏切った感じをださずに、ある程度争った風に見せておいて夜には闇に隠れて後方へと逃げる。すでに多田秀綱など昨晩密談を持った多くの者らは館を離れて三々目内へ退いていた。
……霧が晴れてきた頃合いを見計らい、安東軍は唐牛館へと向けて矢を一斉に放った。百人の引手が、事前に伝えられていた箇所めがけて放つ。何百本もの矢が館の柵を越えて向こう側に降り注ぐのだが、当然ながらその場所に敵兵はいないので反応は一切ない。安東軍はある程度放ち終わると、館から少しだけ離れる。今度は館の内側から何百もの矢がこちら側へと飛んでくる。……きっと矢は同じものであろう。放ったものを放ちかえしているだけだ。とんだ茶番であるし……もしここで命を落とした者がいるならば、とてつもなく不運な星に生まれたのであろう。
双方ともにしっかりと昼餉を取り、日が傾きはじめるとまた同じようなごっこ遊びをし戦さを終えた。
完全に日が西の山々に沈みきると、安東軍は唐牛館を囲むのをやめて再び古懸不動尊へと戻る。そのうちに……唐牛館の城兵はすべて館より出でて多田本家の治める三々目内へと向かうのだ。それもゆっくりと焦ることもなく。兵糧や他に役立つであろう物は持ち出されずに館にそのまま残っている。日が明けて安東軍は唐牛館へ無血のうちに入り、それらをことごとく自らの物とした。
ただし……一部将兵は多田と唐牛のやり方に反発し、近くの蔵舘へ向かいこの有様を密告。蔵舘の兵らは彼らと共に安東軍の侵攻を待ち受ける。
六羽川合戦後半(自己作成分)
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